狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

世間論

【問題1】不祥事を起こして逮捕された芸能人が釈放されると「このたびはお騒がせして誠に申し訳ありません」と頭を下げます。いったい、誰に向かって謝罪しているのでしょうか。
【問題2】コロナ流行当初、休業要請を守らないパチンコ屋を監視する自粛警察が出現しました。警察官でも役人でもない一般の人がどうしてそんなことをするのでしょうか。

【問題1の答】世間
【問題2の答】日本には法だけでなく世間の決まりがあり、相互監視するから

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20年くらい前、阿部謹也や佐藤直樹の世間論を集中的に読んだことがあります。とにかく面白かった。私が抱えていた長年の疑問がいろいろ氷解した気がしたんです。

書棚を整理していたら阿部謹也『学問と「世間」』(岩波新書)が出て来たので、ざっと読み直しました。2001年刊行です。

阿部氏の専門は西洋中世史。近代西洋社会と比較したところ、日本には「世間」と呼ばれるものが個人を束縛していることに気づき、研究しました。世間を具体的に言えば、会社の派閥、近所、学校、部活、同窓会など、所属する集団で形成されています。

「世間」には三つの掟がある。贈与・互酬の関係と長幼の序、それに共通の時間意識である。

「贈与・互酬」はおわかりでしょう。結婚のご祝儀や葬式の香典に対するお返しとか、出してない人から年賀状が届いたら慌てて返事を書いたり……。「長幼の序」は言わずもがな。

「共通の時間意識」は少し難しい。阿部氏は、「今後ともよろしくお願いいたします」や「先日はありがとうございました」という言葉は西洋にないと例を挙げたうえで、次のように説明します。《欧米の個人はそれぞれ自分の時間を生きており、その時の相手と常に同じ時間の中で暮らしているとは思っていない。しかし、日本人は「世間」という共通の時間の中ですべての人が生きていると考えているから、このような挨拶が生まれるのである。》

日本は西洋からいろんなものを輸入したけれど、人間関係は歴史的・伝統的な「世間」を残したと阿部氏は書きます。社会を変革せよと言う人はいるが、「世間」はごく当たり前に存在すると思われているので、解体しようとする人はいません。

世間のなかで生きるとはこんな感じです。──ある若い政治家は理想を持ち、上層部の言動に疑問を持っていますが、当選回数が少ないので逆らえません。パーティなどで古株の政治家が女性蔑視発言などをしたら周囲に合わせてお追従笑いをします。法案の採決の時には党議拘束があるから反対に投じるなんてできません。政治は近代的なシステムですが、地元に帰ると支持者たちとの義理人情のお付き合いがあり、自分が所属する党に献金してくれる企業に便宜を図ろうと奔走します……。個人の意思を制約する力が存在するのです。多くの人は「当然だろ」と感じるかもしれません。

本書では学問や大学の在り方を問い直します。フッサールの〈生活世界〉という概念に拠って「世間」を考察したり、〈生活世界〉にアプローチする学問や大学を模索してるのです。大学の意義や将来については、私は阿部氏の考え方と異なる意見を持ちますが……。

本が書かれたころは大学の独立行政法人化が進められていました。2006年に亡くなった阿部氏が今の大学の諸問題を見たらなんとおっしゃるでしょうか。

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阿部先生は西洋のキリスト教世界と日本を比較して「世間」を論じました。

韓国ドラマをご覧ください。おそらく世間がある国・地域は日本だけではないでしょう。阿部氏がドイツで講演したとき、シンガポール出身者やペルーの学者たちが自国にも同じ問題があると言っていたと、あとがきに書かれていました。

世間の目