狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

平和公園の直線

9月1日から4日にかけて、広島と大阪に行きました。今回は広島の話です。

昨年、こんな記事を書きました。

丹下健三は、平和記念公園の資料館、慰霊碑、原爆ドームなどを一直線上に配置し、さらにその直線を北の方にまで伸ばそうとしていました。旧広島市民球場が一部遮っていたのですが、そのラインを意識した形で遊歩道が整備されることになりました。

このたび、広島に一時帰省したので、この直線を確認しに行きました。遊歩道の消失点に原爆ドームが見えます。

2枚目の写真は、逆から見た風景です。ゾッとしました。

1994年に建てられた広島県立総合体育館の屋根が階段のような形状になっていて、この直線がずっと先まで続くように見えたからです。設計した人物がわからないのですが、丹下健三の直線を意識していたことは明らかです。

前回書いたとおり、1940年代に「大東亜建設忠霊神域計画」なるものがありました。東京から富士山麓に向けて大東亜道路を造り首都機能を分散させる壮大な構想で、富士山麓には丹下健三デザインによるシンメトリーなモダニズム風の神社を建築する予定でした。

結局、計画は幻と終わりましたが、スケールは小さくなったものの同じ構想を丹下は広島で実現します。大東亜建設忠霊神域計画と近い構想であると早くから批判されていたらしい。帝国日本的シンボルが、人類の平和の象徴たるべき施設に変身したというオーウェル的な皮肉は、原爆記念公園が平和記念公園と呼ばれるのと相似をなしています。

あの直線は「平和軸の継承」という名前だそうですが、歩いている道が総合体育館の屋根によって延々と続く参道のように見えたとき、私には「皇国日本軸の継承」に見えてしまったのです。

 

↓ 参考にした本。