狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

配偶者の呼び方

不倫した芸能人の妻が夫のことを「主人」と呼んだことに違和感をおぼえた人がいるそうです。私はかねがね日本の上下関係を鬱陶しいと感じています(なぜ部活では一歳違うだけで威張ったり威張られたりするの?)。狩猟採集社会に興味を持ったのも、彼らに階層意識が稀薄だからです。「主人」問題も興味深い話題です。

昨年、イチローが引退したあと、アメリカに戻るため成田空港に現れたとき、夫人が三歩くらい後ろで黙って追随する姿を見て、「奥ゆかしい」と褒める向きがありました(→スポニチ)。野球をするイチローは嫌いじゃないんですけど、いつもカメラを意識して演技しているように見えるんですよね。奥さんも古き良き日本女性を演じたのかもしれません。でもね、私は「女よ、夫の前をグイグイ歩け」と思います。……おっと脱線。

妻が「主人」と呼んだってふたりが主従関係にあるとは限らない、使われるうちに本来の意味が削ぎ取られ、いまでは男性配偶者を指す単純な普通名詞に過ぎない、という意見もあるでしょう。でも、夫(良人)、亭主、旦那、宿六……といろんな呼び方があるなか「主人」を選ぶこともないような気もします。

日本には「パートナー」みたいな外来語を別にして配偶者を指すフラットな言い方がありません。「連れ合い」は一見フラットな関係に見えますけど、夫が妻を指す言葉であり、妻が夫をそう呼ばないんじゃないでしょうか。「同居人」と書く人もありますけど、訳あり夫婦と思われるんですよね。男性同士、女性同士のカップルともなると、「パートナー」以外に思いつきません。

では、男は異性の配偶者をなんと呼ぶべきか。妻、女房、奥さん、家内、かみさん、かかあ、山の神、細君……。やはり穏当なのは「妻」なのかなあ。ただ、刺身のつまと同義だと考えれば、主菜と副菜というこうになり、主従関係が内包されているのかも。

「うちの嫁」って最近よく言うけど、もともと息子の妻のことですよ。女房はもともと使用人のことだし、奥さん、家内は、家に縛りつけているようで時代に逆行します。かみさんは内儀さんと表記するからやはり家にいるのを強要している人のようですし、上さんだと上下が生じます。「うちの大蔵大臣」「山の神」もしかり。「サイ(妻)」「サイクン(細君・妻君)」は悪くないけど、昭和の中頃に消えましたね。

ところで、厄介なのは、話し相手の配偶者をどう呼ぶか、です。「おたくのご主人は」「おたくの旦那さんは」だと、あちらの家庭に主従関係があるように聞こえます。相手の妻のことは「奥さま」くらいしかなあのでしょうか。「きみんとこの細君は」で行けたんだけどなあ、小津映画のころまでは。………もう少し考えよう。