狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

終われば成功

f:id:mugibatake40ro:20210709132042p:plain↑ 東京の状況をガン無視。お呼びでない。

8日、加藤勝信官房長官が閣議後に記者会見、「大会の成功を果たすには選手、関係者だけでなく国民の皆様の協力が必要。テレビ観戦を通じ応援して頂きたい」と発言(→REUTERS)。選手村の選手は出歩くのが自由なんですが、東京に暮らす人たちは東京を明け渡し我慢しろということらしい。オリンピックのために都民や国民の負担が増えるってどういうことか?

午後の衆議院運営委員会、共産党・塩川鉄也議員はオリンピック中止を求めました。西村康稔経産大臣は「開催権限はIOCが判断されると聞いている」といって逃げるんですけど、主権国家より強大な決定権を持つスポーツ組織ってあるわけない。

本日は、IOCバッハ会長が来日。3日間だけ待機するそうです。バッハをまじえた5者協議により、東京と埼玉、千葉、神奈川の1都3県は無観客となった模様です。それでスポンサー枠のお客さんは入る、と。コネ国家日本らしい。そのうえ(多くの自治体は拒否していますが)小学生を集団で観戦させる計画はまだ残っています。

衝撃的だったのは、《西村経済再生担当大臣は酒の提供を続ける飲食店に対し、取引先の金融機関からも働き掛けるよう要請する考えを示しました。》というニュース(→テレ朝ニュース)です。怒り狂った私。なぜ飲食店を締めつけるのに、オリンピックを開くのか?? うわ〜っ。

★   ★   ★

菅義偉首相は会見で、「世界で40億人が、テレビを通じて視聴すると言われるオリンピック・パラリンピックには、世界中の人々の心を一つにする力がある。新型コロナという大きな困難に直面する今だからこそ、世界に一つに、世界が一つになれることを、そして、全人類の努力と英知によって、難局を乗り越えていけることを東京から発信したい」と発言。(→日テレニュース

美辞麗句が並んでいますけど、本当でしょうかね。オリンピックに興味のない国、選手を派遣できなかった国もありますし、オリンピックはナショナリズムのぶつかり合いでもあります。世界が一つに、とか、全人類の努力と英知によって難局を乗り越える(コロナに打ち勝った証ではなくなりました)とか、科学を無視したポエムです。世界から持ちこまれた変異株をシャッフルして拡散してしまう、国際コロナ見本市になるのではないかなあ。 

IOCにとって、オリンピックの成功とは「大会をやり遂げること」……これだけです。巨大スポーツイベントには反対運動がつきものですが、いつも無視しています。1968年メキシコシティー大会開幕の10日前、オリンピック反対デモに公安部隊が発砲して数百人を殺害したときも、1972年ミュンヘン大会の期間中にテロが起きて選手が11人も犠牲になったあとも、80年モスクワ大会を西側諸国がボイコットしたときも、84年ロサンゼルス大会を東側諸国がボイコットしたときも、大会は中止にならなかったのです。非難の嵐にさらされましたけど最後までやり遂げれば、IOCとしては成功なのです。

テロだろうがパンデミックだろうが紛争だろうが、IOCはやり遂げることで多額の放映権料を得られます。「アルマゲドンでも起きない限り大会は開催される」(ディック・パウンド委員)は本音なのでしょう。コロナ対策に失敗したら日本のせいですし。

日本は無観客にしたことで興行収入を失いました。もう誰も経済効果とか言いません。大企業スポンサーやメディアなどの受益者がそれなりに儲けてくれればいい。赤字になってもそれは公金だから政治家の腹は痛まない。いちばんの望みは日本選手の活躍で国民が沸き立ち、さまざまな問題がうやむやになることです。もう、科学も理屈もない。感動だ!!

