狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

映画『新聞記者』・若者と選挙・サードプレイス

私、こないだからずっと日本の階級社会について考えています。女はなかなか参入できない男中心の父権的上下関係。軍隊的・ヤクザ的・部活的なピラミッド。

今日、映画『新聞記者』と「若者が選挙に行かない」という話題についてボンヤリ考えていました。どちらも《階級社会》というキーワードでつながる気がするんです。

今朝やっと映画『新聞記者』を見ました。ヒットしているようですが、平日の朝9時少し前からの上映ですから、観客は10人くらいでした。

新聞社に舞い込んだリーク文書を追いかける女性記者(シム・ウンギョン)と、先輩の自殺を機に本格的に自分のいる組織を疑う内閣情報調査室の官僚・杉原(松坂桃李)の話。現政権で問題になった現実の疑惑がほとんどそのまま出てくるエンタテイメント映画です。不満もあります。たとえば、主役の記者と杉原の信頼関係がもっと丹念に描かれてもよかったかな。とはいえ全体的にスリリングで面白かった。杉原は正義のために権力者に抗うのか、それとも──。最後のシーンがわかりづらいという話がありますが、杉原と自殺した先輩の家族構成や二人の立場の相似、女記者とその父の記事の相似を考慮し、ラストの杉原の表情や口の動きを見逃さなければ、彼らの今後が明示されている気がします。多分ね〜〜。

杉原が所属する日本の官僚組織も上下関係が絶対です。みんな熱心に勉強していい大学に入り国家公務員試験に合格してキャリアとして入省したら、そこにまたガチガチのヒエラルキーが待っている。上から命令されれば抵抗できない。公務員は「国民全体の奉仕者」であるのだから、杉原の行動は正しいはずですが、絶対的な組織の命令に背くことはたいへんなリスクを負うことになります。

ところで。

選挙が近いので「若者の投票率の低さ」を嘆いたり分析したりする文章を見かけますが、私はこう考えるんです。

学級会や学級委員・生徒会長選挙などで、小学生のころからみんな合意形成や多数決や疑似選挙を経験するんですが、しょせん最高権力者は先生です。誰が学級委員・生徒会長になったって自治権を与えられていないからクラスや学校運営に変わりはありません。みんな自分の1票が学内政治に影響を及ぼす体験を持たないまま育ちます。

さらに、彼らには意味不明で理不尽なブラック校則や上下関係が絶対の部活があります。運動会では赤組・白組の得点とはまったく関係ない行進や組体操などを延々練習させられ、同調性を植えつけられる。もし立場の弱い子供が大人に楯突けば反動も大きい。それより権力者の顔色をうかがい、空気を読むほうが生きやすいと感じる子供はたくさんいるはずです。

近現代史や政治や社会問題を深く学ぶ機会もない。それより試験勉強が重要です。

考えない訓練をさせられているようなものです。ルールを決めるのは遙か頭の上にいる人々だと思い込まされている。こんな学校生活を送ってきた若者が選挙権を与えられたとたん選挙に行くでしょうか。ある日突然、「自分は主権者である」という意識が突然芽生えたら奇跡です。

小学校からずっと階級社会で飼い慣らされる日本人。就職後、会社と家の往復だけで何十年も過ごし、その組織ではそこそこ出世したとしましょう。読む物は仕事関連の本や、人心掌握術などのビジネス本。そんな人が、定年やリストラなどで階級社会からいきなりポッと放り出されたら、どうなるでしょうか。肩書きとともに力を失い、得意の人心掌握術も発揮できません。家にしか居場所がない、ということになってしまいます。

社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した「サードプレイス」という概念があります。家と職場以外の、心地良い平等なコミュニティをそう呼ぶのです。

日本はとくに息苦しい階級社会ですから、「社会的地位」とは関係のないサードプレイスを持つのがいいのではないかと思います。町内会やボランティアなどの社会活動、草野球チームへの参加やアマチュアバンド、趣味のサークルなど。偉い政治家のお宅で碁を打ったら、相手は「社会的地位」に忖度して負けてくれるかもしれません。でもね、碁会所では、偉かろうが無職だろうが、肩書きは関係ないのです。

もしあなたがマラソンやトレイルランナーであれば、たくさんラン仲間がいるでしょう。でも、誰がどんな仕事をしているかよく知らないし興味もない。余計な敬語も要らない。頑張って走ったあと、共通の話題で吞めば、それだけで盛り上がれるのです

『55歳からはじめるフルマラソン』を書かれた小説家・江上剛さんは、元エリート銀行マン。走り始めた著者が、まさしくサードプレイスを発見したことが記されています。

 男は、仕事の関係は多くある。しかし近所の関係はあまりないだろう。エリートと言われる仕事一筋の人ほど、その傾向がある。
 銀行の人事部にいた時、いわゆるお荷物行員(評価が低く、昇格が遅れている行員)の研修を担当したことがある。その時、彼らのほとんどが近所の子どもたちにサッカーや野球を教えていることに驚いた。
「そのエネルギーを、少し仕事に向けてほしい」と私は彼らに話したが、今思えば、失礼なことを言ったものだ。仕事の人間関係は上下関係で、仕事を続けてさえいれば、自然と出来上がる。しかし親友が出来る可能性は少ない。仕事が変わったり、大勝すれば自然消滅してしまうことが多い。
 一方、近所の人間関係は、自分で努力して作らねばできない。(略)私は、今まで努力を怠っていたのだ。今、やっとその努力を始めたというわけだ。

努力といったって、最初だけだよね。

俳句仲間、カメラ仲間、テニス仲間……踏み出せばどんどん増えていきます。

息苦しい世の中、第3のコミュニティで息抜きしましょう。

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