狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

知性、利他のことなど

長沼毅「ヒューマニティの未来」(「現代思想」特集=変貌する人類史 2017.6)から、メモ。

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スタンフォード大学のジェラルド・クラブトゥリー(1946〜)の論文「われわれの脆弱な知性」(2013)によると、人間の知性や感性は2000〜6000年前(もっとも考えられるのは5000年前)にピークに達し、それ以降は衰退し続けているらしい。

知性や感性の遺伝子は、狩猟採集生活におけるさまざまな環境圧によって磨き(選択と淘汰)がかかってきたのに、いったん文明生活に慣れてしまうとそれらの遺伝子に突然変異(多くは悪い突然変異)が起きても、もはや高い遺伝子を除去するような淘汰圧がなく遺伝子プールに残ってしまうからだと説明している。

クラブトゥリーは遺伝子の突然変異について論じていたが、ブリュッセル自由大学のマイケル・ウッドリーはさらに選択(淘汰)を加味した論文「われわれの知性はどれくらい脆弱か?(以下略)」(2015)で、次のように書いている。

《これによると突然変異による知能指数の低下は10年で0.84ポイント。淘汰によるぶんは0.39ポイント。両方を併せると1.23ポイントになることが提示された》(これって、10年経つごとに、知能指数の平均が1.23ずつ減るということかな) 。また、高学歴の人間は子供の数が少ないことがわかっていて、高学歴遺伝子というものがあるとしても、社会的に淘汰されていく。(そのうえ、安倍政権下では、高学歴は報われないけどね、と続く)

──以下は感想。オルテガが、深くものを考えないバカな大衆が威張り始めたと書いたのが100年ほど前のこと。私が知る限りでも、ここ数十年の日本社会は知性が見下されるようになり、デタラメでもいいからポンポンと言葉を繰り出す能力(コミュ力というんだそうだ)のほうが偉いとされています。そして「あなたの意見は?」と聞かれたら、誰かの意見をコピペして発散するのです。しんどい。

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1970年代、ゲーム理論のメイナード=スミスやジョージ・プライスは、タカ派・ハト派だけじゃなく、報復派、いじめ屋、探り報復派(相手の出方で態度を決める)、持久戦派などに社会の構成員を分け、そこに利己的・利他的という要素を加えて進化ゲームをやった。報復派はゲーム理論では「しっぺ返し戦略」と呼ばれる。やられたらやり返すが、自分からは裏切らない。結果、利他派、報復派、探り報復派の入り交じった集団が「安定した均衡」を達成した。利他的行動をとらせる遺伝子は(道徳的根拠ではなく)突然変異によって獲得され、淘汰されることはなく、遺伝子頻度を増す場合もある。

──感想。私がぼんやり考えていることと同じです。ルソーは狩猟採集民のレポートを読んで人の本質は善だと言いました。いや、そうではなく、利己的で暴力的で独裁的な社会は長続きしなかったのではないかと感じるのです。それが証拠に、狩猟採集社会の子供は食べ物を独占したがりますが、親の指導によって平等分配を学びます。何十万年かけて生みだされた生活の知恵ではありますまいか。 

現代日本は、みながカネ儲けに齷齪して、リスキリングで人的資本を高めようなんてバカバカしいことやってます。利己的資本主義の社会に未来はあるのかな?

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同じころ、進化生物学者ロバート・トリヴァースは、利他的行動の進化において「互恵的利他主義」(相手に優しくするのは相手が優しくしてくれるからだ)が重要だと唱えた。助け合いの選択(戦略)である。互恵的利他主義において本質的な敵は嘘であるから嘘つきを見抜く能力が進化する。と同時に、嘘をつく能力もやはり進化するだろう。 自分は嘘をついてないと思いこみ、嘘発見器に引っかからない自己欺瞞に長けた人物も出てくる。皮肉なことに、自己欺瞞を生みだしたのは互恵的利他主義であった。

──互恵的利他主義(見返りを求める利他主義)は、損得を計算するという点でとても資本主義的です。見返りを求めない利他というものもあると私は信じたい。とはいえ、互恵的利他性がウソや自己欺瞞(サイコパス=反社会性パーソナリティ障害)を生んだという仮説も魅力的です。

