狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

5月4日のゆるジョグ

大型連休ですが、予定はなにもありません。

妻がしょっちゅう実家に行って親の介護をしており、私もときどき介護のおともをしております。4日は、妻の実家の最寄り駅から少し西に行き、西武新宿線・久米川駅から南下しました。久米川駅って商店街が充実しているんだなとびっくり。しぱらく進むと西武多摩湖線・八坂駅に出ました。ははん、久米川の商店街と八坂の商店街がつながっているんですね。

あちこち走り尽くした感がありますが、結構知らない道を通りました。

SNSで、忌野清志郎の命日が2日だったと知り、たまらん坂に寄ってみました。清志郎は国立市出身で、『多摩蘭坂』という歌があるため、ファンの聖地になっているのです。花やビールが供えてありました。

私はとくに忌野清志郎のファンではないんですが、社会に発したメッセージは鋭かったと感心しています。憲法記念日に思い出したのは、忌野清志郎 & 2・3’s「善良な市民」(→YouTube)です。

NHKの討論で、自民党・加藤勝信議員が憲法に緊急事態条項が必要だといい、維新・音喜多駿議員や国民民主・玉木雄一郎議員も賛同していましたが、緊急事態条項はコロナや災害対応のためにつくるのではありません。いつぞや麻生太郎議員が「ナチスの手口に学んだらどうかね」といったとおり、ワイマール憲法から学んだ条項です。たとえば「北朝鮮がどんどんミサイルを射っているからいまは緊急事態です」と宣言すれば、その後選挙は行われなくなり、独裁国家が完成します。ぼんやりしてちゃダメですよ。そもそも、憲法を守らず、脱法的に裏金を貯めている自民党議員たちに改憲を訴える資格はありません。

清志郎は歌います。「泥棒が憲法改正の論議をしている」──その通り。

さらに進んで、1月に閉店したガストの写真です。ときどきここを通りがかるんですが、看板が塗りつぶされるまで、閉店したことを知らなかった。

ここが、すかいらーく1号店だったことは原武史『レッドスターとスターハウス』で知り、敬意を表して1度だけ入った記憶があります。すでにガストになっていましたが。

以下、原武史の本より。1962年4月4日、横川端、茅野亮、横川竟、横川紀夫の四兄弟はひばりヶ丘団地で乾物をあつかう「ことぶき食品」を開店させ、西武沿線にチェーン展開しました。しかし、西友ストアーもチェーン展開し、ことぶき食品は敗北します。

これを機に、ことぶき食品は、食品スーパーに見切りをつけ、あるいは西武沿線でのチェーン展開という戦略を捨て、アメリカでの調査を経て、ロードサイドの外食産業へと転換を図ってゆく。多摩地域では、六七年に中央自動車道や片側二車線の新青梅街道が部分開通し、六八年には自動車を巧みに使った「三億円事件」が発生するなど、モータリゼーションの波が徐々に及んでいた。甲州街道沿いにスカイラーク(当時はカタカナ表記)1号店(国立店)が開店したのは、七〇年七月七日であった。

国立店ですが、実際は府中市です。

すかいらーくグループ(旧ことぶき食品)の名称は、ひばりヶ丘のひばりに由来します。

こんな記事がありました。TM NETWORK の話は初めて知りました。

『レッドスターとスターハウス』は、西武線界隈の団地と、高度経済成長期の思想について書かれています。本日は、都営久米川団地、公団久米川団地を脇目に走りました。