狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

将棋と私(2)

「将棋と私」といったって、熱中していたのは中1の3学期から高1の夏までなんですが……。

高校1年の夏休みにおこなわれた全国高校将棋選手権の全国大会は東京の晴海のホテルが会場でした。初めての東京です。2泊3日しましたが、東京駅とホテル界隈しか歩いていません。

わが校は、過去に優勝や準優勝をしている高校という理由だけで、我々はざっくりと優勝候補に数えられていたようです。県予選では1勝しかしなかったK田も全勝し、3勝0敗で勝ち進みましたが、初日の最後に私とK田が負け、1勝2敗で敗退。私は接戦でしたが秒読みに追われ、終盤の大事なところで二者択一を読み切れなかったのが残念です。ベスト8でした。あとひとつ勝ったら、当時最強と言われたA布高校と当たったんですけど(おそらく歯が立たなかったと思われますが)、とにかく全力を尽くした感じはありました。

個人戦代表のHも負け広島勢は終了。ホテルの部屋でトランプなどをしていると、コンコンとドアを叩く人がいます。KO高校の人たちでした。「僕たち負けてしまった悔しくて寝られないのでロビーで将棋を指しませんか」と言います。ロビーに下りてみると、女子の部ふくむ数名の高校生が黙々と将棋を指していました。みんな将棋が好きだなあ、とちょっと呆れました。

ところで。高1の1学期、運動がまるでできなかった私が、あることをきっかけに急に100M走が速くなりました(これは以前書きました→ドラえもん、100m、要領の話、その他。 - 狩猟採集民のように走ろう!)。100Mを走り切ってタイムを聞いた瞬間、「ああ、人生は将棋じゃないな」と思ったんです。2年、3年とタイムは速くなり、12秒台半ばで走れるようになります。運動が盛んな高校ではなかったので、学校のトップクラスでした。土曜日などは仲間を集めて草野球・草ソフトボールをやるようになりました。

高1の夏、全国大会で燃え尽きたことで将棋熱は冷めてしまいました。Aも何やら他のことに夢中になった様子。同じメンバーで戦ったのに翌年は県予選決勝で負け、翌々年はなんと1回戦で敗退しました。

もう一度強くなれるチャンスがあるとしたら大学の将棋部に入ることでしたが、将棋に熱中して留年する大学生をたくさん見ていたので近寄りもせず……。将棋を見たり指したりするようになったのは羽生世代が華々しく登場したころです。将棋連盟ではときどきアマ四段で指していました。

ちなみに間接的に将棋班に入るきっかけをつくったK川は水泳班で、高校2年のときに中退して歌手としてデビューしました。お〜も〜にか〜。

おしまい。