狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『日本型「教養」の運命』筒井清忠

 筒井清忠『日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察』(岩波現代文庫)を通読しました。筒井氏は社会学者。最近では、『戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道』という本が面白かった。『日本型「教養」の運命』は、親本が1995年で、文庫化が2009年だそうです。

 2000年代、光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟』がバカ売れしたことがありました。当時、なぜカラマーゾフが売れたのかを出版関係者と話していて、私が「忘れがたき『若き日の教養への憧れ』じゃないでしょうか」と言うと、数人が賛同してくれました。中高生時代、なんとなく「古典を読まなきゃ」と気が急いて、私も内外の文学作品や哲学書を読みあさったもんです。流行りのエンタテインメントを読んでいる奴は過去の名作をひととおり読んでいるのだろうと早合点していたのです。1965年生まれの私は岩波文化から角川文化への転換期に10代を過ごしました。教養主義という権威にからめとられた最後の世代かもしれません。カラマーゾフに飛びついたのは、私より年上だろうなと感じていました。

 筒井氏は、明治の修養主義が教養主義となり、人格形成に必須な知識として重んじられてきたことを明らかにし、教養のない人間は人格的に劣っているという権威主義にもなっていたと書きます。

「第5章 現代日本の教養」では、《相対的に技術的な学問の進歩が、遺伝子操作や臓器移植・脳死、さらには環境破壊などの問題を浮上させた今日、哲学・文学・史学などの人間学・人文学の重要性はあらためて増大しつつあるといわねばならない》。《非人文学的学問の発達それ自体が人文学を切実に必要とするに至っているというパラドックスがそこには存在しているのである》。これは、1995年の文章で「そんなの当たり前じゃん」ですが、ああしかし、なんということでしょう、2026年、政府は「人文系のダウンサイジング」と骨太の方針やらに書き込んでいるのです。アベコベでスガ。

 ちなみに、カラマーゾフの流行は、2006〜2008年あたりらしい。私の想像が当たっているなら当時の中高年代が読者であり、それ以下の世代には別の世界が拡がっていました。たとえば、同時期、テレビでは「おバカ」ブームが起きていたのです。

 2009年に書かれた『日本型「教養」運命』文庫版あとがきでは、初刊時から14年のうちに書籍の総発行部数の衰退と書店の激減、論壇誌のレベル低下や廃刊が起きていたうえ、インターネットの無記名・無責任な言説の氾濫が《新しい匿名的大衆の世界=ネオ大衆社会》を招いたと書かれています。《教養の危機が導き出しているのは現代日本文化における新しい文化創造の不可能性という根源的な文化危機につながりかねない事態なのである》という筒井氏の指摘は残念ながら当たってしまいました。

 本書刊行後、東日本大震災が起き、2012年には第二次安倍政権が発足します。安倍氏自身、教養人とはとても呼べません。その後の政治家の言葉の劣化はすさまじかった。「反知性主義」という言葉が流行したのは2015年くらいでしょうか。知性は冷笑され、テレビはいいかげんなことをまくしたてる人物を重用し、知識人・ハイカルチャーは水面下におしやられました。国際的なイベントでさえ、ジャニーズやエイベックスや吉本興業が駆り出されたのです。今では自分の頭で考えず、「AI に相談します」の時代かもしれません。教養、人文知、文化芸術などがたった10年かそこいらで紙くずになったような気分です。国立大学も美術館や博物館などもどんどん助成が削られていき……。

 はてさて、教養の復興はあるのでしょうか。私はあきらめかけていますけど。