狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

「市民の抵抗」より。

ロシアによるウクライナ侵攻。

いろんな動画や写真が世界に拡散されています。フェイクが混じっている可能性もあり注意を要しますが、戦時の情報を伝える新しいツールになったのは確かです。

ウクライナ市民がロシア兵士に話しかける動画が多いのに驚きます。彼らは言葉も通じるし文化も共有しているから、情も湧きやすいのかもしれません(裏を返せば、言葉が通じず、人種や宗教が違う者に対しては人は残忍になりうる、ということでもありますが……)。

しかし、話をなんでも「感動」の方向に持っていくのはよろしくない。現に、非軍事施設にミサイルが撃ちこんでいる兵士がいるからです。

以下は、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー「市民の抵抗」の一節です。アメリカ人でありマサチューセッツ州に住むソローがこれを書いたころ、アメリカには奴隷制度があり、メキシコを侵略していました。(引用は『市民の抵抗』岩波文庫より。飯田実訳)

 法律への過度の尊敬から生じる、ありふれた、しかも当然の結果がどんなものであるか知りたければ、大佐、大尉、伍長、兵卒、爆弾運びの少年兵、そのほかありとあらゆる兵士の縦隊が、みごとに隊伍を整えて、丘を越え、戦場へと進軍していくさまを見ればよい。彼らは、みずからの意思にさからい、そう、みずからの常識と良心にさからいつつ前進しているので、行路はひときわはげしくなる。彼らは、自分たちが呪うべき仕事にたずさわっていることをよく知っているのだ。みんな温和な気質の持ち主だからである。ところがいまの彼らは何者だろう? そもそも人間といえるのか?

 こうして大多数の人間が、およそ人間としてではなく、機械として、その肉体によって国家に仕える。それが常備軍、民兵、看守、景観、自警団などといわれるものの正体なのだ。

(略)自由の避難所となることをひき受けたある国家の人口の六分の一が奴隷であったり、国全体が外国の軍隊によって不当に蹂躙されたり征服されたりしたために、軍政に従わねばならなくなったりした場合、誠実な人間はただちに反乱と革命を起こすべきだと私は考える。この義務の履行がいまやとりわけ緊急を要するわけは、こうして蹂躙されている国家がわが祖国だからではなく、ほかならぬわが軍が侵略軍となっているからである。

歴史上、愚かな指導者が戦争を起こした例は枚挙にいとまがありません。指導者に送り出されて戦場に来た兵士は、機械となって非軍事施設にミサイルを撃ち込みます。しかし、多くのロシア兵士は人間の感情を剝ぎ取られることなく戸惑っているのではないでしょうか。

一方、ロシア国内では大規模な反戦デモが行われ、6400人の逮捕者が出たと報じられました。

もう一カ所、ソローの文章を引用します。

 人間を不正に投獄する政府のもとでは、正しい人間が住むのにふさわしい場所もまた牢獄である。