道路を歩行者に返せ(後編)

吉見俊哉はオリンピックの「より速くより高くより強く」は資本主義のモットーと同じであり、スポーツも資本主義も非人間的になっていくと批判しています。私も同感。リニアモーターカーなんて要るのはなぜ? 空き家がたくさんあるのにタワマン建てる理由は? これからは「より遅くより低くよりしなやかに」──という人間的な暮らしを取り戻したい。

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数週間前、タブレット純の番組で、南こうせつの幻のデビュー曲『最後の世界』が流れました。数百枚しか売れなかったそうです(ネットで検索しても音源が見当たりません)。交通事故で死んでいく青年のモノローグでした。「おかあさんさようなら」とか「天国を探して」とかいう歌詞だったはずです。

『最後の世界』と同じ1970年(昭和45年)発売の大ヒット曲、左卜全とひまわりキティーズ『老人と子供のポルカ』には「やめてけれジコジコ」という歌詞があります。犠牲になるのは老人や子どもだから、事故はやめてくれという意味です。自動車事故といえば、成瀬巳喜男監督の映画『ひき逃げ』が思い出されます。1966年(昭和41年)公開らしい。

50年くらい前は、公害や事故のことで、クルマ社会を批判する声が今より多かったと思います。その一方、マイカーはみんなの憧れでした。半世紀前のお父さんたちはクルマと一緒に写真に収まっています。自動車業界は日本の基幹産業ですからクルマは日本の誇りであり、繁栄の象徴でした。こちらの記事によると、自動車の保有台数(バスやトラック、小型二輪ふくむ)は1973年くらいに2000万台、いまは4倍に増えています。

広島出身の私は、父親はマツダに勤めていたこともあり、クルマ社会を当然だと考えていました。ところが、走るようになって感じるのです。

「クルマは威張りすぎじゃないか?」

住宅地をジョギングしていてクルマがやってきたら、道の隅っこに寄らなければいけません。排水のため斜めになっていたりするから走りづらい。歩道は街路樹の根でふくらんでいることがあり、つまづきそうになったことが多々あります。車道を走れば気持ちいいのに……。優先されるべきは、歩行者やランナーのはずではないか。日本橋や六本木交差点に限らず、首都高がフタをした街並みを見よ。ビルや家が影に覆われて、なんとも薄暗い。

歩行者天国を歩いたり都会のマラソン大会を走ると、車道の真ん中を進めて痛快ですが、いや待てよ、道ってもともと歩行者のものではないのか?

イヴァン・イリイチ『コンヴィヴィアリティの道具』(1973年)は偉いもので、産業主義が環境や人類を滅ぼすといい、現行の学校や病院と同様、自転車以上に速い乗り物は要らないと書いています。道路(とくに高速道路)だって不要だというのです。たとえばこうあります。

《自動車は高速道路を要求する機械であり、高速道路は実際は選別的な装置であるのに、公益事業のような装いをまとっている》《それ[自動車]が非効率的なのは、高速とよりよい輸送との強迫的な同一視のせいなのだ。(略)より高速を求めるための口実も精神の病の一形態なのだ》。ほら、「より速く」は病気なのです。

道路建設が公益事業のふりしているというのは、宇沢弘文『自動車の社会的費用』(1974年)の問題意識と通じます。宇沢は自動車の社会的コストを試算し、受益者(クルマの所有者や運転手)が負担すべきだと提案しました。

同氏は『社会的共通資本』(2000年)で、事態は悪化したと言います。自動車道路の建設は自動車産業時代の発展に寄与し、関連産業の雇用形成を誘発し、日本経済全体の成長を促進する効果は確かにありました。《もともと、人々の精神構造のなかには、自動車の普及が、社会の進歩を示すもっとも重要な尺度だという誤った考え方があって、日本における自動車道路の建設が歯止めのないかたちで進行していった背景には、この考え方がときとして支配的であった》からです。

