狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

川田順造『「悲しき熱帯」の記憶』

ちゃんとメモしておかないといけないなあ。読んだことを忘れてた!

川田順造『「悲しき熱帯」の記憶 レヴィ=ストロースから50年』を読んだのは、昨年末らしい。著者は人類学者で、レヴィ=ストロースの紹介者でもあります。

文化人類学者にして構造主義の祖レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』で紹介したブラジルのナンビクワラ族がどうなっているか──。川田氏は1984年に彼らを訪ねました。同時に、南米を訪ねたことで見えてきた地球規模の歴史を人類学者の視点で分析しています。

ちなみに、ナンビクワラは雨季の間は焼畑もおこなう狩猟採集民と考えられているそうです。

 ナンビクワラの、物欲にとらわれない淡泊さ、屈折ししたところのない感情の動き、人間関係のざっくばらんさには、その後もいろいろな局面で私は感銘を受けた。男女のセックスも開放的で、男の同性愛もみとめられていることは、レヴィ=ストロースの報告にもある。西アフリカ農耕民の、それも王さまなどがいて入り組んだ組織をもち、人間の感情も屈折に屈折を重ね、儀礼や婉曲な表現にみちみちている社会と長くつきあってきた私にとっては、ナンビクワラの単純素直な感情生活は、新鮮な衝撃であった。(72ページ)

おそらく、川田氏も狩猟採集民におおよそ共通している生活様式を認めています。《きまった挨拶》がない。《日常生活での「きまり」》もない。《(略)生活にきまりというものがないから、子どものしつけもやかましくなさそう》である。《月や年の観念はなく、》《数は三までであとは「たくさん」になるので、四年以上の年は数えられない。もちろんいま生きている大人の年齢は一切わからない。》など。

時間の観念がない彼らは《脱クロノス人間》だと著者は言い、「年寄りじみた人間」が見あたらないこと、年長者が率先して働いていることに驚いています。

 こういう社会を見ると、体力的に衰弱した老人が、経験と分別と金力で政治の実権を握っているわれわれの国家が、情報や技術の麵では若者追い上げ型社会に見えても、やはり老人支配(ジェロントクラシー)なのだということを、改めて思い出させられる。

自民党・二階俊博元幹事長は、驚くなかれ、5年間で50億円もの政策活動費をもらったそうです。何に使ったんでしょうか。──おっと、脱線しました。

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本書の話題や考察はナンビクワラに限らないのですが、長くなるので触れられません。

文庫版あとがき(2010年)には、レヴィ=ストロースの埋葬について書かれています。

2009年10月30日、レヴィ=ストロースはパリの自宅で亡くなります。享年100歳。遺体は別邸のあるリニュロール村に運ばれ、11月3日にひそかに埋葬されました。懇意にしていた村長は、村民に「レヴィ=ストロースが埋葬されることは口外しないでほしい」と協力を仰ぎ、村民は秘密を守りました。同日午後、新聞社にレヴィ=ストロースの死去を通知。翌4日、各紙は一斉に特集を組みます。

葬儀を終えてから死を公表するのは、生前、レヴィ=ストロースが夫人に伝えていたことでした。なぜ、こんな手順を踏んだのでしょうか……。

前年、100歳の誕生日を迎えたとき、レヴィ=ストロースが何度も断ったにもかかわらずサルコジ大統領が勝手に自宅に押しかけ、写真を新聞に掲載しました。サルコジは文化に疎い自分のイメージを、レヴィ=ストロースを利用して高めようとしたらしい。

死んだあと政治利用されることを危惧したレヴィ=ストロースは国葬を回避したのでした。サルコジは不満だったらしく追悼の談話さえ出さず、大統領府からみじかいコメントが発表されただけでした。

──見事な死に方ではありませんか。

1月のラン

目標達成。120kmですけど……。

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現在、妻と義兄は、私にとっての義父母の介護でバタバタしております。前にも書きましたが、年末年始は、私も緊急入院した義母や、施設から実家に一時帰宅した義父の介護の手伝いをしていました。

1月1日は、午前1時くらいに妻の実家を出ました。近くから何台もの消防車のサイレンが聞こえてきました。「正月から火事か」と妻と話しながら大通りに出ました。

タクシーで南下し、京王線沿線の駅に着きました。

スマホで、30分ごとに深夜運行している京王線は、人身事故でダイヤが乱れているとのこと。12月31日23時59分に起きた事故に遭ったひとが亡くなったのだとしたら、あと1分で新年というときになんということか……と考えながら、何十分も待つ覚悟で改札を抜けますと、遅延している電車がまさに発車するところでした。事故のおかげで待たずに済んだなんて、かなり複雑な気分です。

