狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

ソロー『森の生活』

ずっと積ん読状態だった、H.D.ソロー『森の生活』上を読みました。私は飯田実訳の岩波文庫で読みましたが、今泉吉晴訳の小学館文庫『ウォールデン 森の生活』上がよいという人もあります。小学館文庫を立ち読みしたところ、レイアウトが工夫されていたので、いずれは購入しようと思います。

ヘンリー・デイヴィッド・ソローは1817年生まれ。マサチューセッツ州コンコードにあるウォールデン湖のほとりに自力で小屋を建て、1845年7月4日からひとりで暮らした生活を記したのが『森の生活』です。元のタイトルは WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS。19世紀半ばに出されたこの本は、ナチュラリスト、ミニマリスト、シンプルライフの先駆とされます。 

私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直結し、人生が教えてくれるものを自分が学びとれねかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きては居なかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。(以下、すべて岩波文庫・上巻162ページ)

大半は自然の素晴らしさを散文詩のように描出しています(ウォールデン湖に舟で漂ってみたいもんです)が、暮らしやすい社会・平等・奴隷・本来の人間生活といった、私の関心に響く思想は最初と最後に書かれていました。

南部に奴隷監督がいるのはやりきれないが、北部にいるのはもっとやりきれない。いちばんやりきれないのは、自分自身を奴隷にしている奴隷監督がいることだ。(上巻16ページ)

などという記述にはハッとさせられます。

 わが国の工場制度は、人間が衣類を得るのに最上の方法だとは思えない。職工たちの労働条件は、日一日とイギリスの状態に近づいている。これは別におどろくにはあたらない。私が見聞したかぎりでは、工場制度の主たる目的は、人間が正直に働いた金でちゃんと服を着られるようにすることではなく、明らかに会社を肥らせることにあからだ。(上巻52ページ)

資本主義という言葉が生まれたのはまさに19世紀半ばのことです。

 原始時代の人間は、単純な裸の生活を送っていたおかげで、少なくともまだ自然のなかで暮らせるという利益を得ていた。食べ物と睡眠によって元気を回復すると、彼はまた次の旅路へと思いをめぐらせた。彼は、いわばこの世の仮住まいで暮らしながら、谷間を縫って進んだり、平原を横切ったり、山頂に登ったりしていたのである。ところがどうだろう! 人間は自分がつくった道具の道具になりさがってしまった。腹が減ると、めいめい勝手に木の実を摘んで食べていた人間は、いまや農夫となった。木の下に立って雨露をしのいでいた人間は、家を管理している。われわれは、いまではもう野宿をすることもなく、地上に定住して天を忘れている。われわれがキリスト教を採用したのも、それが天ではなく、地の耕し方としてすぐれていたからにすぎない。(岩波文庫・上巻52ページ)

私も以前は「いい服着たい」「いい家に住みたい」「うまいメシ食いたい」……なあんてことを考えたものですが、全部だれかに刷り込まれたものでした。毎日、要らないものを買え買えと、テレビやネットはひとびとに発信します。みんな「国民が金を使わないと経済がまわらない」と言う。なぜ経済を回さなければならないのか? わざわざ要らないものを買わなければならないのか? 経済を回って得をする人は誰なのか?

2年2ヶ月2日間暮らしたあと、ソローは森を去ります。《おそらく、私にはまだ生きてみなくてはならない人生がいくつもあり、森の生活だけにあれ以上の時間を割くわけにはいかいと感じられたからであろう》。

 私は実験によって、少なくとも次のことを学んだ。もしひとが、みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いたとおりの人生を生きようとつとめるならば、ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる、ということだ。(略)生活を単純化するにつれて、宇宙の法則は以前ほど複雑には思われなくなり、孤独は孤独でなく、貧乏は貧乏でなく、弱点は弱点でなくなるであろう。(略)(岩波文庫・下巻276ページ)

食事法など、私は完全にソローと一致するわけではありませんが、多くの示唆を与えてくれた作品でした。1862年、肺結核のためソローは44歳の若さで亡くなります。あの美しいウォールデン湖は、汚染されているとか……。

『森の生活』の聖地ウォールデン湖、汚染と温暖化で悲惨な状態 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

森の生活 上-(ウォールデン) (岩波文庫)

森の生活 上-(ウォールデン) (岩波文庫)

 
森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

  • 作者:H.D ソロー
  • 発売日: 1995/09/18
  • メディア: 文庫
 
ウォールデン 森の生活 (上) (小学館文庫)
 
ウォールデン 森の生活 (下) (小学館文庫)
 

山崎柄根『鹿野忠雄』

ブログをサボっていたときに読んでいた本の話を……。

山崎柄根による伝記『鹿野忠雄』(平凡社)を入手し、読みました。かのただお、と読みます。鹿野の人柄をもっと書き込んでほしかったけど、「わからないことを想像で補わない」という姿勢かと思います。本書にて著者は日本エッセイストクラブ賞受賞とのこと。

