狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

ヒロユキテキ

ここ数日、もやもやしています。この件です。気持悪いのでリンクしたくないけど、あえてツイートを貼っておきます。

強者の立場から弱者を冷笑しています。完全な沖縄ヘイトです。このツイートが炎上したのち、このひろゆきって方は、Abema TV で、沖縄を取材してきた人たちと対論してニヤニヤ笑いながら暴論を発していました。

「座り込み3000日と聞くと、24時間3000日連続で座っていると多くの人は思う。真面目にやっていても、ひとつ嘘つくと全部が嘘っぽくなる」みたいな論法だったかな。多くの人はそう思うんでしょうか。立て看に「連続」とは描かれていませんし、みんな生活があるんだもの、土砂搬入の時間がわかっていれば、その時間に示威行動を起こせばいいのです。

番組に出演していた大空なんとかさんも、座り込みやハンストは自由を奪われた入管のためにとっておくべきだから辺野古のカジュアルな座り込みは入管の抗議行動を貶めるなどと、変なことをスラスラ言ってたなあ。日本の入管が人権を軽視していることは許されませんが、入管に入れられている人はハンストをすることがあっても座り込みはしないでしょう?

沖縄差別の歴史を語ろうとすると、「座り込みの定義から問題を逸らさないでください」などと話を遮るひろゆき氏。SNSで動画が流れてくることはあったんですけど、ひろゆきをこんな長い時間眺めたのは初めてです。発言中、始終ニカニカ笑うんですね。余裕かましたふりをして他人を小馬鹿にし、マウントを取る(この言葉も嫌いですが)んでしょう。

吐き気がするので、1時間ほどで視るのをやめました。そのあとジョギング中に眩暈に見舞われたのはそのせいか? 

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5回くらいは書いたはずですが、1980年代後半に、教養・知性が転機を迎えたと竹内洋が書いています。ビートたけしを評して、世間が「頭がいい」と褒めはじめのです。私は不思議でした。ああいう人はそれまで「頭の回転がはやい」と呼ばれていたはずなのに。

世はバブル。大学に頭がいい教授や学生もいたのでしょうが、大学が増えすぎたのか(その後も増え続けるのですが)、みんな学業はそっちのけで、キャンパスはレジャーランドになりました。ちらちら見ただけですが、当時のトレンディドラマに出てくる部屋には本棚はなかったはずです。

テレビは時間を埋めてなんぼです。じっくり考えて答えを探す知識人は要りません。思いつきでも、矛盾したことでも、ポンポン言葉を繰り出す人をスター扱いします。「朝まで生テレビ!」が始まり、ディベートというゲームが広まったのが1980年代後半。合意点を見つけるための対話がなくなり、ガーガー意見をぶつけあって「論破」することが流行りました。勝てばいいんだから、論点ずらし、人格攻撃、揚げ足取り、知ったかぶり、なんでもござれ。詭弁のオンパレードです。

そんな風潮でしたから、1990年代以降、学者でもジャーナリストでもない、上祐、太田光、松本人志、橋下、ひろゆき、メンタリスト……らが登場し、森羅万象の真実を語り始めました。誰が何を言ってもいいと思うけど、自分だけが正しいという態度はいかがなものか。専門家の指摘に耳に貸さないばかりか、逆に「不勉強だ」と詰ることさえするのです。

問題は、若者が彼らを「コミュ力が高い」と支持することです。1980年生まれより下の世代、すなわち40歳以下の人は、物心ついてから口喧嘩みたいな論破合戦しか見たことがないでしょうし、当意即妙な話術がバイトや就職の面接などで力を発揮するのは確かです。

本当は、言論の場は、のちに検証されるべきなのでしょう。声の大きな人が勝っていいのか、ファクトチェックは行き届いているのか、後ろ盾がある人物が威張りくさって差別的な発言をしていいのか……? しかし、テレビや掲示板の放言はすぐに過去へと流れさり、新たな放言で埋め尽くされます。

教養・専門知を軽んじて、冷笑しながら軽い言葉だけを投げつける人々をメディアが持ちあげると、ますます社会が壊れていくでしょう。世の中は言葉を介して動いていくのですから。最近は国会の言葉も軽くてフワフワです。脳を使いましょう。

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ひろゆき氏に関しては、TBSラジオ「荻上チキSession」の特集がとてもよかった。ラジオも番組によっては変なこと言う人がいますが、テレビより上質な番組が多いかもしれません。テレビは野球中継くらいしか見ないので、あくまで個人の感想です。