宇沢はクルマ中心の社会を推進したことで《政治的フェイボリティズム[註=えこひいき]を巧みに利用して自民党を中心とする専制体制を維持》してきたとも指摘。クルマを売って道路を建設することは、産業や政治と有機的に絡み合いつつ、自然を破壊し、歩行者の人権を侵害し、地球温暖化を招く、資本主義の象徴でした。

ちなみに、宇沢氏はジョギング愛好家でした。クルマ社会批判とは関係ないそうです。

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都会では、主要幹線道路でない道路を減らせばよいのではないか。緊急車両が通れるスペースを残してアスファルト引っぺがして樹を植えれば、夏の暑さもすこしはゆるむし、子どもは公園に行かずとも鬼ごっこができます。公共交通機関を充実させればよい。そんな街にならないかな。

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余談。私もガチギレですよ。主客転倒してないか? 道路は誰のものなのか。

道路を歩行者に返せ(前編)

先日、マラソン愛好家に知られる方が次の記事を紹介していたのです。

記事がなくなるかもしれないので、引用。

 福岡県那珂川市の市道をランニング中に、ぬれたこけが原因で滑ってけがをしたとして、県内の50代男性が市に1650万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が19日、福岡地裁であった。上田洋幸裁判長は「ぬれたこけを除去するなどの適切な措置を取らなかった」として、市に280万円の支払いを命じた。

 判決によると、男性は2020年8月10日午前8時45分ごろ、峠にある市道をランニング中、ぬれたこけで滑って転倒。背中を地面に打ち付け、坂道を約5メートル下まで落ち、肋骨(ろっこつ)が折れるなどのけがをした。

 当時、歩道わきの壁から漏れた水で歩道一帯がぬれた状態となり、約5メートルにわたって、こけが歩道の表面を薄く覆っていた。上田裁判長は、「歩道が山地を切り開いたものであることを踏まえても、舗装された歩道の表面に約5メートルもこけが広がっていることが通常であるとは考え難い」とし、「事故の発生を予見し、回避することは十分可能であり、安全性を欠いていた」と、市の責任を認めた。

 市は「判決を確認していないのでコメントできない」としている。(西岡矩毅)

ここに寄せられた複数のコメントが興味深い。コピペするのは憚られるので大意を書きましょう。

  • どの自治体もカネがないから補修できないのはしかたない。
  • 自分の不注意を棚に上げて訴えるなんて恥ずかしい。
  • こんなことが続くとジョギング禁止の道が出てくる。

ちょっと震えましたよ。「自己責任論」がみごとなまでに頭に染み渡っています。

福岡県那珂川市は控訴した模様。もう少し詳しく見てみましょう。

この動画のコメント欄も自己責任論だらけです。

正論が通じない世の中ですが、車道と歩道を分けたのは市で、ここを歩けと言うなら、市が適切に管理しなきゃならんのです。怪我をした人が市の責任を問うのは全然おかしくない。

車道を走れば良かったという人もいますが、車道はクルマが走る道じゃないんかい。

「自治体はカネがないんだよ」という人へ。税金納めている側が、先回りして自治体の懐を気遣う必要はありません。最終的に賠償金がどうなるかわかりませんが、歩道からこの程度の苔を取り除く費用と賠償金とどっちがお高いんでしょうか。

この話、続きます。

E・M・トーマス『ハームレス・ピープル』

店名は内緒ですが、ある古本屋には人類学関係の本がたくさん置かれています。そこで、E・M・トーマス『ハームレス・ピープル──原始に生きるブッシュマン』(1977、海鳴社、原著は1959刊)を見つけたのでした。

エリザベス・マーシャル・トーマスの母ローナ・マーシャルはアメリカの人類学者で、カラハリ砂漠に住み、当時まだ詳しく研究されていなかったブッシュマンをフィールドワークしました。エリザベス・M・トーマスもまた、1950年代にブッシュマンと暮らし、『ハームレス・ピープル』を書いたのです。タイトルを直訳すれば、「無害な人びと」となります。

