狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『「山奥ニート」やってます。』……自由とは何か?

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石井あらた『「山奥ニート」やってます。』が面白かった。哲学書ですね。よくテレビにも取材されていて、先日も放映されたようです。私はラジオ派なので見逃しました。

すみません、いきなり脱線します。

角幡唯介さんの探検や著作は他人に多大な影響を与えているはずで、だからインタビューをしているんじゃないかと思うんですけどが、氏の探検を「社会の役に立ってない」と判断するこの記者の「社会への還元」って何でしょうか。もしかして、既存の資本主義システムを是認し、歯車になることなのかな?

文学部不要論が唱えられたり、コロナによる公演の中止などで困っている演劇や音楽関係者に休業補償がされなかったりする理由と同じかもしれません。資本主義社会システムの即戦力にならない虚業を蔑む風潮がある気がします。てやんでえ、歌やダンスや語りなどの文化は、国家や経済や科学よりずっと古いんだぞ。

社会システムにあまり寄与しないという意味では、ニートという人々も「社会の役に立ってない」ことになるのでしょう。

『「山奥ニート」やってます。』の著者・石井氏は、20代のとき、あるきっかけでニートになりました。彼はひきこもっている若者を山奥の限界集落に住まわせるNPO法人のプロジェクトを知り、もうひとりのニートと2人で暮らしはじめました。ところが、数日後、NPOの代表が亡くなり、支援を受けられなくなります。さらに、共同生活する家を借りられなくなり、引っ越ししなければならないことに……。

彼らはネットを使って自分たちの生活を発信し、仲間を集めます。社会に溶け込めなかった人たちが徐々に集まり、5年たった今、互いにあまり干渉しないかたちで15人が暮らしているとのこと。彼らはおじいさん・おばあさんの手伝いはじめ、単発もしくは短期のバイトをして小遣いを稼いでいます。光熱費込み月2万円あれば生きていけるようです。山奥とはいえネットもテレビもあり、アマゾンに注文した品物もちゃんと届きます。石井氏は当地で知り合った女性と結婚したそうです。

もちろん山を下りる人たちもいます。労働時間が短く、自然のそばでその日暮らしをし、人間関係がまずくなったら集団から離れる──まるで狩猟採集生活ではないですか。女性初の山奥ニート・ももこさんは、共同生活をしているを家族でも友だちでもなく、動物的な「群れ」みたいだと表現し、こう続けます。

太古の人間はこんな感じで、狩猟に行く人もいれば、残って料理する人もいれば、何もしない人もいたと思うんです。お金とかない時代だからそれでいいんだと思うし。

ところどころ、著者・石井氏の文章にはグッとくるフレーズがあります。たとえば、今の住み家を提供してくれている潤さんとの会話。

 潤さんはことあるごとに、こう言った。
「ここでは、自由にしてください」
 自由って言葉には、どこか嘘くさい響きがある。
 自由競争、自由意志、自由業、自由民主党……。
 それは、自由といいうものは、いつだって条件付きで、本当に自由じゃないからだ。
 でも、潤さんが言う「自由」が、本物の自由のことだと気づくまで、そう時間はかからなかった。

角幡氏にインタビューした記者が同じ質問を著者・石井氏にぶつけたら、どうでしょう?「あえて意地悪な言い方をしますが山奥ニートは社会の役に立ってないのでは」

「そんな生き方けしからん!」って言う人が多いのは知っている。
 僕らみたいなのが増えたら、自分が儲からないからそう言うんだ。「俺のためにもっと働け!」って言ってるようにしか聞こえないよ。

その通り。資本主義は搾取される奴隷が必要なのです。植村邦彦『隠された奴隷制』にもそう書かれていました。山奥ニートは奴隷をやめてゾミアに逃れた自由人かもしれません。ニートが社会に益することのない落ちこぼれだと感じるあなた、どっちが人間らしいか、わかりませんよ。

いい家に住みたい、バリバリ稼ぎたい、高級車に乗りたい、いい女と高級レストランでデートしたい、ブランドの服着たい、いい時計を嵌めたい、消費していれば資本主義社会はどんどんパイが拡大し景気が好くなる……なんて全部刷り込みじゃないかと思う昨今です。

「山奥ニート」やってます。

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