──東京オリンピックまであと15日。

バブルははじけている

6日、モデルナ製のワクチンの供給がじつは6割も減っていて、じつは私は2ヶ月前から知っていましたと河野太郎大臣がテヘペロ(死語)発言をしたのですが、この人、1週間ほど前に吉本興業の職域接種を見学に行き、モデルナワクチンを注射する芸人を見ていたんですよね。モデルナが不足することをあのとき知っていたわけです。

なんか毎日、不思議なことが起きますね。

★   ★   ★

7日午前に、厚労委員会の閉会中審査が行われました。YouTubeあたりで検索してご覧になってください。

立憲民主・長妻昭議員や山井和則議員などの質問で明らかになったのは、海外から入国したオリンピック関係者は空港で一般客とごっちゃになって動いていること、入国初日からコンビニに行ったり居酒屋やファミリーレストランの個室を利用できること、届け出する必要はないので行動履歴はたどれないこと、などです。バブル方式なんて最初からはじけているのです(野党の質問を馬鹿にしたように笑う官僚や議長・渡嘉敷奈緒美の態度がひどかった)。

 夕方、東京の新規感染者が920人と発表され、夜にはふたたび緊急事態宣言が出されると発表されました。今回の緊急事態宣言は7月12日から8月22日までだそうです。東京ではまた酒を出さないよう飲食店に通達があるのでしょうけど、見合った休業補償がなければやっていけません。やっていけませんよ、都民も。

オリンピックは無観客にせざるをえないでしょう。他の道府県から人が来ることになりますからね。

平和の祭典とかなんとか、そういう虚飾が全部剥がれて、欲望だけが剝き出しになりました。カネくれ〜、もっとくれ〜。VIPルームでは酒を出さないなんて言っていますけど、ポンッとシャンパンを抜くくらいのことはすると思いますよ。もう一杯くれ〜

★   ★   ★

熱海はじめいろんなところで土砂災害が起きているようです。危ない地域にお住まいの方、どうぞ早めの避難を。

──東京オリンピックまであと16日。

男爵で始まり男爵で終わる……もまた良し

2021/6/11の東京新聞朝刊、北丸雄二さんのコラムにこんな話が紹介されています。

2022冬季オリンピック招致を目指していたノルウェーのオスロに対し、IOCがこんな要求をしてきました。

  • 空港は一般客とは別の専用口を用意しろ
  • バッハ会長到着時は滑走路で式典風に歓迎せよ
  • 開会式前に国王と面会させろ
  • その後にカクテルパーティを開け
  • その費用は王室かオスロ五輪委が負担しろ
  • 委員の車移動用に一般車両やバス進入禁止の専用レーンを作れ
  • ホテルでは支配人が季節の果物とケーキを持って部屋に挨拶に来い
  • ホテルのバーは委員用に震哉も延長営業しろ
  • ミニバーには必ずコークを
  • 競技スタジアムにもワインとビールを

そんな要求をされた《オスロは先行途中で立候補を降りました》だって。貴族か!? ああそうでした、ワシントンポストは今年5月、バッハ会長をぼったくり男爵と呼んだんだ。貴族です。

★   ★   ★

以下は私の浅い知識です。

近代オリンピックの父といえばクーベルタン男爵。産業革命以降、イギリスで近代スポーツが誕生します。発掘により古代ギリシャの調査も進んでいました。そんな状況で、クーベルタン男爵は国際交流や教育を目的とする近代オリンピックを誕生させます。平和と友好を謳いながら、性差別、人種差別の意識を持っていて、「スポーツで鍛えることはは戦争の役に立つ」などと矛盾したことを言ったりしているそうです。

最初は万博に付随した運動会でした。帝国主義的な資本主義国家が中心です。多くの選手たちは、スポーツは金持ちの子息でした。万博から独立したのは、日本が初参加した1912年ストックホルム大会以降です。

クーベルタンは女性の参加は非実際的、退屈、不愉快、不適当だとして認めなかったのですが、フランス人女性アリス・ミリアの尽力により、1928アムステルダム大会でやっと女性参加が全体の1割になります。人見絹枝が800mで銀メダルを取ったのがこの大会でした。

1936ベルリン大会は大成功をおさめます。ナチスが国家行事として大会を利用、聖火リレーや記録映画を考案し、ナショナリズムを煽りました。喜んだクーベルタンは、「以後、ベルリン大会を踏襲すべし」と言ったそうです。

