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間永次郎『ガンディーの真実』1/2

あたくしは、反権力について考えています。ガンディーの非暴力不服従とはどんなものだったか、知りたくなりまして、ちょうど書店で『ガンディーの真実 非暴力思想とは何か』というタイトルの本を見つけたのでした。

まず、ガンディー(1869〜1948)の非暴力思想は、必ずしも「絶対に手を出さない」という意味ではなさそうです。ガンディーは、1920年、こんなことを話しているそうです。

もし臆病か暴力のどちらかしか選択肢がないならば、私は疑いなく暴力を選ぶように助言するでしょう。[……]私はインドが臆病な姿になって不名誉を被るのを大人しく見るぐらいならば、名誉を守るために武器を取るように勧めます。

《ガンディーは生涯の中で、幾度となく、自らの「非暴力」の意味を無抵抗(厳密には「受動的抵抗(passive resistance)」)と混同されそうになった時、非暴力は「臆病」とは異なることをはっきりと断言した。加えて、重要なポイントは、非暴力とはあらゆる力の否定とも異なることなるということである。》

《さらに、私たちは非暴力という思想を、専ら政治的なものであると考えがちである。ガンディーの非暴力は歴史書の中でも、ほとんどの場合、反英独立運動の文脈でのみ言及される。しかしながら、ガンディー自身は、非暴力を食・衣服・性・宗教といった一般的に人々の私的なものとされる関心事にも繫がる主題として語っていた。》

本書では、ガンディーの「サッティヤーグラハ」(真実にしがみつくこと)すなわち《自らが「真実」だと思う信念に決して妥協を許さないという断固たる意志・実践》について考え抜きました。

たとえば、「食」について。ガンディーのカーストはラクト・ヴェジタリアン(乳製品は摂取する菜食主義者)でしたか、動物はもちろん植物を食べることも暴力だと考えたガンディーは、南アフリカで活動した21年間、果実ばかり食べたといいます。味覚があるから旨い物を食べたくなるのだと考えて調味料も断ちましたが、のちに塩だけは身体のために必要だと考えたようです。

インド帰国後は、南アフリカ時代のようにフルーツが豊富ではなく、菜食主義者になります。ただし、これは食事に限らないのですが、ガンディーの考えは必ず遂行されたわけではありません。搾乳時に乳牛は痛みを感じると知り拒否したミルクを、ガンディーは結局やめられなかったそうです。

ガンディーに影響を与えたのはヘンリー・デイヴィッド・ソローやレフ・トルストイで、トルストイとは手紙を交わしていたんだとか。全然知らなかった。

読めばわかるとおり、ガンディーの思想には綻びもあり(エッチはダメだなんて、ガンディーさん、あんまりよ)、また、家族は彼のことを快く思っていなかったようでもあります。著者はガンディーの抵抗を《批判的に継承していくこと》が大切だと書きます。公民権運動の指導者マルティン・ルター・キング、『スモール・イズ・ビューティフル』のE・F・シューマッハー、政治理論家ジーン・シャープらが、まさしくガンディーの思想的批判によって「ガンディー主義」を継承しているのだとありました。

ちなみに、ガンディーは1日10〜12マイル(16〜19km)のウォーキングを日課にしていたそうです。1930年3月12日〜4月5日にかけて、イギリス政府の塩税に反対する有名な「塩の行進」が行われます。241マイル(約388km)を徒歩で行進する、集団的不服従の運動でした。ガンジーは当時60歳でしたが、行進は子どもの遊びだったと述懐しているらしい。