狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『女性差別はどう作られてきたか』

ジェンダー研究の歴史について何か読もうと、書店で見つけた本です。著者は政治学者、北海学園名誉教授だそうです。福澤諭吉、ホッブズに関する著書、キャロル・ペイトマンの訳書があるとのことで、本書にもそれら研究が鏤められています。

アダムの肋骨から生まれた女性イブが、蛇にすすめられて「善悪を知る実」を食べ、アダムにもすすめたことから、人間は「原罪」を負いました。「創世記」にそう記されていることにより、キリスト教世界では女性を劣ったものとみなしてきました。結婚に関しては神を除外して男女が対等に生まれると考えたのがホッブズだそうです。

イングランドでは、すべての女性は結婚し、利益は当然夫が代表するという「カヴァチャー(庇護された妻の身分)」という法理がありました。12世紀から19世紀後半まで、女性は無権利状態だったのです。18世紀に産業革命があり、男性だけが働いて妻が家にいる「主婦」という役割が生まれます。19世紀になって女性解放の運動が起き、21歳以上の女性すべてが選挙権を獲得したのは1928年でした。

対して、日本は──

江戸のイデオロギーは、巷間言われるほど儒教的ではありません。武家も庶民も、結婚は「家」同士の契約と考えられていましたが、当事者同士の意見が無視されることはなかったとあります。結婚後、夫婦は「当主」と「女房」という職分を分担、当主の役割は家産管理、女房は家政を担当。妻(あるいは入り婿)は養子縁組のように家の一員を迎えることでした。家族に属する人たちの目的は「家」を存続させること。当時の日記を見ると、夫婦が協同していたことがうかがえるそうです。

女性は、結婚後も苗字を変えず、実家のメンバーであり続けた。妻と夫は別の寺に葬られることも珍しくなかったそうですし、結婚時にもっていた妻の財産は妻のものでした。離婚時、持参金や持参不動産は妻の実家に返されました。妻は義父母より実父母が死んだときのほうが、服喪の期間が長かったといいます。

「女房」という職分を果たせない女性は簡単に離婚されました。庶民の場合、夫から「三行半」をもらいますが、それは離婚したことの証明書でした。それがあるから再婚ができるのです。妻が家を飛び出し、仲介者を探して離婚することもありました。

女性の財産所有権と離婚の権利のふたつは、女性の解放を見るさいの重要な指標とされているらしい。江戸時代の日本の女性はイングランドの女性より解放されていたのです。 家父長制は欧州にならって明治政府が制度化(戸籍法は明治四年に制定)したが、なかなか根づかなかった。

では、そんな日本でどのように家父長制が根づき、女性差別がつくられたのかが、この本ではいまひとつわかりません。西洋にならって男性優位に制度設計されたことは書かれますが、いつ人々が内面化したのかがわかりにくい。近代化するなかで、男に参政権を与えるなどしたことで、父権的イデオロギーが根づいたのだと思われますが……。