ナンバ歩きを非効率的だと書く武智鉄二!

 先日、ナンバ歩き(走り)に対する疑問をいろいろ書いたのです。(→ナンバ歩きだのナンバ走りだの……なんば言うとっと?
 私が解決できないナンバに対する疑問は「史料がないこと」「着物が着崩れないなどの目的で仕方なくナンバ歩きをしていたとしても、歩き方として優秀かどうかわからないこと」などです。
 私は現在、まず骨盤を回旋させることで推進力を得ようとしているわけで、ナンバは対極にあります。客観的に評価しているつもりですが、バイアスがかかっているのかもしれず、本だらけの我が家から、何冊か昔読んだ本を探り出しました。
 今回はいちおう、こまかい疑問は棚上げします。ナンバ支持者でも理論の細部はことなりますが、煩雑なのでこれも割愛します。

 野茂は身体を捻らない?

f:id:mugibatake40ro:20160602230642p:plain ナンバについて初めて知ったのは養老孟司・甲野善紀『古武術の発見』(カッパ・サイエンス、1993、のちに文庫化)でした。矢野龍彦・金田伸夫・織田淳一郎『ナンバ走り』(光文社新書、2003)は、甲野氏の古武術の理論(捻らず、うねらず、踏ん張らず)を応用して高校バスケットボールを全国大会に導いた、矢野・金田両氏の取組みが書かれています。その他、数冊。私はナンバ歩行には懐疑的ですが、古武術のみなさんの話はおもしろい。再読は楽しゅうございました。
「そりゃないだろ」と思う点もあります。
 たとえば、野茂のトルネード投法は腰を捻ってないと解説する本が複数あり、うち一冊は股関節以外を終始捻ってないとはっきり書いています。ほんとでしょうか。野茂の写真の、ユニフォームの皺をご覧下さい。下半身と上半身が捻れてないように見えますか? 私は絶対に違うと思います。骨盤が主導し、上半身が追随し、最終的に指先が最後に振れることで、全身の力がボールに伝わるはず。捻れものはなんでも捻れ、だと思います。そもそも身体がねじれて手首が最後に振られてくるから、バッターは球を見極めにくいのです。

 えっ? 武智鉄二はナンバを非効率的だと断じる

 以前も紹介しましたが、谷釜尋徳「幕末〜明治初期における日本人の歩行の特徴について」という論文(日本体育大学紀要=PDF)は、外国人が日本人を観察した多くの記録を渉猟し、ナンバ歩きの証拠を発見できなかったと書いています。日本人が不思議な歩き方をしていたら書き留めているはずなのです。
 となると、ナンバ歩きがあったとするみなさんの証拠はどこにあるのでしょう。
 ナンバ関連本によく援用されるのは武智鉄二『伝統と断絶』(風濤社、1969)です。著者の武智は演劇評論家です。このさい読むことにしました。
 しかし残念ながら武智もナンバに関する史料を提示しません。芸能に残る動きや当時(昭和40年代)の農家の人々の歩行を観察して、伝統的な歩き方を演繹的に推理したようです。
 それより、あれれ? むむむ? なになに?
 武智はナンバの動きを非効率的だと断じているのです。
 しかも、ですよ。人口の90%である農村は土と格闘するためナンバであったというけど、都市部では効率を重視して左右交替の動きが生まれていた(手は振らなかった)と言うのです。今まで読んだ本では江戸時代の人は全員ナンバと書いてあったけどなあ。

(略)江戸時代になると、都市の消費経済的生活のなかでは、いまのような、手と足との左右交替の動きが出てきている。この時代は、町人経済が行き詰まりに陥り、節約が最高の美徳とされた(略)ところから、筋肉エネルギーのロスを少なくするための動きや生活上の工夫(略)がつみ重なり、左右交替の動きの工夫にまで行きついたのであった。
 しかし、こうした都市の消費的身ぶりのなかでも、手をふって反動をとるような動きはまだ生まれなかった。その点は誤解のないようにしなければならない。

 さらに、走り方となると……。
 武智は、日本の農民は土を踏みしめていればよく俊敏に動く必要はなかったと書きます。結果、ナンバ歩きの農民に、駈け足なんてできるはずがないと言うのです。

(略)右半身、又、左半身、半身(ひとえ身とも呼ぶ)のかまえのままで、歩行していた人間の走行、つまり駈け足が、どんなに不細工で、非活動的で、ほとんど駈け足の役を果たすに足りなかったことは、たいたい、想像がつこうというものである。

(略)日本の伝統的な駆け足には、ストライドもなく、遠心力の利用もなく、また加速のために手をふるような補助行為もない

 ナンバ走りは(本当にあったとしたら)とても非効率的な運動だと武智は主張します。伝統的動きを映した能や狂言においては小股でピッチを上げる以外にスピードを上げられないと言うのです。ちなみに飛脚など職業的ランナーに関する記述はありません。

 都合のいいところだけ引用するナンバ支持者

 それにしても、変です。
 ナンバ支持者のみなさんと武智は、運動効率の面で完全に対立するのです。
 最近のナンバ支持派は、1日何十キロ歩いても疲れ知らずで、ナンバ的動きを取り入れると陸上競技でも光明を見いだせるという主張です。ところが、武智は、昭和40年代にテレビで見た役者・木村功が土を蹴って歩く点にナンバの遺風をみいだし、《日本人が短距離に弱いのは、この地面を蹴るくせのため》だと主張します。