彼女には『トナカイ月』という、旧石器時代を描いた長編小説があります。主人公の少女が物語の冒頭に死んで霊になるという不思議な小説で、細部は忘れましたが、とても良い読後感でした。でも、少し前に読み直そうとしたら、あまり狩猟採集民っぽくなかったのです。そもそもカレンダーの観念がない(だから年齢の観念もない)のに、月に名前がついているということからして何やら疑わしい。この人はブッシュマンの何を見ていたのだろう、いずれ『ハームレス・ピープル』で確かめなきゃと探していたら、古本屋に並んでいたというわけです。本の状態はいいのですが、背が灼けていました。見落とさなかったのはナイスプレーでした。

一読したところ、『ハームレス・ピープル』はきちんとした民族誌です。前半はキクユ族(キクユ族の狩猟採集民っていたんだ)、後半はクン族のブッシュマンとともに著者は暮らしています。キクユ族の女性2人が1時間で7キロの道を歩いてきたという記述にはびっくりしました。未舗装路ですよ。

以下は、後半の話。旧知のクン族の男・ちびのクウィとその家族を見つけました。優秀なハンターであったちびのクウィは毒蛇に嚙まれ、片足が壊死しているのでした。一緒に訪ねた仲間のブッシュマンたちは彼の心の痛みを分かちあい、夜は悪夢にうなされていました。

ブッシュマンは、不具者とか、旅に耐えられない老人とか病人を見捨てると言われてきた。しかし、これは嘘である。

町の病院に行き、足を切断して義足をつけるほかなく、彼をトラックで運ぶことにします。ちびのクウィの妻はつきそいに町にいくので、町でのしきたりをアドバイスし、「あちらでは上半身裸でいてはいけない」と服をプレゼントしました。そのことで、トラブルが巻き起こります。草で出来た小さな家から出ると、女たちが聞き耳を立てていて、「自分たちには何をくれるのか」とエリザベスにしつこく迫ったのです。

分配が重んじられる社会なので、ひとりにだけモノをあげる行為は非難されます。「この場合はしかたがないのだ」と言っても通じません。独占欲を押さえてみんなで分配するのは、争わないための生活の知恵なのです。

分配をめぐって口喧嘩になったシーンはほかにもありました。平等分配主義は狩猟採集社会の平和の象徴とされますが、均衡を保つために細心の注意を払っているのでしょう。

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同時期にイギリスのヴァン・デル・ポストがブッシュマン(サン族)の記録映像を撮り、半分冒険小説風の『カラハリの失われた世界』(ちくま文庫)も刊行しています。つまり、1950年代がブッシュマン研究の始まりなのです。

小国善弘『戦後教育史』

10月はいろいろあって90kmしか走っていません。来月は100kmだ(苦笑)。仕事が落ちついてきたので、ここ1、2ヶ月考えていること・読んだ本を連投します。

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まずは、小国善弘『戦後教育史』(中公新書)について。

教育に関する一般書、見ればなぜか買っちゃうんですが、戦後教育について詳細に書かれていて、知らないことが多かった。

私はかねがね「学校は社会の歯車(もしくは奴隷)をつくるところ」と批判していますが、この本にも戦前の学校は《強い兵士を軍隊に供給する》ため、戦後の学校は《優秀な労働者を産業界に供給するため》に機能していると書かれています。 1950年ごろ、産業界(財界)が産業振興のため理科室をつくれと要求したり、中央教育審議会設置をつくらせたりしたのを皮切りに、ずっと教育に口出ししている模様です。どうやら日本は教育を産業のための投資と見なし、文化や公共に資する人間を育てるという発想はないらしい。

その後、学校はどのようにして優秀な労働者もしくは社会の歯車もしくは奴隷をつくる場所になったのでしょうか。

障害者の排除、勉強ができない生徒の排除(特殊学級に入れる)、政治的活動の禁止、日教組の衰退、批准した「子供の権利条約」を無視、ゆとり教育は教育の民間委託(新自由主義の一環)に過ぎなかったこと、日の丸・君が代の強制、道徳の教科化、教師の内心の自由を制限しつつ負担を増やすこと、全国学力テスト、発達障害なるものの出現(発達障害は病名ではなく政令で定められた障害)……。

