狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

将棋と私(1)

一度、将棋と自分の話を書いておきましょう。

私は私立の中学高校一貫校に通いました。

1時間以上かけてバス通学していたのでやむなく帰宅部でした。運動全般苦手でしたが野球班(私が通った学校では部といわず班と言ったのです)に入りたかったんです。

将棋班にもすこし興味がありました。でも将棋は頭がいい人がやるもの、という一般的なイメージを私も共有していて敷居が高かった。同じクラスのM谷が「土曜日だけでいいから来なよ」と誘ってくれ、迷っていたところ、運動はできるけどあまり賢くないと目されている同級生K川が「将棋でM谷に勝った」という噂が流れてきました。中1の3学期のことです。K川に「わしも将棋班に入れるじゃろうか」と言うと、「M谷が入っとるくらいじゃけ、入れるよ」という答え。それならば、と入部して土曜日に初めてM谷と指したところ……立て続けに何局も負けました。

K川に負けたM谷に負けた……屈辱的でした。当時の私は負けず嫌いで、それでカッとなってしまいました。実家近くの書店に行き、大山康晴『最近の三間飛車』という本を買いました。いまだに振り飛車党なのは大山先生の影響です。土曜日だけだったつもりの将棋班に毎日通い、腕を磨きました。

当時、他校の同級生には、のちにアマチュア日本一になったM本や、高卒後奨励会に入ったH田ら猛者がいました。私と同じ中学のA本も強かった。デパートの将棋大会では彼らのいずれかが優勝していました。

私は彼らより弱く、せいぜいベスト4止まり。いま考えれば性格が未熟だったのです。終盤はそこそこ強いのに中盤で辛抱できず、自陣を見ずに攻め合いに行き、一手負けになる感じです。将棋も定跡通りに指そうとしてケレン味が足りなかったように感じます。たぶん、いまのほうが強いはずです。

高校1年の夏、全国高校選手権の広島県予選の団体の部に出ることになりました。以前は高校将棋の全国大会はひとつだけだったんです。そのうえ個人の部と団体の部を兼ねることができず、個人戦でも広島県代表になれるかもしれないA本が団体戦に入ってくれたので、「県代表になれるかも……」とは感じていました。私が通った高校はそれ以前に、団体戦で全国優勝を一度達成していて、3年上の先輩は準優勝していました。

ただ、高校1年生のA本と私以外にめぼしいメンバーがいません。A本が、「高校から入ってきたサッカー班のK田という男は福岡出身で、福岡の中学生将棋大会で優勝したことがある」という情報を仕入れてきました。じゃあ、K田をメンバーにしよう、ということになりました。

県予選の少し前、3人で顔合わせしました。正直、「K田が自分より強いとイヤだな」と感じていましたが、福岡県で1位になったとは思えない弱さ。A本にも私にもコロコロ負けます。A本と私は「K田には期待できない。2勝1敗で勝ち上がろう」と約束して県大会に臨んだのでした。

さて、当日。K田は全敗、A本と私が勝って2勝1敗で勝ち上がりました。私は割りきって振り飛車穴熊を指していました。中盤をほぼ互角で乗り切って終盤で競り勝つ作戦です。

ベスト4でついに某大附属高校の3年生チームと当たりました。私たちの先輩に全国大会進出を阻まれてきたメンバーです。前日、将棋道場で会った某大附属高の部長Iさんは私に向かって「今夏、われわれはこの大会に賭けている。自分は浪人覚悟で将棋に打ち込んできた。きみたちの全国大会進出は来年以降だよ」と宣言しました。

私と当たった某大附属3年生の人(名前は失念)は勝ったことのない本格派で、個人戦でも全国大会に行けると言われていました。いやあ、強い。その日も負けてしまいました。A本は勝ちそうでしたが、Iさんと対戦するK田が勝てるはずがない。1勝2敗で負けるでしょう。応援に来ていた先輩に謝罪し、来年頑張りますと言いました。すると、先輩が「まだわからない。黙ってろ」と、K田とIさんの局面を見るよう促すのです。

信じられない展開でした。あの、沈着なIさんの顔が真っ赤になっています。広島の将棋界で見たことのない新人を前に、混乱しているようでした。2人とも悪手の連続です。相手の玉が詰むのに王手飛車をかけて飛車を取る……なんて不思議なことを繰り返します。私はかつてあのような悲惨な戦いを見たことがない(なぎら健壱)です。

なんと、最後にはK田が勝ってしまいました。Aが勝ち、2勝1敗で決勝進出です。

決勝戦ではA本は安定の勝利、私は終盤に逆転して全国大会への進出を決めたのでした。K田は負けましたが、準決勝での奇跡の1勝で充分です。

全国大会出場が決まったときは感激してフワフワしていました。あの幸福感、その後は体験していないような気がします。

…………続くかも。