狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

飲み屋は教室だった?

山極寿一・尾本惠市日本の人類学の話をもう一度だけ。

山極氏も尾本氏も、学生時代に、先生と酒を飲みながら議論したそうです。

尾本 (略)今では考えられないでしょうが、我々学生は助手の先生としょっちゅう飲んでいました。とくに渡辺直経(通称直径)さんは、毎晩のように、学生を引き連れては飲み屋に繰り出すのです。でも、単なる吞兵衛の相手をさせられると思ったら大間違いで、そこでは、授業では教えないことを論ずるわけです。

渡辺先生は東大の学生に向かって、《エリートというものは、絶対に威張ってはならない。自分の責任をわきまえ、世の中にいかに貢献できるかを経に考えて実行するのだ。君たちはこれから、東大には残れないだろうから、いろいろな所に行って新しい分野・専門の「レール」を敷きなさい、と》教わったと語ります。

対して山極氏もすごい話を披露します。

山極 それに関しては面白いエピソードがあります。フランスの人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが一九七七(昭和五二)年に初めて来日したとき、ぼくは大学院生だった。ぼくたちはレヴィ=ストロースに付き合って毎晩飲みに行ってたんですが、彼はそこで「フランスの学生は週末にいっぱい酒を飲むけど、君たちは毎晩飲んでる。いったいいつ勉強するんだ」と聞いたそうです。うちの院生たちが「我々が勉強する場所は教室じゃなくて飲み屋です」と答えたら、レヴィ=ストロースは「おお、それはいいことだね」と納得した(笑)

レヴィ=ストロースと毎晩飲むなんて。

尾本 (略)今の学生も先生も飲まなくなりましたね。コミュニケーションはすべてメールで済ましている。
山極 そうですね。本音を語り合えないのが辛い。学生と教員が垣根を越え、互いに罵り合ったりしながら切磋琢磨する機会がないですよね。
尾本 先生は昔に比べて余裕がなくなったのでしょうか。

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私もゼミのC先生とはずいぶんお酒を飲みました。1980年代の後半です。まだ40歳手前だった先生は1年生のころからヤケに厳しかったので、ゼミに集まったのは、先生と喧嘩する気まんまんの十数人だけでした。

文学論や、当時流行していた(レヴィ=ストロースが方法論を確立したとされる)構造主義やポストモダンなどの思想について授業で論争。週に一度の講義が終わっても「延長線だ」と飲み屋に繰り出しました。バイトを入れているヤツはシフトの変更をお願いして参加。口うるさい男どもが煙草を吸いながらビールを飲みます。私は当時、C先生に「大学みたいな安全なところにいて物を言ってもしかたない。大学を辞めろ」なんて言ったらしい。文字通り「罵り合って」いましたね。先生が終電で帰ったあとは誰かの部屋に行って朝まで話していました。あまり量を飲まなかったのかもしれませんが、そのころは酔って頭がボーッとすることはありませんでした。

卒業後、某短期大学のK学長と仕事でお会いしました。K先生の講義を学生時代に1年間聴いていたことを話すと喜んでくださり、「毎日、どこどこの店で飲んでますから顔を出してください」と誘われました。アカデミズムと酒場は親和性が高く、先生と学生のサロンでもあったのだと思います。

私は研究者にならず就職しました(同級生で学者になったのは1人だけです)が、C先生との交流は就職後も続き、現役の大学生や院生たち交えて1年に数回飲みに行ってました。2018年1月にC先生が定年退職されるさいは私が幹事となり、OB・OGによる「定年をお祝いする会」を催しました。80人以上が集まってくれました。

先生がガミガミうるさかったのは我々のときだけだったらしく、先輩後輩ともに「先生が怒っていたんですか」と驚きます。でもね、先生と口喧嘩していた私の同級生はどの学年よりもいちばん頭数が多く、たしか9人が集まったんです。

先生はお元気そうですが、去年からコロナのせいでなかなか集まれません。つまらないなあ。

日本の人類学 (ちくま新書)

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