狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

NHKスポヂカラ「一本の山道と駅伝の町〜広島 世羅〜」

「一本の山道と駅伝の町〜広島 世羅〜」

たまたま気づいて録画した、NHK『スポヂカラ』「一本の山道と駅伝の町〜広島 世羅〜」が良かった。見逃した方にすすめたいけど、今のところ、再放送の予定はないようです。終の棲家の候補は、広島県なら鎌苅下島かなと考えていましたが、世羅もいいかもなあ。

広島県世羅郡世羅町。人口1万5千人弱の過疎化しつつある町に、駅伝強豪校の世羅高校があります。駅伝強豪校には私立が多いんですが、公立校です。

世羅高校陸上部は町民の誇りであり、全国大会に出場するときには、町民から1千万円の寄附が集まります。外国人留学を受け容れる資金も町民の援助によるものだとか。町には、世羅高校を応援する飲料自販機があります。売り上げの2割が世羅高校駅伝部の資金に充てられるそうです。

とにかく、地域と世羅高校の結びつきの強さが感動的です。コロナの流行により寮生活ができなくなったとき、(たぶん、日本人選手は実家に帰ったのでしょう)ケニア人留学生コスマス・ムワンギを地元の旅館が受け容れた、というエピソードも紹介されていました。

世羅高校と全国高校駅伝

戦後の長距離界は九州と中国地方がリードしました。世羅高校は、1950年にスタートした全国高校駅伝で優勝。第2回も連覇します。

しかし、ずっと勝てない時期がありました。

1974年の優勝を最後に、世羅高は2006年まで勝てなかったのです。ゲスト出演していた青山学院大学の原晋監督は1976年の主将で、2位だったとか。

1965年広島県生まれの私はテレビで世羅高校を応援していましたが、入賞がいいところ。大人は「むかし、世羅は強かったんじゃがのう」と懐古していました。

原氏の1年先輩にあたる岩本真弥監督(現・ダイソー監督、番組にも出演)が就任してから、世羅高の駅伝が強化されたといいます。広島県内から有望な選手を集め、復活した2006年に3区を走ったのが鎧坂哲哉選手(現・旭化成)です。

ネットには「世羅は外国人頼りでアンフェアだ」という意見が散見されます。ルールから逸脱しているわけではないし、日本に順応しながら練習する外国人に失礼だと私は思います。最近のレース展開を見ると、チーム全体が明らかに力をつけています。

一本の道

番組タイトルの「一本の山道」は世羅高校の選手が使うクロカンコースのことです。

往復約5キロのアップダウンを選手は2、3往復するそうです。

何年前だったでしょうか。「駅伝による世羅の町おこしプロジェクトがあり、マスコミ向けのプレゼンが行われます。世羅高が走るクロカンコースを走れるし、旅費・宿泊費は向こう持ちだから一緒に行きませんか」と、とあるラン仲間に誘われました。彼はトラベル関係のライターだったんですけど、私はライターではないから世羅を宣伝できませんし、翌週にフルマラソンを控えていたので遠慮しました。白状しますが、じつはそのとき、「世羅高が使うクロカンコースを走ろう」は「広商のグラウンドで送りバントの練習をしよう」みたいだ、そんなので町おこし出来るのかな、と考えたんです。

すみません、私が愚かでした。

今では、青学を皮切りに、いろんなチームが世羅に合宿していると、番組で紹介されていました。たしかに、宿泊施設ではランナー向けの料理も出たりして、至れり尽くせりでしょう。クロカンコースは「走りの神がいる道」と名づけられたそうです。

「一本の山道」で思い出しましたが、以前、世羅高校は、円谷幸吉のことを歌ったピンク・ピクルス『一本の道』を全員で歌ってから練習すると、何かで読んだ気がするんです[探してみましたが、出典が見つからないので真に受けないでください]。「これから練習しようと意気込んでいるのに、どうしてあんな暗い歌を歌うんだろう」と感じたものです。

なに、円谷幸吉のことをご存じない? 昭和は遠くなりにけり。

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