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『石橋湛山評論集』

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ランニングにも狩猟採集民にも関係ない話ですが……。

石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)

石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)

  • 作者:石橋 湛山
  • 発売日: 1984/08/16
  • メディア: 文庫
 

時事評論集『石橋湛山評論集』を読みました。ジャーナリストであり、のちに総理大臣になった石橋湛山は戦時下でも戦争に反対していた偉い人だと聞いて興味を持っていたんですが、岩波文庫は購入したまま積ん読状態……。ふと手に取って読んでみると、いやはや予想以上に偉い人なのでした。

たとえば、日本がイケイケドンドンの帝国主義だったさなか、満洲や樺太、朝鮮、台湾などの植民地をとっとと手放せと書いています。さすれば日本は東アジアから尊敬され友好関係を結べるうえ、欧米諸国を動揺させ、それらの国だって植民地にしている地域を手放すほかなくなる。いずれ植民地などすべてなくなる運命だ、それならばいちはやく開放して、日本は尊敬を集めちゃえよってね……すごい人ですよ。

大正デモクラシーを支持し、婦人の参政権などにもいちはやく言及しています。戦時中は、検閲をくぐり抜けるためだったのでしょう、情勢を真正面から非難しませんが、変化球を投げています。

戦後、政界に転じたあともリベラルを貫き、GHQに公職追放処分を喰らいました。追放解除のあと、国会運営の正常化、綱紀粛正、雇用の増大、福祉国家の建設、世界平和の確立を謳い、総理大臣の座につきますが、病に見舞われ残念ながら退陣します。

次の総理大臣が岸信介だったというのが日本の不幸の始まりです。石橋湛山は政界引退後も評論活動を続けていて、岸信介や池田勇人内閣の批判もしていました。

読後、孫崎享『戦後史の正体』の石橋湛山評を再読しました。戦後、アメリカに対して「自主路線」を唱えた総理大臣は短命で、「追随路線」であれば長命であると孫崎氏は分析しています。つまり日本の総理大臣はアメリカ様のご意向次第であり、本来権力者が守らなければならない日本国憲法を破ってでもアメリカのケツを舐めていれば(これは宮台真司先生の表現)安泰でいられます。岸信介の孫である現首相は日本国民のことなど全く考えていませんが、まれに見る対米隷従路線だから長命です。石橋湛山政権は「自主路線」派だから短命でした。

孫崎氏は、「自主路線」派の主張のなかでも米軍駐留問題と中国問題が虎の尾だと書いています。たとえば1972年に中国との独自外交をすすめた田中角栄は1976年のロッキード事件で失脚しました。最近では普天間基地問題に口出しした鳩山由紀夫政権が短命に終わっています。

石橋湛山は大蔵大臣だった1947年、まだ占領時代であったにもかかわらず米軍の駐留費削減を要請しましたし、中国やソ連との国交も重視していたのです。虎の尾を踏んだんですね。

孫崎氏が引用するところによれば、春名幹男『秘密のファイル』に「アメリカは、自民党の二代目総裁に『期待の星』岸が選ばれると確信していた。アメリカの失望は大きく、困惑した」とあるそうです。さらに、1956年12月に国務省北東アジア部長パーキンスが、イギリスの外交官に宛てた秘密電報のなかに、「(略)岸が石橋にブレーキをかけることができるだろう。いずれ、最後には岸は首相になれるだろうし、われわれがラッキーなら、石橋は長つづきしない」と書かれているのだとか。

石橋湛山は総理大臣就任直後の1957年2月に肺炎と診断されました。医師団から「肺炎の症状は消えて回復の途上にある。肺炎以外の病気は心配ない。体重の異常な減り方が、肺炎でやせたものとしては理解ができない」と2ヶ月の静養を言い渡された湛山はやむなく退陣します。

とはいうものの、「肺炎は回復しつつある」し「肺炎以外に病気はない」けど、「体重の異常な減り方が、肺炎でやせたものとしては理解ができない」から静養せよ、とは、不思議な話です。石橋はその後も文筆活動を続け、亡くなるのは15年後。孫崎氏は「まったく、一九五七年の病気はなんだったのかと思いたくなります」と書き添えています。それはつまり「自主路線」であった石橋が引退に追い込まれたのはアメリカや岸の工作ではなかったかと、暗に示唆しているのです。

戦後史の正体 「戦後再発見」双書

戦後史の正体 「戦後再発見」双書

  • 作者:孫崎 享
  • 発売日: 2017/11/01
  • メディア: Kindle版