狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

ケイレブ・エヴェレット『数の発明』

最近読んだ本から。

ケイレブ・エヴェレット『数の発明』(みすず書房)を読了しました。著者は、『ピダハン』を書いたダニエル・エヴェレットの息子で、父親同様、人類学者・言語学者です。幼いころは一家でアマゾンの狩猟採集民ピダハン族と暮らしていました。

本書では数に関するさまざまな話題を紹介しています。たとえば、クレバー・ハンス(計算ができると有名になったドイツの馬→Wikipedia賢馬ハンス)の話が紹介されるなど、雑学本ふうな楽しみ方もできます。

著者の主眼は、数の誕生は手の指と関係があること、数字は文化や言語によって違いがでること、かな。世界には10進法のほかに、6進法、12進法、20進法などがあるそうです。12進法は親指を握ってグーをつくると4本の指の関節が12に分けられるから、らしい。もう一方の5本の手と12の関節を組み合わせると60進法になります。 20進法は両手両足の指の数でしょう。栽培するヤムイモが一株6個ずつだから6進法を採用した農耕民もあります。先進国がすべて10進法とも限らないそうで、フランス語は20進法が「ほの見える」らしい。たとえば、99は、quatre-vingt-dix-neuf(40×20+10+9)と表され、20進法と10進法がまざっています。

おっと、狩猟採集民の話を書かねば。

大脳の頭頂間溝(IPS)は数処理をする場所で、どうやら、「1、2、3」までは生まれつき処理できるそうです。赤ちゃんも簡単な足し算・引き算(1+1、2-1など)ができると、学者の間ではほぼ認められているんだとか。なんと、生後平均49時間の乳児を調査したところ、すでに「ざっくりした数(4と12のどちらが大きいか、など)」は理解したといいます。

ピダハンはじめ多くの狩猟採集民は「3」までしか数詞がありません。カバー写真の、骨に刻まれた線は、数万年前、月の満ち欠けを記録したものと思われますが、数字で数えていたわけではないようです。

ほぼ一万年前、農耕が始まりカレンダーが必要になりしました。書き文字はメソポタミアと中央アメリカ、中国、エジプトで独自に発生し発展、もっとも古い書き文字は、おおむね数に関するものだったそうです。私は、収税のために発達したんじゃないかと邪推しています。数字なんてなかったら、住所なんてなかったら、国なんてものにカネを収奪されなくてすむのです(いかん、狩猟採集社会のことを学んでいると、どうしてもアナーキズムに染まってしまう)。

私が小学生のころ、「どこどこの未開社会では、3までしか数えられないんだって。1、2、3、いっぱい」と誰かが言い、みんなで未開社会の人々をバカにしました。しかし、今や私は、文明を知らない社会が現代社会より劣ってないことを知っています。著者も、さすが狩猟採集民と育っただけあり、西洋中心主義にきちんと異を唱えていました。立派な学者に育って、おじさんうれしいぞ。

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【余談】数は、文化と言語の習慣とともにあるが、時間の流れも同じだという話。

「過去」は、あなたの前にあるか、後ろにあるか? 多くの人は、過去は背後にあると考えるでしょう。「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という詩もあれば、「過去を振り返る」という表現もあります。ところが、南米インディオのアイマラ族など、いくつかの言語では、過去が話者の身体の前にあるそうです。

では、左右と時間について。時間は右から流れるか左から流れるか? たいていの文化で、時間は左から流れます。カレンダー、YouTubeの再生バーなどを見よ(日本の縦書き年表は右からだけどね)。たとえば、バナナの皮を剝いて食べている様子を連続写真にして並べさせると、たいていの人は、最初の写真を左に置きます。しかし、オーストラリアのターヨーレ族の人々は、連続写真を太陽の動きにしたがって東から西に向けて並べるそうです。つまり、真南に向いている場合、最初の一枚を右から置くことになります。