1984年、総理府が設置した臨時教育審議会のメンバーが個人的には興味深い。ダイエー中内功、ブリジストンサイクル石井公一郎ら財界人、香山健一・公文俊平ら新自由主義を標榜する学者、山本七平・渡部昇一ら自称保守にして歴史修正主義的な作家。のちに「新しい歴史をつくる会」の中心メンバーになる高橋史朗。 名前を見ただけで、学校がどんな方向に進んだかわかります。

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ごく最近の話をしましょう。

2007年に始まった全国学力テストにより学校間、地域間の競争が激化。自治体が成績のいい学校を優遇するようになると、小中学校に「スタンダード教育」や「ゼロトレランス方式」という考え方が広まったそうです。

スタンダード教育とは、子供や教師や保護者に対して細かい決まりを設けることらしい。たとえば、生徒に、机のうえの教科書・筆箱・ノートの配置を決めたり、姿勢などを細かい指示します。私だったら窮屈でしかたない。

ゼロトレランスは「寛容度ゼロ」を意味します。クリントン政権以降、アメリカで行われている教育理念&実践だそうで、エスニック・マイノリティや障害児、低学力の子供などが小さな逸脱を理由に排除され、教育を受ける権利を事実上奪われていると言います。日本では採用している学校はまだ少ないようですが、広島・福山のある中学校では、学校生活はもちろん校外での行動ふくめ生活全般に事細かなルールがあり、違反の程度に応じて、説諭、反省文、保護者への連絡、別室指導、警察への通報・逮捕などがマニュアル化されていると知りました。

社会にダイバーシティ(多様性)を、とお題目を唱えながら、戦後の学校が行き着いた先が寛容度ゼロって……。歯車製造工場に耐えられない子供は自殺したり、発達障害とレッテルを貼られます。 安倍政権は、子供の内心に踏みこんだり、親学を推奨したり、教育で特定の企業を儲けさせたりもしました。

本書には学校再生の可能性を模索もしています。仮に「子供たちが幸せになるための学校」の実現が可能だとしても、まずは自公政権を下野させねば……。

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↓ 日本とはまったく違うスウェーデンの教育についてはこちらを。

↓ 日本の教育について書いた良書をもう1冊。

 

藤井聡太、八冠すべてを制覇

藤井聡太八冠が誕生。八冠独占の偉業、おめでとうございます。

王座戦五番勝負第4局、ジョギングを忘れて観戦していました。

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将棋のタイトルは八つあります。

竜王、名人、王位、叡王、王座、棋王、王将、棋聖(序列は優勝賞金による。多分)

藤井は、王座だけ唯一持っていなかったのです。王座戦挑戦者決定トーナメントはリーグ制ではなくトーナメント制です。通算勝率8割超の藤井ですが、トーナメントではたまたま1度負けたらそれでおしまいですから。

今期の挑戦者決定トーナメントはベスト8で対戦した村田顕弘六段との対局が危なかった。終盤は敗色濃厚。ところが、ABEMAのAI評価値(期待勝率。以下、評価値)で 5:95 くらいの大差から謎の銀のタダ捨てを繰り出し、大逆転したのです。準決勝、決勝は、ともに接戦でしたが、それぞれ羽生善治九段、豊島将之九段に勝利して、ついに八冠めのタイトルの挑戦権を獲得しました。

31歳の永井拓矢王座と21歳の藤井聡太七冠の王座戦五番勝負。

今、藤井に勝つには、相手はAIを駆使して作戦を立て、藤井が知らない局面に誘導するしかありません。序中盤でリードを奪い、藤井の持ち時間を削るのです。その点、このシリーズで永瀬は巧みでした。初戦は後手番だったにもかかわらず先勝。今期、藤井が先手番で負けた唯一の対局が王座戦第1局です。

第2局も永瀬がリード。追いこまれた藤井は、永瀬のミスを衝いて、絶対につかまらないほうへ逃げだします。永瀬がなかなか投了しないところに執念を見ました。続く第3局は、後手・永瀬が袖飛車という珍しい戦法を採用してリード。しかし、藤井が評価値 5:95 の劣勢を逆転しました。永瀬は1分将棋で△4一飛と打ったのが悔やまれます。