翌朝、練馬区で消防車が走っていたのは隣町で火事が起きたからだと知りました。住宅7棟が延焼したとの由。

午後、妻とともに入院している義母を見舞いました。帰宅して、地震が起きたニュースに気づきます。東京も揺れたらしいけど、電車に乗っててわかりませんでした。

2日は妻の実家で義父の介護を。帰宅途中、羽田の事故を知りました。

──正月らしさがいっさいない年始でした。

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そんな感じで、最初の2週間は20kmしか走っていません。15日〜29日の15日で100km稼いだので、2月は月間200km走るぞ、と宣言したいところですが、ひとまず150kmといたします。体重は少しずつ落ち始めた感じです。

亀井伸孝『森の小さな〈ハンター〉たち』

バカ・ピグミーの子どもの遊びを研究した亀井伸孝『森の小さな〈ハンター〉たち』を昨年12月に読みました。「ヒューマニエンス」という番組の「遊び」の回で、たまたま亀井氏を見て、「買ったまま読んでなかった」と積ん読本から抜き出してきたのです。

日本の人類学者が、カメルーンのバカ族の子どもに弟子入りし、日々の遊びを観察・分析した本です。著者はスケッチが上手く、子どもと仲良くなるのに役立ったらしい。

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エリザベス・M・トーマスは、クン・ブッシュマンの次のような遊びを書き残しています。亀井氏のレポートによると、バカ・ピグミーの子どもは学校でサッカーなどをすることもありますが、《集落や森で見られる遊びの中に、このような競争性の高いゲームを見いだすことはまれ》だったそうです。

少年たちは細長い棒を地面の小山に投げつけ、つれがはね返って、向こう側の草地に飛びこむところを見定めるという遊びをした。誰の棒がいちばん遠くまでとんだかを知りたがる点で、これはブッシュマンの遊びの中で最も競技に近いものといえる。

すなわち、たいていの遊びは「競技」とほど遠いということです。

エルマン・サーヴィスは、首長制社会では、戦争とともに、ボクシング、サッカー、レスリングなどの対抗競技が見られると書いています。勝ち負けが重要になるのは、所有権を争いはじめてからなのかもしれません。

もしかすると、狩猟採集民の遊びに「競う」要素は滅多にないのかな(優劣をつけないように抑制している?)と考えていたんです。本書にもあるとおり、カイヨワが挙げた遊びの四つの要素は、「競う」「模擬」「運」「めまい」ですが、「競う」はじつは遊びの要素ではなかったんじゃないか……。ところが、著者は、子どもが狩りや釣りをするさい、小動物や魚と知恵比べ(=競争)しているのだと書いています。なるほど、そういう見方もあるか。

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さて。
観察と分析の結果、亀井氏は、子どもは、生まれながらにして以下の能力を備えていると考えられると結論づけています。

  • 集団作りの力=集団に参加したいと欲し、その一員となる能力
  • 遊ぶ力=活動に内在する遊戯性を認識し、再現する能力
  • 物事を二つに分ける力=性別二項対立を認識し、再現する能力

この三つの性質があらかじめ備わっていれば、子どもは自発的に性別に割り振られた生業活動の集まりに加わり、面白さを見つけて楽しみ、やがてそれらの活動を担う成員となります。つまり、狩猟採集民の生業文化が再生産されるのです。

ヘヤーインディアン(北米のイヌイット)の社会には「Learn」という言葉がないと、人類学者・原ひろ子が書いています。

つまり、「教える」なんて行為は昔はなかったんでしょう。「学ぶ」は「真似ぶ」だなんて言い古されたこと書いちゃいますが、それはきっと正しいのです。子どもたちは狩猟も採集を真似して遊びます(たいして成果は上がらない)が、楽しいからやっているだけで、強制はされません。

著者が見た集団は農業も少しやっています。狩猟採集と違い、農耕は遊びの要素が少ないのでしょうか。《農耕だけは、子どもが自発的にそれを再現する遊びを構成しない生業活動》であり、連れられた子どもは休憩や間食の余暇的行為によって引き留められていたそうです。

フランス人が森に学校を建てたけど、バカの子どもたちにとっては遊び場の一つらしく、近くの農耕民の子どもと違って、すぐに通わなくなってしまうようです。では、現代人はなんのために学校に通うのでしょうか。