戦後の、とくに東京オリンピック以降はみなさんご存じのとおりです。

われわれが子供のころはアマチュアリズムという言葉がありましたが、東側諸国は国威を誇示するために才能のある子を集めてエリート教育をしていましたし、西側だってだんだんプロ化を推進しました。メディアの進化とともにスポーツは変質したのです。1984ロサンゼルス大会の興行的成功はオリンピックが一大利権であることを多くの人に知らしめました。♩金のためならプロ化も許す〜それがどうした文句はあるかあ。現在、メダリストに純粋なアマチュアなんていません。オリンピック招致には必ず黒い噂がつきまといます。

★   ★   ★

クーベルタン男爵ら当初のメンバーは自腹で運営していたといいますが、大きな目で見れば、植民地支配していた資本主義国家の人々が搾取した金でおこなっていたともいえるのです。さすれば、最初から最後までぼったくり男爵がやっていたと言えなくもないような……。

そろそろオリンピックというもの、スポーツというものを根本的に考えましょうよ。

──東京オリンピックまであと17日。

「反日的な人が五輪開催に強く反対」と「絆」

毎日新聞の記事「安倍前首相『反日的な人が五輪開催に強く反対』 月刊誌の対談に」(2021/7/3)より。

 安倍晋三前首相は発売中の月刊誌「Hanada」で、東京オリンピック・パラリンピックについて、「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」と批判した。具体的には共産党や5月の社説で中止を求めた朝日新聞を挙げた。

 安倍氏は五輪の意義について、「(日本人選手のメダル獲得などの)感動を共有することは日本人同士の絆を確かめ合うことになる」「自由と民主主義を奉じる日本がオリンピックを成功させることは歴史的な意味があり、日本にはその責任がある」と強調。五輪開催を批判する野党については「彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか」とも述べた。

へえ。東京オリンピック・パラリンピックにに反対すると「反日」なんだ。オリンピックは国内の感染リスクを増やすだけではなく、海外から来たみなさんがウイルスを持ち帰ることになるかもしれません。そんな心配をする国民を反日呼ばわりする人が前首相だとは。安倍氏は親日家なんですね。普通、親日家といえば外国人を指します。安倍さんはどこの国の方かしら

私は新型コロナの流行以前から東京オリンピック反対です。そんなもの返上して、予算と人材を復興と原発収束のために充ててほしいとこのブログにも書いています。もはやオリンピックそのものも不要だと考えています。私は反日のなかの反日なんでしょう。えっへん。

★   ★   ★

「(日本人選手のメダル獲得などの)感動を共有することは日本人同士の絆を確かめ合うことになる」んだそうです。私は国際大会を見るときに「絶対に日本人に勝ってほしい」なんて思ってはいません。スポーツで日本人の絆とか、どうでもいいんです。

ちみなに「絆」について、いい機会なのでおさらいしましょう。

「絆」とは動物をつなぐ綱のことです。

脚絆や絆創膏などの単語を見るに、丸いものに巻きつけるイメージでしょうか。人間関係に使う場合は「人を束縛する義理・人情のたとえ」になるそうです(新漢和大字典)。ほだすとも訓読みします。意味は「しばって自由に動けなくする」。つまり「情に絆(ほだ)される」とは、「情にからめとられてそれ以外の思考ができなくなり」くらいの意味でしょう。こちらは悪い意味に使うとは限らないかも知れません。

私は読んでいませんが、サマセット・モーム『人間の絆』の原題はは Of Human Bondage らしい。Bondage の意味は、束縛、服従、奴隷などですから、中野好夫による邦訳が出た1950年には「絆」は本来の意味で使われていたはずです。今のように良い意味が拡がったのは1980年代くらいかなあ。氾濫したのは2011年のあとではないでしょうか。

改めて、安倍氏の「感動を共有することは日本人同士の絆を確かめ合うことになる」をもともとの意味で読んでみましょう。「感動を共有することは日本人同士の不自由さ・束縛を確かめ合うことになる」……怖い怖い。

★   ★   ★

ふたたび記事に戻ります。

 また、安倍氏は6月9日に菅義偉首相と初の党首討論に臨んだ立憲民主党の枝野幸男代表の論戦姿勢について、「(演説)プランが崩れることを非常に嫌う」と述べ、「『非常に自己愛が強いので、批判されることに耐えられないのではないか』と見る人もいる」と指摘した。枝野氏について、「(当時首相だった安倍氏への)一方的な批判に終始するなど、インタラクティブ(双方向)な議論を避ける特徴がある」とも批判した。

