狩猟採集民に共感してからの私、ちょっと変わってしまったようです。アナーキズムに興味が湧き、さらに今度は中世の遊動民にも憧憬の念が募ってきました。
悪党・傀儡子・遊女・非人などがどんなふうに区別されていたのかよくわかりません。曖昧なまま進めます。
1087年、大江匡房「傀儡子記」という短文には、こんなことが書かれています。傀儡子は定住せず家もなく、水草を追うように流れていき、北狄(モンゴル人?)の生活に似ている。弓馬にすぐれて狩猟をし、剣や人形などをつかった大道芸や手品をする。傀儡女は、奇妙な化粧としぐさで、歌をうたって男客をとる。買春のカネで着飾り、働くことはなく誰の支配も受けずに悪楽に暮らしている。うんぬん。
芸能のご先祖さまは身分が低かったようですが、そんなの問題じゃありません。私は「支配されない」ところに魅力を感じるのです。「芸能は下層民によって始まった」なんて知識をインプットしただけでは、ただの物知りです。狩猟採集社会を学んだ私は、中世の漂泊民に同化して、彼らの目で社会を見ちゃうのです。
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おそらく20年ぶりに、歴史学者・網野善彦(1928〜2004)の『異形の王権』(平凡社ライブラリー)を引っ張りだして、パラパラと眺めました。中世のさまざまな絵巻物に描かれた「異類異形」の姿態をした人々を仔細に分析したものです。南北朝のころ、婆娑羅(派手なふるまいをすること)の風潮が高まり、禁止されるほど異形の風俗が広まったようです。
非人・乞食・山伏らは柿色の服装を着たらしい。『太平記』の護良親王、『増鏡』の日野資朝、『義経記』の義経が、こっそり旅するさいに柿色の衣を着たことに網野は注目しています。つまり、山伏の恰好をしたら街道や港を自由に往来できたのです。(宮崎駿『もののけ姫』は、網野史観をもとにつくられたことは有名な話。あのアニメに、柿色の服を着た人物がでてきます)
南北朝期ごろまでの遊女・傀儡子の地位は、しばしば近世以降の「常識」にあてはめて考えられるような、低く賤しめられたものでは決してなかったのである。
よく考えてみましょう。住所とは、戸籍とは、マイナンバーとは、税金をとるためにつくられたものです。多く稼いだ人が多く納税する累進課税で、持たざる人に再配分されるなら、みんな応能負担の税金を払えばいいでしょう。しかし、今の日本は、1億円以上収入がある人は所得税の税率がどんどん下がるのです。Why?
中世の、戸籍に載らない狩猟民や漂泊民は、戸籍外の人々で税金も払ってなかったでしょう。だからこそ為政者から悪だの賤民だとレッテルを貼られましたが、気楽で自由に生きられたかもしれません。引っ越しも許されず、せっせと働いて米を税として納める農民よりも、誰にも支配されず旅して生きるほうがよほど楽しい。圧政に耐えかねて農民はよく逃散したといいます。そりゃそうです。
私も今年は柿色の服を着て自由になろう。ジャイアンツファンに見られるかな。
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しばらく、網野善彦の本を読み直すかもしれません。