コリン・M・ターンブル『森の民』

コリン・M・ターンブル『森の民──コンゴ・ピグミーとの三年間』(筑摩叢書)。

自然と一体となって暮らす人たちの話は心地良い。ほかの狩猟採集民の民族誌もそうですけど、何百万年もかけて醸成された、社会を平和に維持する知恵を感じます。

この本は、コンゴの森に棲むバムブティ(ムブティ)・ピグミーの民族誌です。1950年代、ターンブルは、ピグミーの正確な生活や儀式を記録し、歌を録音しました。

ピグミーには、フィルムでは捉えがたい興味深さがあるし、彼らの妙なる音楽は、とうてい録音では伝えきることができない。彼らは、苦労や悲劇が相次いで起ころうと、生活をきわめて意義あるものとし、人生を喜びと幸せに満ちあふれた、心配事にわずらわされない、すばらしいものにしてくれる何ものかを、森の中に見出している民族なのである。

(文末のリンクは、ターンブルが収拾した曲のひとつ。「雪よ岩よ我らが宿り俺たちゃ町には住めないからに」の『雪山賛歌』にそっくりでしょ)

ピグミーたちは定住した農耕民とも交流しています。村人はピグミーをしたがえているふりをしますが、森を知悉する彼らに怖れを抱いています。ピグミーも心得ていて、村人に面従腹背しつつ、肉を与える代わりに相応以上の見返りを要求します。したたかなのです。おそらく、1万年くらい前から、狩猟採集民、遊牧民、農耕民、小国家の人々らは、駆け引きしながら交流していたはずです。

ピグミーの工夫に富んだ生活術には、いちいち心を打たれます。書けば長くなるので、本書に記された最大のトラブルだけを紹介しましょう。

少々変わり者のセフーとその一家は、血縁集団と少し離れたところに小屋を建てていました。ある日、みんなが仕掛けた罠(網)の前に網を置いて獲物を一人占めしたセフーは、非難されても「自分がこの集団の首長だ。獲物は俺のものだ」と言い張ります。怒った集団の人たちは「われわれに首長はいない」と、全ての肉を奪い取りました。

セフーは空腹を訴え泣き叫びます。それを掻き消すように、みんなが宴会を始めました。しばらく歌って踊っていると、一人の男が立ちあがります。

マシンは食事をすませると、妻の料理した肉とキノコのソースを鍋に一杯つめて、暗闇の中に、彼の不幸な縁者のいる方向にこっそり姿を消した。[セフーの]嘆きの声がやんだ。そしてモリモ[=歌]の合唱がたけなわになったとき、私は男たちの真中にセフーの姿を見出したのである。(略)それは、彼もまた他の皆と同じように正真正銘のバムブティであることを意味していた。 *( )は引用者。 

無文字社会に明文化された法律はないけど、みんなで仲良くやろうという意志があり、きわどく平衡を保ちながら協働生活をしているのです。このエピソード、大好きだなあ。

鶴見済『0円で生きる』

なにかの本で紹介されていた鶴見済『0円で生きる』(新潮社)を読みました。サブタイトルは、「小さくても豊かな経済の作り方」です。

著者はなるべく金を使わない生活を実践している人なんだろうか……ただの実践者にしては、経済や人類学の専門書などの引用も多くてよく勉強しているなと読み進めているうち、思い出しました。『完全自殺マニュアル』を書いた、東大卒のライターとのこと。本のどこにもプロフィールが書かれていないのです。

前著『脱資本主義宣言』の実践編がこの本らしい。シェア、贈与、相互扶助などの方法が具体的に書かれています。知らないことも多く、勉強になりました。 

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贈与のわずらわしさにも触れられていました。「出産祝いをもらったので半返ししなきゃ」みたいなつき合いはたしかに面倒くさい。

ただ、太古の昔より人間社会にギフトがあったと書くのは少し違うんじゃなかろうか。トロブリアンド諸島のクラや、インディアンのポトラッチは贈与として有名ですが、所有の概念が生まれた首長制社会で行われるものです。

私が読んでいる狩猟採集社会では贈与に対する返済義務はありません。なんでもみんなで分配し、「誰がより多くあげた」という計算をしないのです。そもそも、モノや数えたり量を量る道具(数字)がない。もらったほうは「ありがとう」とも言いません。

「出してない人から年賀状が届いちゃった」というだけで気持ちに負担が生じる現代より、私はそちらのほうがいいなあ。

ケイレブ・エヴェレット『数の発明』

最近読んだ本から。

ケイレブ・エヴェレット『数の発明』(みすず書房)を読了しました。著者は、『ピダハン』を書いたダニエル・エヴェレットの息子で、父親同様、人類学者・言語学者です。幼いころは一家でアマゾンの狩猟採集民ピダハン族と暮らしていました。

本書では数に関するさまざまな話題を紹介しています。たとえば、クレバー・ハンス(計算ができると有名になったドイツの馬→Wikipedia賢馬ハンス)の話が紹介されるなど、雑学本ふうな楽しみ方もできます。

