狩猟採集生活を知って驚いたことの一つは階級がないということです。リーダーさえいません。親も息子や娘に向かって「大人に従え」とは言いませんし、体罰もないようです。
ところが、現代社会にはヒエラルキーがガッチリ構築されていて、子どもは親や先生に従わされ、親や先生も誰かに逆らわないように生きています。上役が人としてやってはいけないことを強要してきたら、あなたはどうしますか?
私は、むかしから間違っていると考えたことを指摘しては先生に睨まれたりバイトを辞める羽目になったものです。切腹させられた主君に四十七士が忠義を誓い、主君が斬りつけた人物を逆恨みして寝首を搔き、そのうえ自分たちが腹を切るなんて話、何が面白いのか未だにわかりません。
私は服従や不服従、隷従、奴隷などについて考えるようになりました。
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将基面貴巳『従順さのどこがいけないのか』(ちくまプリマー新書、2022/9/10初版)が面白かった。従順さとはほど遠い私は「そうだ、そうだ」と頷きながら読みました。中高生向けのレーベルなので平易ですが、なかなか鋭い。為政者にとっては危険な1冊ですよ。
目次は下記の通りです。
第一章 人はなぜ服従したがるのか
第二章 忠誠心は美徳か
第三章 本当に「しかたがない」のか
第四章 私たちは何に従うべきなのか
第五章 どうすれば服従しないでいられるか
第六章 不服従の覚悟とは何か
はっきり書かれていませんが、昨今の自公政権批判になっています。若者への檄文でもあるのでしょう。──ちなみに「檄文」とは「一緒に蹶起しよう」と呼びかける手紙のことです。「檄を飛ばす」とは(本来、叱るという意味ではなく)檄文をあちこちに送るという意味です。
以下の記述には私ですらビックリしてしまいました。
ヨーロッパ政治思想の伝統には、暴君殺害論という考え方が脈々と流れています。
政治思想の用語としての「暴君(タイラント)」は、暴虐非道な君主を意味しません。暴君は、共通善を破壊する政治的指導者を意味します。
つまり、「暴君」とは、自身とその取り巻きや暴君がひいきする人々の利益だけを追求することで、一般市民の利益を犠牲にする政治を行う政治的リーダーのことです。
ハッとしますね。もちろん、本書が校了になったのは安倍氏銃殺以後です。
(略)権威や多数派に従順であり服従することを貫き通すなら、それはあなた個人にとってどのような状態をもたらすと思いますか? 一言で言えば、それは、精神的奴隷状態です。
グッと来ますね。国葬や軍拡に反対でも自公政権を支持する人って精神的な奴隷というわけです。(自公支持の人がいたらごめんね。でも、この機に内省してみましょう)
ほとんど辞めてしまいましたが、あるSNSで政治に対して怒っていると、「政治に興味があるんだね」と冷笑されたり、「みんなが楽しく語らう場を荒らすなよ」と忠告されたものです。そりゃ、オリンピックやサッカーワールドカップやWBCなども楽しいだろうけど、政治のほうが生活に影響するんだよ、と思っていました。この期に及んでも日本政治の腐敗に気づいてないとしたら、立派な精神的奴隷です。