狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

オダサク文学散歩

9月3日(日)に、広島から大阪へ。新大阪から梅田に行きました。人が多いのう。

いま、大阪と資本主義に関する大著を断続的に読んでいて、1章ごとに関連する書籍や映画をあたっています。暑い暑い真っ昼間、地下鉄・谷町四丁目駅で降りて大阪歴史博物館へ。……難波京のことは面白かったけど、まあ、行っただけです。

日中は、織田作之助文学散歩です。電車に乗り、谷町九丁目駅へ。

まずは生國魂(いくたま)神社で織田作之助像を拝見。(最近よく思うんですが、鳥居をくぐるさい、みんなお辞儀をするんですね。私の若い頃はそんなことしなかった。参道の真ん中は神様の道だから歩くなとか、二礼二拍手なんとやらとか、おそらくここ数十年で広まった謎の伝統でしょう。私と、ホテル帰りらしいカップル──周辺はホテル街だったんです──はそんなことしなかった。カップルは、コインパークの近道として神社のなかを通過していた模様です)

オダサクは、生國魂神社近くの河童横町(ガタロよこちょう)で育ちました。

大阪メトロ谷町線を挟み、東側は高台、西側は下り坂になっています。ガタロは、戦前その高台にあった貧乏長屋でした。上町台地が下町だと、オダサクも書いています。

 大阪は木のない都だといはれてゐるが、しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついてゐる。
 それは生国魂神社の境内の、巳さんが棲んでゐるといはれて怖くて近寄れなかつた樟の老木であつたり、北向八幡の境内の蓮池に落(はま)つた時に濡れた着物を干した銀杏の木であつたり、中寺町のお寺の境内の蝉の色を隠した松の老木であつたり、源聖寺坂や口繩坂を緑の色で覆うてゐた木々であつたり──私はけつして木のない都で育つたわけではなかつた。大阪はすくなくとも私にとつては木のない都ではなかつたのである。
 試みに、千日前界隈の見晴らしの利く建物の上から、はるか東の方を、北より順に高津の高台、生玉の高台、夕陽丘の高台と見て行けば、何百年の昔からの静けさをしんと底にたたへた鬱蒼たる緑の色が、煙と埃に濁つた大気の中になほ失はれずにそこにあることがうなづかれよう。
 そこは俗に上町とよばれる一角である。上町に育つた私たちは船場、島ノ内、千日前界隈へ行くことを「下へ行く」といつてゐたけれども、しかし俗にいふ下町に対する意味での上町ではなかつた。高台にある町ゆゑに上町とよばれたまでで、ここには東京の山の手といつたやうな意味も趣きもなかつた。これらの高台の町は、寺院を中心に生れた町であり、「高き屋に登りてみれば」と仰せられた高津宮の跡をもつ町であり、町の品格は古い伝統の高さに静まりかへつてゐるのを貴しとするのが当然で、事実またその趣きもうかがはれるけれども、しかし例へば高津表門筋や生玉の馬場先や中寺町のガタロ横町などといふ町は、もう元禄の昔より大阪町人の自由な下町の匂ひがむんむん漂うてゐた。上町の私たちは下町の子として育つて来たのである。

──「木の都」

谷町線の西側には天王寺七坂と呼ばれる坂があります。私は源聖寺坂と口縄坂などを下ったり上ったりしました。

源聖寺坂を上った先にガタロがあったと言います。

なかなか上り甲斐のある坂でした。

谷町九丁目から暑いなか歩いて、口縄坂です。

(略)「下へ行く」といふのは、坂を西に降りて行くといふことなのである。数多い坂の中で、地蔵坂、源聖寺坂、愛染坂、口繩坂……と、坂の名を誌しるすだけでも私の想ひはなつかしさにしびれるが、とりわけなつかしいのは口繩坂である。
 口繩とは大阪で蛇のことである。といへば、はや察せられるやうに、口繩坂はまことに蛇の如くくねくねと木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である。蛇坂といつてしまへば打ちこはしになるところを、くちなは坂とよんだところに情調もをかし味もうかがはれ、この名のゆゑに大阪では一番さきに頭に泛ぶ坂なのだが、しかし年少の頃の私は口繩坂といふ名称のもつ趣きには注意が向かず、むしろその坂を登り詰めた高台が夕陽丘とよばれ、その界隈の町が夕陽丘であることの方に、淡い青春の想ひが傾いた。(略)

──「木の都」

口縄坂を下ってから、上りました。楽勝じゃんと思いましたが、一段一段、階段が下向きに斜めになっていて、登りにくいったらありゃしません。雨の日は滑って転ぶ人がいるんじゃなかろうか。

上記引用にあるように、坂の上は夕陽ヶ丘という高台です。川島雄三監督はオダサクの「わが町」を映画化する前に、フランキー堺主演の「貸間あり」を夕陽ヶ丘で撮影しています。最後に、桂小金次が通天閣の方向に立ち小便をするんですが、現在の夕陽ヶ丘から通天閣を見られそうな場所は見当たらず……。

もちろん、映画『わが町』も直前に見直しました。

下のシーンは、ガタロに暮らし、車夫をしている主人公・他吉(辰巳柳太郎)が、階段を駆け下りているところ。源聖寺坂ですね。段差で小刻みに弾むので客が参っています。

オダサクでお薦めしたい小説は、阪田三吉や文楽を通じて大阪の魅力を語ったものよりも、やはり純然たるフィクションです。風景描写が少なく、話がポンポンと進んでいきます。代表作とされる「夫婦善哉」と、最近発掘された「続夫婦善哉」ももちろん傑作ですけど、いちばん好きな小説を挙げよと言われたら、私は短編「六白金星」か「競馬」で迷います。どちらも抜群に面白いんです。