狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『スモール・イズ・ビューティフル』1/2

 私は技術の発展に新しい方向を与え、技術を人間の真の必要物に立ち返らせることができると信じている。それは人間の背丈に合わせる方向でもある。人間は小さいものである。だからこそ、小さいことはすばらしいのである。巨大さを追い求めるのは、自己破壊に通じる。(講談社学術文庫 211頁 傍点部分は太字にしました)

E・F・シューマッハー『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫)よりの引用です。ガンディーに影響を受けた一人としてシューマッハー(ドイツ生まれ、1911-78)の名前が挙がっていたので興味をもちました。産業資本主義や科学万能主義を批判し、脱成長、環境保護の意見を説いています。上記著作は、1973年に上梓されたものです。

 今でも信じられている経済学は、みなが私利私欲で経済活動をすれば社会は栄えるというリバタリアニズムに基づいたものです。「めいめい利己的にやってりゃ良くなるよ」というわけです。ところが、現実は違います。《現に豊かな人をますます富ませ、権力のある人の権力を強める結果をもたらすような政策しかとれないことがほぼ例外なくはっきりしている》(96頁)のです。いまの日本を見よ、国営サービスはどんどん民営化されてしまい、格差が広がり、大企業と手を組んだ与党政治家が裏金つくりつつ法人税を低くして庶民の税負担を増やしています。

シューマッハーは、みんなが人間性を損なうことなく幸せになる「仏教経済学」を唱えています。答えのない問題を解く力を養う教育、環境を破壊しないことなどを説いているのでした。後半は、人間性を失わない企業のあり方などが具体的に書かれていました。

もちろん、原子力の悪影響についても語っています。こちらは1965年の講演だそうです。

「何百万年以上にわたって発達してきた環境には、どこか優れた点があると考えるべきである。地球には、一五〇万種以上の動植物が生息し、そのすべてが同じ土壌と空気の分子を使い続けて、だいたい均衡のとれた状態の中で生存しているが、このように複雑きわまる惑星の地球を、目的もはっきりしない操作で手直しし改善しようというのは、無理な相談である。複雑なメカニズムに変化を加えると、どんな変化でもある程度の危険が伴うので、あらゆるデータを慎重に検討した上で行なう必要がある。まず、わずかな変化を加える事前テストを行なってから、大きな変化にとりかかるべきである。データが揃わない場合には、そのメカニズムを長い間支えてきた実績のある自然の力にできるだけまかせることである」(177頁)

原発は要らない。私もそう考えています。ただ、『スモール・イズ・ビューティフル』から約40年後、わが国は原発事故を起こしてしまい、日本のみならず世界の環境に悪影響を与えています。せっかく忠告してくれたのに。

シューマッハーの思想は、狩猟採集生活を参考に、社会をとらえなおす私の考えにも通じるものでした。人間は最大でも150人の集団で暮らし、利他的で平等分配をしてきたのです。持つ者は与え、与えられた者は「あたりまえ」なので礼も言わずに受け取ります。それは、何十万年もかけて練り上げられた社会の生存戦略だと思うのです。ところが、定住・農耕以降、人口爆発が起き、階層が生まれ、貧富の差が生じました。