著者の主眼は、数の誕生は手の指と関係があること、数字は文化や言語によって違いがでること、かな。世界には10進法のほかに、6進法、12進法、20進法などがあるそうです。12進法は親指を握ってグーをつくると4本の指の関節が12に分けられるから、らしい。もう一方の5本の手と12の関節を組み合わせると60進法になります。 20進法は両手両足の指の数でしょう。栽培するヤムイモが一株6個ずつだから6進法を採用した農耕民もあります。先進国がすべて10進法とも限らないそうで、フランス語は20進法が「ほの見える」らしい。たとえば、99は、quatre-vingt-dix-neuf(40×20+10+9)と表され、20進法と10進法がまざっています。

おっと、狩猟採集民の話を書かねば。

大脳の頭頂間溝(IPS)は数処理をする場所で、どうやら、「1、2、3」までは生まれつき処理できるそうです。赤ちゃんも簡単な足し算・引き算(1+1、2-1など)ができると、学者の間ではほぼ認められているんだとか。なんと、生後平均49時間の乳児を調査したところ、すでに「ざっくりした数(4と12のどちらが大きいか、など)」は理解したといいます。

ピダハンはじめ多くの狩猟採集民は「3」までしか数詞がありません。カバー写真の、骨に刻まれた線は、数万年前、月の満ち欠けを記録したものと思われますが、数字で数えていたわけではないようです。

ほぼ一万年前、農耕が始まりカレンダーが必要になりしました。書き文字はメソポタミアと中央アメリカ、中国、エジプトで独自に発生し発展、もっとも古い書き文字は、おおむね数に関するものだったそうです。私は、収税のために発達したんじゃないかと邪推しています。数字なんてなかったら、住所なんてなかったら、国なんてものにカネを収奪されなくてすむのです(いかん、狩猟採集社会のことを学んでいると、どうしてもアナーキズムに染まってしまう)。

私が小学生のころ、「どこどこの未開社会では、3までしか数えられないんだって。1、2、3、いっぱい」と誰かが言い、みんなで未開社会の人々をバカにしました。しかし、今や私は、文明を知らない社会が現代社会より劣ってないことを知っています。著者も、さすが狩猟採集民と育っただけあり、西洋中心主義にきちんと異を唱えていました。立派な学者に育って、おじさんうれしいぞ。

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【余談】数は、文化と言語の習慣とともにあるが、時間の流れも同じだという話。

「過去」は、あなたの前にあるか、後ろにあるか? 多くの人は、過去は背後にあると考えるでしょう。「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という詩もあれば、「過去を振り返る」という表現もあります。ところが、南米インディオのアイマラ族など、いくつかの言語では、過去が話者の身体の前にあるそうです。

では、左右と時間について。時間は右から流れるか左から流れるか? たいていの文化で、時間は左から流れます。カレンダー、YouTubeの再生バーなどを見よ(日本の縦書き年表は右からだけどね)。たとえば、バナナの皮を剝いて食べている様子を連続写真にして並べさせると、たいていの人は、最初の写真を左に置きます。しかし、オーストラリアのターヨーレ族の人々は、連続写真を太陽の動きにしたがって東から西に向けて並べるそうです。つまり、真南に向いている場合、最初の一枚を右から置くことになります。 

新年とっくにあけました。

1月最初の投稿です。とっくにあけました。

120kmを目標にした12月のラン。12月10日に、れいわ新撰組主宰の増税反対デモ──昨年は、10回くらいデモに行きました──で、渋谷の車道をごくごくゆっくり1時間歩いたのがいけなかったか、急に両膝が痛くなりました。こんな痛みは珍しい。一時期、歩行もつらかったくらいでした。12月21日にラン再開。9kmゆるジョグしたのを皮切りに、10kmくらい走るのが苦でなくなりました。27日までで、12月累計89kmとなり、「残り4日で31km走れば、12月の目標120kmいけるじゃん!」と思ったのですが、間接性肺炎を悪化させた義母が緊急入院。施設に入っている義父も妻の実家に一時帰宅するなど、介護の手伝いや見舞いに行かねばならず、結局89kmのままでした。情けない。

1月になっても、介護や見舞いは続いて正月気分ではありません。1日にお雑煮を食べましたが、それ以外に正月らしいことはしていません。能登の地震もありましたし。

明けて最初の2週間ではたった20kmしか走っていません。やっと落ちついた15日から再スタート。21日までで、1月累計67kmです。あと10日あるので、今月こそ120km走ります。

体重はなかなか落ちません。妻が毎日のように実家に行っているため、食生活は乱れがちです。炭水化物は多めだし、時間も不規則。

本は読んでます。人類学関係の本については明日からいろいろ書く予定です。

今年もよろしくお願いいたします。