「非常に自己愛が強いので、批判されることに耐えられない」人、「一方的な批判に終始するなど、インタラクティブ(双方向)な議論を避ける特徴がある」人って安倍氏のことではありませんか。国会でまたキレ芸を見せてください。

──オリンピックまであと19日。

大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』

高校卒業して進学も就職もせず、バイトで貯めたお金で世界一周した後、東京・国立駅から徒歩20分──私のジョギング圏内ですから、すれちがってるかもしれません──の家賃2万8千円の風呂付きワンルームに住み、週休5日の自称隠居生活。

いまは台湾にいるのかな? コロナで台湾に戻れなくなり日本にいるんだっけ?

「大竹まことゴールデンラジオ」にゲスト出演したとき、「日本では知り合い以外はみんな他人だけど、台湾は自分と他人のあいだに何段階かあって、友だちじゃなくても声をかけてくれたり助けてくれたりする」みたいなことを言っていたのが印象的でした。

おっと脱線。本を読むかぎり大原氏は積極的に多くの人とコミュニケーションを持つタイプではありません。読書や散歩を趣味とし、冷暖房を使わず、自炊し、多摩川で野草をとっています。学生時代は両親との関係や学校でのいじめに悩んでいたとありますし、性的マイノリティでもあるそうです。きちんと働けという人もいるかもしれませんが、毎晩バリバリ仕事して、帰りにみんなと焼き鳥食うみたいな生活だけが人生ではないよなあ。

食事法など私の考え方と異なるところは多々ありますが、当人がよければそれでいい。彼は気候変動とか脱成長とかのための年収90万円生活ではないでしょうけど、まったくかまいません。きちんと頭で考えて自律的に行動しています。ここが重要です。

その昔、男はいい大学に行っていい企業に入って28歳くらいで24歳くらいの女と結婚して3人子供をつくるのが社会的成功のレールで、そこから脱線したらアウトだと、なんとなく思われていましたよね。でも、大原氏は大学に進まず企業にも属せず、アクティブとはいえませんが、それでも日々楽しそうです。いいんですよ、幸せならば。資本主義の周辺にいたら、搾取されることも、搾取することも少ないし。

★   ★   ★

以下、脱線。この本で多用される1行アキ、必要なんでしょうか。ブログの書き方の延長なのかなあ。解説の小島慶子さんの文章はぎっしり詰まっていて、例の口調が乗り移ったような文章だからマシンガンにダダダダダ……と連射されているよう。本編と解説の文体の違いに面食らった私。

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』

毎夜、絶世の美女とエッチして生気を吸い取られていく男。変だと思った第三者が覗いて見ると、男と一緒にいるのは亡霊となった女の腐乱死体であった……なんて怪談ありますよね。

人が狂ったように欲しがるお金。しかし、大昔の人からすれば、紙幣はうすっぺらい紙にきれいな絵が描かれているだけです。狩猟採集民から見れば、お金に群がる人は亡霊に取り憑かれたように見えるでしょう。だって紙幣も硬貨も食えないんだもの。

★   ★   ★

書店で『ぼくはお金を使わずに生きることにした』という本を見つけました。カバーに印刷されたこの人、ネットで見かけたな、本が出たんだ、と購入しましたが、あとで奥付を見たら2011年に邦訳が出ていて、16刷なのでした。原著は2010年刊とのこと。

1年間、お金をつかわずに生活しようと決めた、イギリス(アイルランド出身)のマーク・ボイルの体験談です。金なし生活を始めたのは30歳になる前の2008年。若いころの私は、彼のような考えはまったく浮かばなかったなあ

彼はカーボンニュートラル、脱資本主義をめざしています。ヴィーガン(厳格な菜食主義者)でもありました。文中に『森の生活』にも触れていますが、ソローが書いたような孤独で静的・思索的な生き方ではなく、より多く人と接して助け合いました。スーパーが廃棄する食品、採集・栽培した植物などで食事を得て、必要なものは拾ったりシェアしています。住まいにしたトレーラーハウスは、無銭生活を始める前に、マッチングサイトでタダで譲り受けたもの。もちろん1年間停めたままです。

