世界がもし100人の村だったら

同じタイトルの本とは関係ありません。

リンクのサイトから山極壽一発言を引用。(*太字は引用者)(→第2回 山極壽一(霊長類学):サル、ゴリラ研究から現代社会を考える(提言編) | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 脳はなぜ大きくなったのかという最大の疑問に仮説を出した人がいます。人間以外の霊長類の脳といろいろなパラメーターを比べてみたら、一番ぴったりくるのは集団サイズだということがわかりました。サルとかチンパンジーとか、それぞれの種に平均的な集団サイズがあるのですが、それが脳の大きさ、とりわけ脳に占める大脳皮質の割合にきれいな相関を示していました。

 では、1500ccの脳を持っているわれわれ現代人にはどれぐらいの集団サイズが適しているかというと、150人です。これは農業や牧畜をやっていない、狩猟採集で暮らしている人たちの平均的な村のサイズに相当していて、「マジックナンバー」と言われています

世界がもし100人の村だったら、村人はみんな顔見知りです。

互いのことを知っているから思いやりが生まれます。誰かが病気や失敗をしたら救いの手をさしのべるでしょう。自業自得で貧乏におちいっても、そいつが普段は陽気なやつで、歌を歌わせたら世界一だなんてことも知ってもいるので、「しょうがねえな」と助けてやる。自己責任だ、とせせら笑うことはない。誰かが子どもを産んだら、みなで協力して育てる。誰かが獲物をとったら、みんなで平等に分ける。「ありがとう」なんて言われない。なぜなら、次に別の誰かが獲ったら、あたりまえのように分けてくれるから。そんな狩猟採集民はいまも存在します。

 

ところが、世界は数十億人が住んでいます。日本だけでも一億人以上が暮らし、全員が顔見知りではありえません。われわれは誰が作り、誰が加工し、誰が運んだかわからないものを店で買います。そして自分が買った商品やサービスが時給900円の人たちによるものか、なんて想像しないのです。

ざっと半径5メートルを見渡したところ、ブラック企業に勤めている人も低所得者もシングルマザーも差別されている人も外国人労働者もいないよ、という人はあるでしょう。でも、その人が食べている安い弁当は、低賃金で働く人たちによって作られているのかもしれないのです。半径5メートルの外にいる、いくら働いても生活が上向きにならない人のもらうべき賃金やサーヴィスを、われわれは知らず知らず搾取しているのかもしれません。

国民が互いの顔を知らない社会では、社会福祉や再配分は行政の仕事です。ところが、資本主義国家は新自由主義の名のもと、暴走しはじめました。富裕層が手に手をとって自分たちが儲かるシステムをつくり、格差を拡大させ、下層の人たち(外国人含む)はギリギリまで搾取されます。そして、格差は遺伝する。

 

狩猟採集生活の幸福と違い、近代国家の幸福は他人の不幸のうえに成り立つ。

後者の社会がいいとは私は思わない。さてと。どうしたもんかな。