狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

正しい日本語?

あるところで、「正しい日本語」というフレーズを聞いて思い出したこと。

二十年くらい前の話です。mixi に「正しい日本語」みたいなコミュニティがいくつかありまして、よく炎上が起きていました。

ら抜き言葉に腹が立つ、といったことが必ず書かれています。でも、現在、ら抜き言葉ではないとされる「入(はい)れる」は、百年ほど前は「入られる」だったんだとか。ある世代が正しいと信じる日本語には、以前は間違っていると思われていたものが含まれているんです。「正しい日本語」は幻想でしかなく、存在すると信じていたら足許をすくわれてしまうでしょう。

私は日本語ウォッチャーとして、変わりゆく言葉を楽しんでいます。自分なりに使う言葉・使わない言葉の基準はありますが、他人に押しつけたりしません。

ある夜、mixi を見ていたら、「女王」は「じょおう」が正しいのに、「じょうおう」と間違えて読んでしまう人がいるのが許せん、という投稿に出くわしました。私は、絶対に「じょおう」にせよとは考えません。むしろ、どうして「じょうおう」に転じてしまうのか、を考えたい。

その投稿に、天才を自称する女性(ネカマかもしれません)がコメントしていました。曰く……「じょうおう」は間違いではあるが、「王」はもともと「をう=wou」であったことから「jowou=じょをう=じょうおう」と先祖返りしたのである。

天才女性の断言に、多くの人が「なるほど」と感心していましたが、私は納得できません。その日の私は酔っていたのでしょうか、初めてコメントしてしまいました。「言葉が先祖返りするなんて聞いたことがありません。『じょおう』より『じょうおう』のほうが音の座りが良かった、くらいのことでは?」

翌朝見ると、天才女性が反論にならない反論を書いていました。自分は天才であるうえ日本語の辞書の全て(改版されたものも全部)を持っているくらいだから、凡人ごときのイチャモンはまかりならん、といった感情的な文章でした。

さすがに心がざわつきましたが、私はことさら冷静に書きます。「女房」や「女御」を「にょばう」「にょご」ではなく、「にょうぼう」「にょうご」と読みます。あれらは「じょおう」を「じょうおう」と読んでしまうのと同じで、語感を整えたものではかありますまいか。「房」や「御」は、「を=wo」と無関係です。「夫婦」に「う」を挿んで「ふうふ」と読むのも似たようなものでしょう。

天才女性は、自分が持っているあらゆる辞書に「にょばう」「にょご」「ふふ」なんて載ってない、あれらは最初から「にょうばう」「にょうご」「ふうふ」だ、見たか凡人めキーッ、と反応しました。

私は最後までお付き合いすることにしました。「天才女性さんはすべての古語辞典をお持ちだそうですが、私の手許の辞書には、たとえば『女房馬方=にょぼむまかた』(女の馬方)なんて言葉も載っていますよ」なんて返信します。

──天才女性の粘着ぶりはすさまじく、少々疲れました。やりとりしている間、数人の人が「大変なひとを相手にしてしまいましたね。頑張ってください」とメッセージをくれました。

あれこれ検索しているうち、天才女性さんの先祖返り説が(言葉の専門家ではないらしい)ある人のブログを丸写ししていることに、途中で気づいていたんです。盗用していると思われますが、ブログ主本人とやりとりしている可能性もありました。

おそらく、天才女性と私の議論らしきものを読んでいたであろう誰かが、上記ブログに私の意見と同じコメントを寄せました。

「女王」を「じょうおう」と読んでしまうのは、「女房」「女御」を「にょうばう」「にょうご」と読むのと同じではありませんか?

ブログ主は「これは痛いところをつかれました」といった趣旨の返信をしました。

するとどうでしょう。

天才女性は、自分のコメントをすべて消したばかりか、アカウント自体を閉じてしまったのです。驚きの早業でした。マイミク(死語?)になってほしかったのに。