狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

ケストナー『飛ぶ教室』

何十年かぶりに、ケストナー『飛ぶ教室』(原題 Das fliegende Klassenzimmer)を読了。池内紀訳の新潮文庫版でした。ええ話じゃったわい。おじさん、心が温まりました。

舞台は、ヨハン・ジギスムント・ギムジウム(小学校四年修了で入学する九年制の高等学校)の寄宿舎。もうすぐクリスマスという時期の生徒と教師の話です。彼らにいろんな事件が起こります。ある生徒が戯曲を書き、同級生たちが演じる「飛ぶ教室」は無事上演できるのでしょうか……。

私が再読しようと思ったのは、次のセリフを確認したかったからでした。いじめを見咎めた教師が、生徒たちに次の文章を5回書いてこいと宿題を出します。

「すべて乱暴狼藉は、はたらいた者だけでなく、とめなかった者にも責任がある(太字は引用者による)

ドイツ人のケストナー(1899〜1974)は、ナチスに抵抗した作家として知られます。作品が発表された1933年はナチス政権下。作者は、ナチスと、消極的にでもナチスを支持する人々を批判しているのです。「訳者あとがき」には、こうあります。

 一九三三年当時、ユダヤ人に対するナチ党員の「乱暴狼藉」は日常的風景だった。(略)
 ギムナジウムの教師には、姓からしてユダヤ人とおぼしい人がいる。主人公の五年制に、どのような「その後」があったものか。タイトル『飛ぶ教室』の「飛ぶ」のドイツ語はフリーゲント(fliegend)である。ヴァグナーのオペラにも登場するが、「さまよえるオランダ人」(Der fliegende Holländer)を思い出させる。十七世紀の船乗り伝説と、二十世紀の教室とがかさねてある。「教室」を出た後、少年たちにはいや応なく、ドイツ現代史のなかのとりわけ酷い歳月、「さまよい」の時が待ち受けていた。

作品のなかにおいて、「飛ぶ教室」は、世界を飛行機で飛び回って地理を学ぶ未来の授業のことでしたが、そんな意図が重ねられているのかもしれません。

いまの日本社会もかなり危うい状態です。私は最近、神宮外苑の再開発や入管法改悪に反対するデモに行っています。公共の場を一部の企業に譲り渡したり、人間の人権を蹂躙するなど、政治家たちが乱暴狼藉をはたらいています。私がデモに参加するのは、「とめなかった者にも責任がある」からです。署名、Twitter、ブログなどでも、抵抗の意志を示したい。

登場人物の1人「禁煙さん」(本人は喫煙者)は払い下げられた禁煙車両に住んで本を読み、夜は飲み屋でピアノを弾く35歳くらいの元医者です。脱資本主義派の私は、禁煙さんの次のセリフも好きだなあ。

(略)ぼくのような生き方をする人が少なすぎるんだ。だからって、ひどい居酒屋のピアノ弾きになるべしなんて言ってやしない。ぼくはただ、何が大切なことだか、考える時間をもつ人間がもっといてほしいだけなんだ。金、地位、名誉、みんな他愛ないしろものだ! 子どものおもちゃのようなもので、ほんとうの大人には何の意味もない。そうじゃないかな?」

みんな、資本主義のなかで汲々としています。
楽しく生きられる社会を目指そうぜ。