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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』感想1

書店で、新潮文庫の平台に國分功一郎『暇と退屈の倫理学』があるのを見つけました。國分氏は『中動態の世界』などの著書がある哲学者ですが、平凡社ライブラリーならまだしも、新潮文庫に入る著者とは思えないなあ……と思いながら手に取り、立ち読みすると、西田正規やルソーの名前も出て来ます。即購入した次第です。

國分氏は、多くの哲学者が考察してきた人間の本性や、退屈に対する考察を引きながら、人間らしく生きるのはどういうことか、を論じた1冊でした。知的冒険を味わえる内容です。新潮社のサイトによれば、コロナで「退屈」を感じた人に読まれているらしい。私は、自宅仕事なので、コロナで月1、2度の飲み会がなくなったくらいで急に退屈したりしませんけど。

数百万年ものあいだ遊動生活をしていた人間は、約1万年前、地球の中緯度帯で定住を始めることになります。それにより、さまざまな生活習慣の変化が起きます。遊動生活でフル活用していた脳の負荷が下がり(定住以降、人間の脳は少し容量が小さくなったと言われます)、退屈が生じたのもそのひとつ。

脳は宗教や社会を体系化するために使われ、文明が発達しましたが、それがよかったかどうかわかりません。

本書のクライマックスは、ハイデッガーがおこなった退屈の分析を、ユクスキュルの「環世界」という概念で相対化するところです。電車で移動しながら読んでいたのですが、途中下車し、大きな書店をハシゴして、ユクスキュル『生物から見た世界』(岩波文庫)を買っちゃいました。

たいへん勉強になりましたが──しかし──ひとつだけ気になることがあります。それは次の投稿で。