狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

「私の音楽は不要でしょう」に思うこと。

松尾潔がジャニーズ批判をしたことにより、スマイルカンパニーが契約を打ち切った。その決定には山下達郎も賛成した、という一件ですが……。

先日のラジオ番組で、山下達郎がこの件について釈明したそうです。いろんな人がきちんと批判しているので、あえて触れません。ジャニー喜多川の性加害を批判することは、所属タレントに寄り添うことになるはずだがなあ。山下氏もジャニーズも業界の権威です。被害を実名で告発した人は山下氏の言葉をどんなふうに受け取ったでしょう。

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ところで、山下氏は最後にこう言ったそうです。

このような私の姿勢を忖度、あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。

ああ、そういう言い方するんだ……。

「あなたと私はいつまでも理解し合えず、永遠に平行線ですね。ではこれまで」論法は以前からあったのでしょう。私が意識的にヤバいと感じたのは1990年代、右翼ライターによる靖國参拝に関する本でした。処分してしまったので引用できませんけど。

うちの書棚の相撲コーナーに残っていた、2006年刊の内舘牧子『女はなぜ土俵に上がれないのか』から上記の論法を引用します。

(略)何でもかんでも男女平等、男女共同参画を言う人たちと、何でもかんでも男女平等、男女共同参画にする必要はない人たち──その両者は決して交わることはあるまい。

この本、相撲の「創られた伝統」など、よく調べていて面白かったのに(昭和期まで盛んだった女相撲は、相撲とは「別のジャンルであると考える」とひとことで切り捨てています)、女が土俵に上がれないことに関しては結局こう書いてしまったのです。

自分の主張を述べる本なら、相手が納得するように論理を展開すべきではないのかなあ。

分断論法はどんどん拡がりました。安倍晋三「こんな人たちに負けるわけにいかないんです」しかり。山際大志郎「野党の人から来る話はわれわれ政府は何一つ聞かない」しかり。 山下達郎「私の音楽は不要でしょう」 しかり。「縁なき衆生は度し難し」(本当の意味は知りませんが)という言葉を使う人もいます。私の勝手な印象では、「お前とは永遠に理解しあえん」論法の人たちは、保守を自称する人が多いようです。山下氏がどうかはわかりませんが。

とくに政治家のみなさん、こういう論法を使うのはやめましょう。民主主義って、小さな声にも耳を傾け、熟議に熟議を重ねて合意形成をはかることです。選挙に勝ったからといって白紙委任されたわけじゃありませんよ。日本は民主主義国家です。