フリースキルのつどいというのがまた興味深い。みんなが持っている知恵や技術を教え合うのも、なるほど、シェアです。ビールやパンの作り方とか、キノコから紙やインクができるとか、ビックリする話がたくさんあります。

ひと月4万円で暮らす『「山奥ニート」やってます』などにも共通しますが、搾取されながら働いて稼いで消費するサイクルから抜け出して仲間たちと和気藹々やっていれば、狩猟採集民の考え方と似てくるのです。当たり前です。気心の知れた人たちは「あいつから幾ら搾取してやろうか」なんて思いません。

オーストラリアの億万長者カール・ラベダーは、300万ポンド相当の全財産を寄付したとそうで、理由を聞かれて、こう語えたといいます。

 お金とは非生産的で幸福をはばむものです。長いこと、裕福になればなるほど幸せになれると信じていました。私が育った家庭はたいへん貧しかったので、懸命に働いてより多くの物を手にしなければならないと教えられ、長年その価値観に従ってきたのです。でも、だんだんと内なる声を無視できなくなってきました。「こんなぜいたくや消費はもう終わりにして、本当の人生を始めるんだ。欲しくもない、必要すらない物のために、奴隷になって働いているみたいじゃないか。

人々が狂ったように求める貨幣が亡霊だと気づいてしまったんですね。経済学者リチャード・イースタリンは豊かになっても幸福にならないことを「消費主義のルームランナー」と呼んでいるそうです。ハムスターが回し車を懸命にまわしているようなもんです。へとへとになるけど、1ミリも先に進んでいません。

★   ★   ★

消費しないと経済がまわらないなんて変な話です。しかも、店やネットで買う商品は誰かを搾取して作られるものです。「その柄、流行遅れよ。今年のトレンドはこれなのよ」って言われて、まだ着られる服を捨ててお店に走るだなんて本質的にまったく間違っています。

資本主義そのものがおかしいのです。私はいきなりお金なしでは生きていけませんが、環境保護や人間共生のためにも、資本主義の外を経験した人から生活のヒントを得たいと思っています。

一次的な免疫?

6月30日から、オリンピック大会ボランティア約7万人にモデルナ製のワクチン接種がはじまりました(バイト情報サイトにはオリンピック関連のバイトをあちこちで募っていますけど、彼らはワクチンを打たないのでしょうね)。2回目は早くても7月31日と報じられています。ワクチンの効果があらわれるのは2回目の接種のあと14日以降とされるので、充分な免疫が得られるのはオリンピックのあとということになります。

そのことについて丸山珠代オリンピック・パラリンピック担当大臣は、「まずは1回目(の接種)でイチジテキに免疫をつけていただきたい」と発言。6月29日のことでした。

最初に発言が報じられるさい、イチジテキは「一時的」と表記されましたが、内閣府が「一次的」に訂正するよう求めたようです。

私は「一次的」ってあまり使わないんじゃないかなあ、と感じました。もちろん「一次」はよく見ます。一次試験、一次募集なら何段階かあるうちの一番目くらいの意味でしょう。一次史料の一次は根本的な、くらいかな。一次方程式、一次関数の一次はですね……ええっと、わからないので割愛。

しかし、手許の辞書を引いても「一次的」という項目はないんですよ。

「二次的」なら辞書に載っています。「主になるものに比べれば、それほど重要な事ではない様子」との説明です。「Aと比べれば、Bなんて二次的な問題にすぎない」「いま現地入りすれば、二次的な被害を起こすおそれがある」とか言いますね。

二次的が主になるものでないということを踏まえ、あえて「一次的」の意味を考えるなら「主たるもの」ということになりませんか。つまり丸川大臣は「まずは1回目で主たる免疫をつけていただきたい」と言ったのですね。

まさか。丸川大臣は「一時的」と言ったはずなんですよ。

──オリンピックまであと22日。

f:id:mugibatake40ro:20210701132328p:plain