狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『あなたの観ている多くの試合に台本が存在する』

『黒いワールドカップ』の著書もある、ジャーナリスト・研究者デクラン・ヒルの『あなたの見ている多くの試合に台本が存在する』(山田敏博訳、KANAZEN)を読了しました。東南アジアを中心に、サッカーのあまたある八百長試合を分析した一冊です。ヒル当人は、これを一般向けの専門書だと書いています。

まず、八百長には「調整型」と「賭博型」があると言います。前者は、たとえば、チーム同士で勝ち負けを調整し、どちらも得になるような(1部リーグから陥落しないようにする、など)ケース。後者は、マフィアが選手らを買収し、勝敗や点数などを操るケースです。

結局は経済なんだな、と感じます。サッカーの場合、選手生命は短く、セカンドキャリアの心配もしなくてはいけません。給料が滞っているチームにいたら、支払いの早い組織に荷担して、わざと失点する気持ちになるのでしょう。

書棚に本が見つからないので記憶で書きますが、以前読んだ中島隆信『大相撲の経済学』は、実際に八百長があるかないかには言及しないものの、八百長があったほうが都合が良いシステムになっていることを明らかにしていたはずです。

ちなみに、私は以前はかなりの相撲ファンであるとともに、角界の八百長に関する噂話も大好きでした。7勝7敗の力士が千秋楽に勝ち越すことは小学生のころから毎場所チェックしていました。長じて、相撲の歴史、女相撲の歴史、相撲のゴシップなど、たくさんの本を併読したものです。だから、日本相撲協会が八百長記事を書いた出版社やライターを訴えたことに怒りを覚え、しかも勝訴したことには大いに呆れ、以後、相撲を観るのをやめました。のちに、角界の野球賭博問題に関連して組織的な八百長が明るみになったのはご存じの通り。当たり前じゃ。

おっとっと、大きく脱線しました。いろんな世界で細かな損得勘定が行われ、人は得なほうに靡くということです。サッカーの場合、脅迫のような形で八百長を依頼されることは少ない(なぜなら、選手はサッカーの技能が高く、代わりになる人を簡単に見つけられないから)とか、八百長を持ちこまれるのはキーパーが多いとか、書かれていました。キーパーが取り損ねたボールを相手選手がゴールに蹴り込むシーンはたくさん観てきましたが、今後ああいうのは「八百長かも?」と疑ってしまいそうです。

……まあ、この本より、今は『黒いワールドカップ』ですね。再読したら感想を書きます。