狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

中途半端に『鬼滅の刃』の話

ちと走る気が失せていたんですが、健康ジョギングからまた始めようと思います。12月1日は、キロ6くらいで7キロジョギング。

さて。流行り物にはほとんど反応しない私が、少し前に『鬼滅の刃』のアニメを20話見ました。

気になることはふたつ。民俗学のフィールドに鬼・妖怪・呪いなどを研究対象にした小松和彦先生にいろいろ教わったことがあり、「鬼」の話と聞くと気になるのです。また、文学青年だった私にとっては「これだけヒットしているからには新しい『物語類型』を持つのではないか」という期待がありました。

物語類型は説明が必要かもしれません。世界の昔話や神話を分析することにより、物語はいくつかの似た構造がある言われます。わりと有名なのは、高貴な人が不遇の状態に置かれるけど最後は救われる「貴種流離譚」です。高天原を追放されるスサノオノミコト、神の子でありながら人間界を放浪するイエス、牛若丸の物語から「みにくいアヒルの子」まで、貴種流離譚に似た構造をもっています。

私は古今東西の物語に通じているわけではありませんが──たとえば、ミステリーに限って、ここんとこ類例を知らないパターンに驚いた作品は、東野圭吾『白夜行』や吉田修一『怒り』です。こういう新鮮な物語を私は欲しているのです。

前置きが過ぎました。

コミックは読んでいませんが、アニメ『鬼滅の刃』はよくできています。物語に関しては、「友情・努力・勝利」の少年ジャンプの定型でした。ラスボスが最初から設定されている点では『北斗の拳』などと同じです。

定型パターンには少しガッカリしましたが、だからこそ読者をつかんだとも言えます。あとは、オリジナルの設定や、魅惑的なキャラクター造形で勝負です。家族が虐殺されるところから始まる、悲劇的で血腥い物語はなかなかないのではないかな。鬼は陽光を浴びると死んでしまうので、総じて暗い場所で戦うことになります。息抜きできるようギャグが挟まれ、たしかに面白い。「俺は長男だから頑張る」みたいなセリフは大正時代とはいえ、少し違和感が……(最後まで読めばなにかの伏線になっているのかも)。

作中の「鬼」がどういう存在であるかは、最後まで見てないのでわかりません。

かつては怨霊や邪神のみならず、為政者が自分たちの権威をおびやかす異界・異能のものを鬼と呼びました。小松和彦によれば、鬼と呼ばれたのは、朝廷にまつろわぬ者たち(蝦夷など)、山の民や川の民、芸能人、などなど。戦時中は鬼畜米英なんて言いましたね。

『鬼滅の刃』は、「ラスボスに勝ちましたが、じつはもっと強力なラスボスがいたのでした〜」という少年ジャンプ風の引き延ばしがなかったと言われます。しかしアニメ26話まで見たところ、とうてい全部終わりそうにありません。伏線が回収されないし、ラスボスまで間があるし……と、そこでアニメが「第1シーズン」だったことに気づきました。調べたら、アニメ26話はコミック全巻の3分の1らしい。気が遠くなり、そこで頓挫しました。

以下、余談。

鬼滅隊は公務員ではなさそうです。どこから給料が出ているのか、大正時代なのになぜ帯刀していても警吏から職質されないのか? SNSで知り合いのマンガ史研究家に質問すると、ズパリ。

「マンガだから」

なるほど。