狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『バイコフの森』

バイコフの森 北満州の密林物語

バイコフの森 北満州の密林物語

 

『バイコフの森』にデルスー・ウザーラが出てくるよと教えてくださる方があり、読んでみました。結論から言うと、その方の勘違いだったようです。しかし──自由な狩猟者という意味で──たくさんのデルスーが登場しました。

本書に書かれた人々は私の知りたい狩猟採集民とは違いますが、自然と一体感を持ち、息苦しい階層社会の軛とは無縁だ、という点では共通します。

ニコライ・A・バイコフ(1872〜1958)はロシアのキエフに生まれ、1902年、東清鉄道開通ののち鉄道警備隊の将校であったそうです。東満洲に赴任したさい、ハルピンを拠点として密林(タイガ)に入るようになりました。アカシカ、イノシシ、そして虎などの野獣を狩猟しながら、猟師や原生林に住む人々と交流します。

 密林の住民を、仕事別に分類するならば、次のカテゴリーに分けることができる。すなわち、罠掛け狩人、猟師、紅胡子(匪賊)、砂金採り、漁夫、朝鮮人参掘り、キノコ(おもに「木耳〈きくらげ〉」)採り、それに木挽きである。これらの職業の成員は非常に仲睦まじく暮らしている。彼らの相互関係は、成文律で規定されているのではなく、苦しい生存競争の厳しい条件の中で、生活自体によって定められた慣習によっているのである。

 密林の民は、風変わりな死滅しつつあるタイプの人間であるが、それは文化や文明の影響を受けず、例外的な生活条件によって育て上げられたものである。彼らの心理や物の考え方には、現代の文化人のそれと共通する点が少ない。彼らの肉体的、精神的風貌は、これを取り囲む森林の自然と完全に調和をしているのだ。(略)

思うに、100年前は国家政府が監督できない広大なエリアが世界にたくさん残っていたのでしょう。バイコフも、密林に生きる人々は《わが満洲に残っているばかりではなく、広大な処女林が存在し、文化がいまだ地表から大自然の原始的装飾をはぎ取ってはいない諸国にも存在している》と書いています。密林には脱獄したのち猟師に転じた者も少なくないようです。

満洲東北部にその名を知られた一人の猟師ボボシンはこう語ります。

(略)やっとボボシンが原生林の果てしない大海を指さしながら言った。「あのな、言わせてもらうがな、ほかならんこのおれさまが、ここの親分だぜ! あんた、おれが貧乏だと思っとるんか? とんでもねえ! おれはな、乞食じゃねえ、おれは、金持ちなんだぞ! ここにゃ、おれの家畜がわんさと飼ってある。猪や赤鹿や獐などがだ! おれは、そん中から欲しいだけ取るんだ! 税金なんてものは誰にも払っちゃいねえ! 誰に頭を下げることもなきゃ、誰も知ろうとは思わん! あんたの目に入っとるものはな、みなこのおれのもんだ!」

巻頭「はじめに」(おそらく訳者・中田甫によるもの)と巻末の「絶筆──回想(一九四五〜五六年)」「バイコフを偲ぶ」を読むと、バイコフの晩年はとてもつらいものだったようです。

本書に描かれた20世紀初頭、深い原生林の外は政情が不安定でした。満洲では中露日による覇権争いがあり、ロシアはロシアで革命前夜。政争に破れたバイコフは投獄の憂き目に遭い、生活は窮乏します。1956年、ハルピンからオーストラリアに渡り、58年に亡くなりました。オーストラリアに行く途中で滞留した香港で書かれた「絶筆──回想(一九四五〜五六年)」が悲しい。

 ただ一つ言えるのは、満洲のような、あの豊かな、いまだかつて生活の苦しさをかこつ者もなく、何もかも足り、それぞれが意のままに暮らし、意のままに振る舞ってきた地域が、しだいに荒廃してしまったということである。やがてはこの豊かな地から何もかも失せてしまうことであろう。若い人たちは、昔の満洲ではみんなどんな暮らしをしていたのか、どんなに自由であったのかを知ることすらできなくなるであろう。ただ、前満洲を縦横に渉猟した、年老いた森の漂泊者である作家バイコフの書物を、たまさか手にする者がいて、これを読み終えたならば、北満の全民族の恵まれた生活に思いを馳せ、これを知ることができるであろう。