狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

アルセーニエフ『デルスー・ウザーラ』読了

ウラジーミル・アルセーニエフ著・長谷川四郎訳『デルスー・ウザーラ』上下巻(河出文庫)を読みました。私は「原作を読むまで観ない」と決めている映画がいくつかあり、黒澤明監督『デルス・ウザーラ』もそのひとつです。ちなみに、黒澤作品30本のうち未見は3本で、あとは『續姿三四郎』と『夢』です。

私は世界中の先住民(いちばん知りたいのは狩猟採集社会ですが)に関心があります。ふと、デルスーも狩猟で暮らす少数民族じゃないかと気づき、何年も積ん読だった河出文庫を出してきた次第です。読みはじめたら止まりません。朝5時までかかって読了しました。

ああ、いい冒険小説だった!……いや、これはドキュメンタリーなんだっけ?

アルセーニエフは軍人であり探検家です。軍事上の理由があってのことでしょう、謎多き極東ロシアを探検し、地理のみならず、植生、地形、人口など地誌全般を記録しました。本書に書かれたのは、1902年、1906年、1907年の探検です。日本海をはさんで樺太や北海道と対峙する密林(タイガ)はロシア人にとっては辺境の地だったことでしょう。

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1902年の旅の途中で、30歳のアルセーニエフは53歳のゴリド(ナナイ)人デルスーと偶然出会います。都市生活者が持ち込んだ天然痘により家族を失ったデルスーは、1人密林をさまよいながら狩猟をして暮らしていました。

ゴリドはツングース系の民族。調査した場所には同じツングース系ウデヘ族の人も住んでいますが、中国人や朝鮮人が現地民から土地や財産を奪っていたようです。ロシア協会に反対する〈旧信徒〉のロシア人も点在しています。海岸には日本人も現れていたらしい。

デルスーが調査隊と同行してからの冒険譚にやたらと昂奮させられます。彼はすぐれたハンターであり気象予報士であり名探偵です。景色や鳥の動きから天気をいちはやく察したり、動物や人間の足跡からその場でなにがあったを推理します。アルセーニエフはデルスーの機転がなければ何度も命を落としているはずです。もう一度書くけど、これ小説ではないの?

たとえば、デルスーと2人で野営地を離れ冬のハンカ湖(地図の左下にある大きな湖)を見にいったアルセーニエフはデルスーの忠告を聞かず長く留まったために大吹雪に襲われます。デルスーは機転を働かせてアルセーニエフを守りました。アルセーニエフが感謝を伝えると、デルスーはこう言います。

「わしら、いっしょにいき、いっしょにはたらく。ありがとう、いらない」
 そして話をべつの話題にかえようとするように、彼は言った。
「こんばん、人、たくさん、死ぬ」
 私にはデルスーのいう「人」とは鳥のことだとわかった。

デルスーはアニミズムを信じていて、虎もイノシシもみんな「人」と呼びます。

狩猟採集社会に共通に見られる平等分配をデルスーの行動に認めています。アルニーセフは、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を読んでいたに違いありません。私は未読ですけど。

 午前十時頃、デルスーは肉を運んできた。彼はそれを三等分して、一つを兵士らに、一つを旧信徒に、一つを近所の小屋に住む中国人たちに分配した。兵士らがそれに抗議した。
「いかん」デルスーが反撥した。「わしら、そうできん。みんなにやるんだ。ひとりでみんなとる、わるい」
 この原始共産観念が、彼のあらゆる行為に、いつも一筋の赤い線のように通っていた。自分のとってきた獲物を、彼は民族を問わず、隣人みなに等分に与え、自分はそれと同じ分け前をとったのである。

デルスーの人柄、世界観、宇宙観の大きさに痺れてしまいます。

アルニーセフとデルスーの友情は上下関係がないように感じられます。互いを信頼しあい、ともに歩くのが心から幸せという感じです。1907年の旅のあと、目の衰えを感じるデルスーをアルニーセフはハバロフスクの自邸に連れて帰ろうとします。

これ以上はネタバレになるので書けません。長谷川四郎の訳文も上手い。手の入ってない自然の雄大さもよく伝わり、とても有意義な読書でした。

さて、映画なんですけど……。黒澤明がなぜこの原作に惹かれたか、なんとなくわかります。黒澤作品はジャンルが幅広いんですけど、一貫しているのは──ときにウエットすぎるほどの──ヒューマニズムです。デルスーの純粋で美しい魂に魅了されたのに違いありません。

ロシア映画のためか簡単に見られそうにありません。U-NEXTの黒澤映画でも『デルス・ウザーラ』だけが外れています。