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中根千枝『タテ社会の力学』

中根千枝『タテ社会の力学』 (講談社学術文庫、原本は1979)を読みました。

先月、講談社新書の『タテ社会の人間関係』(1967)と『タテ社会と現代日本』(2019)を読みまして、もう少し学術的に書いてあるのかという期待に反し、こちらも読みやすい一般書でした。著者は社会人類学が専門で、諸外国と比較しながら日本社会の特徴を書いています。

日本は、社会構造の基盤が個人ではなく小集団(たとえば職場など)である。小集団は家族にも比敵されるような人間関係が要求され、行動は制限されるが、諸条件を許容すれば時と場合によっては下位の者も相当なわがままも許される。

小集団は集まって大きな集団(クラスター)の一部となっている。クラスターのなかで小集団はランク付けされていて、みな序列を認識しつつ、全体としてはゆるくつながった連続体を構成する。全組織の長(たとえば社長など)といえども上位に位置する小集団の構成員であるから、行動は制限されている。

小集団でのふるまい方は、下位が上位に従属することでなく、うまく「組み合う」ことだ。小集団の外に向かっては「上下の礼節を怠らないこと」である。

──このあたりを基本に、集団と集団が軟体動物構造的につながっているとか、日本の責任放棄体質や不祥事の特徴、一億総中流意識(昔はそう言われたのです)などの社会現象の解析をしています。昨今の政治状況に似ていることも書かれているので、引用します。

 日本において、側近政治というものが行なわれやすいのは、リーダーならびに直属幹部たちにも、小集団的人間関係の志向がきわめて強いことと、年功序列的にリーダーがえらばれるので、必ずしもリーダーとしてすぐれた能力をもたない者が大集団の長につきうる、という二つの理由によるものと思われる。とくに、実力や人をみる目のない人や、あるいはそれらは備わっていても、自己顕示欲が強くお世辞に弱い人が、その長のポストについているときには、いわゆる側近政治となりやすい。そのために、リーダーの視野はせばまり、貧しい決定がされやすい。
 日本における側近とか、とりまきの特色は、リーダーが積極的にその人たちをえらんだというよりは、その人たちがたまたま近くに位置していたとか、むしろその人たちが好んでリーダーの近くに徐々に近づいてきたということで、この意味でも、リーダーの条件は貧しいものとなっている。このような側近を形成させないだけの強さ、公平さ、意見の選別能力が、このシステムにおいては最もリーダーに必要とされるものである。
 側近政治は、ただでさえ距離のある大集団の長と、大集団全体を構成する各小集団に組み入れられている人々との距離を増大し、リーダーの意見が末端にとどかないばかりか、後者が離反する条件をつくるものである。(略)

小集団に所属する個人は全体のトップよりも小集団の長(たとえば、部長や婦長や工場長)との関係が重要であり、側近政治だと、政治のトップはより自分と距離が離れて見えると著者は書いているのです。なるほど、みんなが政治に関心を持たないのはそういうことなのかな。

面白い指摘が多いんですが、200ページなのにさらっと読み進めなかったのは、具体例が添えられてなかったり、予想される反論をあらかじめ提示して打ち消していかないからです(「なになにではないかという意見もあるだろう。しかし、かくかくしかじかで私の主張が正しいのである」というような書き方)。呑み込みづらい点がありました。

また、ほとんどビジネスや政治の話で、女性や子供に対する分析が欠けているのが惜しい。

タテ社会の力学 (講談社学術文庫)

タテ社会の力学 (講談社学術文庫)

  • 作者:中根千枝
  • 発売日: 2015/01/30
  • メディア: Kindle版