そして第4局。またもや藤井が評価値 2:98(中継アプリでは 0:100)くらいから大逆転。両者1分将棋でした。精密計算機みたいに言われる藤井ですが、負けそうになると、局面を複雑化して逆転を狙う勝負師の一面も持ちます。

AIの評価値は「すべてを計算し尽くした結果」であり、トップ棋士とはいえ1分では読み切れないこともあるのでしょう。永瀬は▲5三馬が失着だとすぐ気づいたようで、頭を叩いたり髪をかきむしったり溜息ついたりするのが印象的でした。

結果、3勝1敗で藤井挑戦者が王座を奪いました。

藤井聡太はほとんどトップ棋士としか対戦していないのに、今季も勝率が8割を上回っています。タイトル戦に限れば、登場18回ですべて勝利していて、通算64勝16敗(.800)とのこと。

ただ、今回ばかりは、永瀬が3戦全勝もしくは3勝1敗で防衛していてもおかしくない内容でした。藤井とよく練習将棋を指す彼は、藤井との戦い方を徹底的に研究し、紙一重のところまで肉薄していると思われます。永瀬が次に挑戦するとしたら、来年の王将戦か名人戦。期待しています。

国立民族学博物館

大阪で一泊。朝4時ごろ目が覚めたので、時間をつぶすのに骨が折れました。御堂筋線とモノレールを乗り継いで、目的地へ。ミャクミャクくんがラッピングされたモノレール車両がありました。あんなヘドロの妖怪みたいなのを、みんな毎日見せられているなんて、大阪のひと可哀想。

この日も炎天下です。万博公園にやってきました。今回のプチ旅行のメインこそは、何を隠そう……ジャジャーン!

違う違う、太陽の塔を見たかったわけではないんです。(何年前でしょうか、大阪を35kmくらい走ったとき、見に来たことがありました)

折角なので脱線します。私は1970年11月に5歳になりましたが、大阪万博の会期中は4歳でした。賑わう万博の様子を見るたび行きたくてたまらなかったんです。赤軍の男性が太陽の塔の、上についているほうの顔の目玉に居座ったことありましたよね。いわゆるアイジャック事件。怖くないのかなあ、とワクワクしながらニュースを見ていました。

今は万博みたいなお祭りの喧噪は避けたい。オリンピックと同じく、万博も資本主義が生んだバケモノです。高度経済成長期には明るい未来を夢見ていられたのでしょうけど。ちなみに、万博関連の本では、吉見俊哉『万博幻想──戦後政治の呪縛に教わることが多かった。

さて、旅の本当のメインはこちらです!

国立民族学博物館(HP)。文化人類学ファンならば、1度は来なきゃいけないところだと思っていました。万博公園は9時半の開園時間すぐに入ったんですが、博物館のオープンは10時。その30分が暑かった。

世界中の民族の文化──装飾品・民具・工芸品──などが展示されています。狩猟採集民は弓矢や槍くらいしかないので展示物が少ないのはしかたありませんが、世界中の遊牧民、農民らの暮らし方がよくわかります。楽器はすごい数でした。チャルメラだけでも、どんだけ収蔵されていることやら。

……3時間経過……

きちんと見たら1日かかるというのは本当ですね。映像などを「つまみ見」して時間短縮したつもりでしたが、見終わったら13時を回っていました。

個人的に感激したのは、吉祥寺の喫茶店「もか」の店主・標交紀(しめぎ・ゆきとし)さんのコレクションを見られたこと。店の奥のケースに飾られていた世界のコーヒーに関する道具が寄贈されたと何かの記事で読んだっけ。豆を炒ったり挽いたりする道具もたしかに民族学的資料です。「もか」の看板もありました。美味しいコーヒーだったなあ。行くと、必ず2杯飲んでいました。

館内のレストランで昼食。ただのファミレスでガッカリ。ロボットが配膳していました。レストランから出たところで、人類学者I先生とすれ違いました。放送大学で氏の講座を聴き、期末のレポートでは「特A」の成績をつけてくださいましたが、人見知りだもんで挨拶せず。妻への土産を数点買って(ひとつは、どこかの国の木版プリントのハンカチ)、新大阪駅に向かいました。

おしまい。