狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

堀切直人『喜劇の誕生』

大学時代に読んだ文芸評論家・堀切直人『喜劇の誕生』(沖積舎、1987)にやたら「ノマド」が出てきたけど、あれはどういう意味で使っていたんだっけ……とたまに思いだそうとしていたんです。こないだ本棚から見つけて読んでみたところ、ズバリ、

 狩猟採集民

なのでした。ビックリです。

 私は近ごろ、ピグミー、ブッシュマン、アボリジニなどの、地球上に今なお現存する狩猟採集民に関する民族誌的記録を、少なからぬ昂揚と解放感を覚えつつ読み進みめている。
 これらの狩猟採集民の性格は、おしなべて明朗快活で、屈託がなく、率直かつ楽天的である。この無類に明るい気質は、主として彼らのノマディック(遊動的)な行動様式からくるもののようだ。(略)
 移動を繰り返すとはいっても、何十人もの人間がいつも一緒に暮らしているのだから、彼らのキャンプでも不和や反目が起こるのはどうしても避けられない。しかし彼らは、そうしたトラブルを、ユーモア、冗談、笑いといった平和的な懲戒手段を用いてまるくおさめる術を心得ている。時にそれでもおさまりのつかぬ厄介な事態になることがないではない。だが、そんなときには彼らは、成員の一部がキャンプから一時的に引き払ったり、時をおいて舞い戻ったりする、いわゆる離合集散のやり方で問題の解決をはかるのである。

今ではお馴染みの内容ですが、こういった、狩猟採集民に関するマトモな文章を読んでいたのに、当時の自分は驚いた様子がありません。本の書き込みをみても、まるっきりピンと来てないとは、なんと迂闊な……。遊動生活を、当時流行りの周縁論とか、民俗学でいうマレビトなんてのに変換して読んでいたんじゃないでしょうか。書き込みは鉛筆だったので、消しゴムでゴシゴシ消しました。当時、人類学に興味が持てていたらなあ。

狩猟採集民を知れば、彼らを鏡にしてわれわれの生活を見直せます。

堀切氏はここ1万人の人間生活と狩猟採集生活を比較し、ファロス(喜劇)の復権を主張しているのです。すなわち、定住ののち農耕が始まるようになると、耕地や財産を争うためひとぴとは殺し合いが始まり、近代ともなると宗教的な生真面目さを獲得して遊びを忘れていきました。攻撃を阻止するためのコメディー、生真面目を倒すファロスの重要さを唱え、内外の文芸作品を評論をします。ホモ・ルーデンスという言葉は一度しか出てきませんが、ホイジンガの影響も感じられます。