狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

原田信男『歴史のなかの米と肉』

しばらく前に買った原田信男『歴史のなかの米と肉 食物と天皇・差別(平凡社ライブラリー、2005)を通読。なぜ読もうと思ったのか、にわかに思い出せませんが、予想した数倍も刺激的でした。米と肉が日本では対立概念であり、差別を作ってきたのだという壮大な内容です。引用される史料や参考文献が膨大で、圧倒されます。索引があるところも親切。

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もともと上代では、天皇も狩りをして獣肉を食べていました。

律令国家ができるころ(天武・持統あたり)、殺生を禁じる仏教の影響などもあり、肉を穢れとみなすようになりました。肉食禁止令が出たのが675年のことです。

米が浄く、肉が不浄だとする概念が生じました。 税は米であったため、為政者は肉食のタブーを浸透させる必要があったのです。結果、肉や死にかかわる人々をことさら蔑視することになります。本来、弓矢で狩猟していた武士まで米を重視しはじめました。(建前では肉食はしませんが、薬などと称して食べていました。)

中世日本では、天皇は大嘗祭で、村落は宮座で五穀豊穣を祝う神事を行ないました。両者の間には幾層もの儀式があったそうです。古くは、貴族の大饗の宴では武士に下しものが振る舞われます。部屋住みの武士であっても地方では有力者として従者に宴を開きました。鎌倉期の垸飯(おうばん)では将軍と御家人の共食儀礼により身分の再確認がなされます。室町期の将軍と大名の御成は在地領主クラスの間接的参加があり、在地領主が地方で催す饗宴では、支配下の農民に饗膳が振舞われました。

こうした儀礼を通じて、天皇・貴族・寺社・(荘園領主)・将軍・大名・在地領主・農民といった位階意識があまねく浸透したということです。

著者によれば、歴史的に肉食のタブーと差別意識が完成するのは江戸期だそうです。

日本の為政者から距離を置いていたアイヌや琉球では肉食が禁止ではなかったとのこと。差別もなかったとも書かれています。私は当然、アイヌや琉球みたいな社会のほうが好きです。

明治になって、みんなが公然と肉を食べるようになりました。とはいえ、天皇と米、被差別民と肉、という意識は今の日本人にも影響を与えています。肉は食べるけど、殺したり解体するシーンを多くの日本人は見たことがありません。

そして、天皇も被差別民も現存します。現在の日本の親方はアメリカで、日米経済摩擦による米市場開放や牛肉自由化がおこなわれましたが、いまだに天皇は新嘗祭をおこなっています。天皇が日本の象徴であるなら、階層社会のシンボルなのかもしれません。

農本主義的左翼評論家であった村上一郎がしばしば引合いに出した、ある碩学の「日本人が正月にモチを食っている限り、天皇制は御安泰だ」という表現は、決して誇張ではなく、おそらくは天皇という問題の本質を衝いた、きわめて上質の隠喩とすべきであろう。

と著者は書いています。なるほど、そんな見方もできるのでしょう。本書はこう締め括られます。

比喩的に言えば、被差別部落の問題が解消されない限り、古代律令国家の形成期に始まった米と肉の問題が、日本史上で完全に消滅した、と見なすことはできないのである。

『菊と刀』に、日本は世界中でいちばんのカースト社会だとありましたが、千年以上かけて醸成されたんですね。むむむむむ……根深い。