 つまり、ナンバ支持者の方々にとって武智氏のナンバ論は否定すべきものです。
 しかし武智のナンバ否定論にはあえて触れません。
「ナンバが日本から消えた理由として武智は西洋式軍事教練説を唱えている」ということだけを自著に援用するのです。もしも学術研究なら失格です。
 武智によれば、農民で構成された官軍の鎮兵台が、訓練された薩軍に大苦戦したため官軍は農民に西洋式軍事教練をほどこし、走ることを叩き込まねばならなかった。その結果、ナンバは消えていった……という説を提示します。武智は農民の弱点を走法だけと限定しません。集団行動・行進・突撃・方向転換・匍匐前進もみんな苦手だったと指摘しているんです(そりゃまあ、得意だったはずはない)。

  ナンバ歩きが優秀になったのはいつからか?

 武智が非効率的だと断じたナンバ歩きが、優秀な歩行術と言われるようになったからには昭和何年かの研究で大きなターニング・ポイントがあったはずです。
 矢野龍彦さんという方は大学教授ですから経験論だけではなく客観的データをお持ちだろうと、近著『すごい! ナンバ歩き』を買いましたが、期待したような科学的な記述はありません。現代ウォーキングに比べてナンバ歩きのほうが膝への負担が25%少ないとひとこと書いてあるだけです。しかし本文のイラストなどを見るに、現代ウォーキングとは、手を90度に折って大股でガシガシ歩くことを指すようです。ふだんのチンタラ散歩とナンバを比較したデータではないかもしれません。生徒のアンケートがたくさん載っていて、ナンバの散歩を始めたら幸福感を得られたという結果が出されているんです。彼らにもともと散歩などの運動習慣があったかどうかで、アンケートの見方は変わるはずですが……。
 ナンバは体をひねらないから便秘にならないともあります。でも、腰椎だけならたった5〜10度しか可動域がないんです。秒針にしてわずか1メモリ分の可動域しかないのはまさしく腸などの内臓に悪影響を及ぼさないためでしょう。ふつうの歩き方とナンバ歩きと便通に関係がありますか?

  結論……ナンバは伝統の創作ではないか?

 ……と、2、3日、ナンバについて考えました。何度か体を捻らずに歩いてみましたが、両手に重りでも持ってないかぎり私は自然に肩が腰とは逆に揺れます。3kgの重りを両手に持つなら、ザックに6kg背負って、普通の歩き方をするほうがラクです。あくまで個人的には、肩と腰のラインが連動して捻れるのは自然で、武智氏の言うように効率的だと思います。
 江戸のひとは一生走らずに終わることも多かったなんて甲野先生に言われたら多少ぐらつきますが、近世の人がナンバでしか歩かなかった・一生走らなかった、なんて私には信じられません。
 町民であれ農民であれ、子ども時代に野山や河原を駆けて遊ばなかったとは想像できないんです。都市の子どもであれば、飛脚や駕籠かきが走るのを見たら、アハハと笑って真似するでしょう。田舎の子なら、小川や水たまりを飛ぶのに、走って勢いつけるくらい知恵のあるんじゃないか。手許の古語辞典に載っている「はしりこぐら」(かけっこの意味)という単語はどこからうまれたのか……?
 私はナンバは創作された伝統と感じます。「日本人オリジナルのすぐれた美風で、明治政府により断絶されられた」という構造は、偽史・江戸しぐさとダブりますし……。

 赤ちゃんのハイハイは同側型動作ではありません。日本の赤ちゃんだって世界共通のはず。そして立ち上がり、平地を歩くと、(環境や衣服などの条件により多少特殊な動きをする民族があるとしても)みんな現代風の歩き方を獲得するのが自然じゃなかろうか?……謎です。
 歩行や走行のさい骨盤の回旋により大腰筋が働くと現時点では考えているので、ひとまず、これ以上ナンバについて調べるのはやめておきます。

      ☆

『伝統と断絶』の、ナンバ以外の記述がが面白かったのは意外な余禄でした。
 冒頭の章は、明治政府が列強に伍するためにおこなった新しい価値観の導入により、生活様式や伝統文化が寸断されたことについて論じています。ナンバはなくなった生活様式のひとつとして語られているのです。
 古典芸能や歌舞音曲などの伝統的なものを排除して富国強兵政策をすすめた明治の帝国主義を批判するのは反体制的に見えますが、日本文化・伝統の再発見をうながすという意味では保守的です。三島由紀夫の考えとも通じるんじゃないでしょうか。いまの保守の方々は明治を伝統的な美しい日本と見なすようなので、同じように見えてじつは全然違います。
 教育勅語や国語や算数や体操が富国強兵のためだったように、唱歌を歌わせることが隊列つくって行進させるために必要だった(四拍子を叩き込むことだった)だなんて、この本読まなきゃ一生考えてもみなかったに違いない。

伝統と断絶 (1969年)

伝統と断絶 (1969年)

 
古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か (知恵の森文庫)

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ナンバ走り (光文社新書)

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すごい! ナンバ歩き

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江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)

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