山極寿一・尾本惠一『日本の人類学』(ちくま新書)で、尾本氏が鹿野忠雄に言及していて、興味を持ちました。読んでからわかりましたが、若くしてさまざまな分野で多くの研究をし、内外に知られた学者であったようです。

鹿野は明治39年(1906)生まれ。開成中学時代から北海道や樺太におもむき、新種の昆虫を見つけて論文を発表する少年でした。開成中学を卒業後、台北高等学校に進学。台湾に行ったのは彼の地の昆虫を調べたかったからです。学校にはあまり行かず、親しくなった現地の蕃人とともに山に登り、多くの発見をしました。台湾には多くの原住民が住んでいて、首狩りの習慣を持った部族もいたそうです。

民族学にも興味をもつようになり、現地をフィールドワークしています。とくに孤島・紅頭嶼のヤミ族とは仲がよかったらしい。鹿野の研究は地理学にも及びますが、多くの学者と知り合う一方、各学問が細分化して縦割りになっている状況にうんざりもしています。

鹿野は戦争を嫌っていたようですが、昭和17年から陸軍の嘱託として戦地に赴きます。学術機関の整備や文化財の保護のためでした。当時、フィリピン先史学・民族学会の大物であるベイヤー教授が、非戦闘員であるにもかかわらずアメリカ人であるという理由で捕虜となっていたことに驚き、軍政監部にかけあって解放してもらっています。《アメリカ人解放の実情は、頭の堅い軍部を向こうにまわし、命がけであったよう》だと著者は書いています。

マニラで民族資料を集めたりしたあと翌年帰国、研究を大急ぎでまとめたあと、昭和19年、今度は学者・北村総平とともに北ボルネオに派遣されました。

現地では、司令部から出張する形で現地を調査しますが、戦況は悪くなり軍は転進(敗走)を繰り返します。現地民を連れて移動していた鹿野と北村は、出張のたびに期間を勝手に延長して調査をしていました。兵隊からは軍人嫌いで原住民と親しい変わり者と見られているようです。いつのまにか現地召集されていました。

昭和20年7月15日、鹿野・金子が目撃されていたのを最後に、二人は失踪してしまいます。鹿野は38歳でした。

日本軍に恨みをもつ現地民に殺された、じつは生きている……戦後いろんな憶測が飛びました。

戦後、ベイヤー教授が日本人収容所にいないことを不審に思って調べたようです。また、戦時中にボルネオの奥地に降り立った学者トム・ハリソンが原住民から聞いた噂話も伝わっていて、どちらも、鹿野と北村は日本人憲兵に撲殺されたということでした。現地調査していた彼らに現地召集の命令が届かなかったことが憲兵の反感を生んだと推測されるとか……。なんともやりきれません。

★   ★   ★

現地民と親しくなる鹿野忠雄が、もっとも親しくしたのは前述の紅頭嶼のヤミ族です。ここ千年の間、台湾とフィリピンに連なるパシー海峡のバタン諸島にはフィリピン文化が伝わり、また近世以降はスペインやアメリカの文化も入っていましたが、紅頭嶼は目の前にある台湾に近づこうともしなかったこともあり、固有の文化(バタン文化)が残っていたそうです。台湾を統治していた日本政府・台湾総督府も教化しなかったそうです。

尾本氏の分類では、初期のノマド狩猟採集民の次の段階「定住し特定の植物の栽培(園芸・園耕)をおこなう者」に分類されるものだと思います。

台風を避けるため半地下の住宅に住み、男は漁撈に、女は農耕に従い、女はまた山の植物から得た繊維で糸を紡いだ。また、土をこねて土器を作るという、自給自足の生活である。
 ヤミの社会には首長制がなく、だれもが自由を楽しんでいる。人の上に人が立つということはないのである。しかし、この社会は、決して共産主義的な社会ではない。労働は買われることなく、たとえばミズイモ畑の開墾などを行うときには、親類、知人、その他手のすいている者が手伝う。手伝うことはいとわない。男系社会で、長男ができると、親は子ども本位に自分の名を改めるテクノミニーが行われる。男は父親のあとを継ぐ。しかし、遺産は娘を含め子どもたちに等分に分与される。

ヤミの社会は無文字文化で、独特の太陰暦があり、三年に一度うるう年があるそうです。台湾本島に見られる首狩りの習慣はない。酒も煙草も知らない。ミズイモはほうっておいても次から次へと生産されるといいます。

ここがマラリアや台風に侵される土地であっても、ヤミたちはまさに地上の楽園に住んでいる人々だといっても過言ではなかった。

彼らは丸太船ではなく龍骨をもった構造船「チヌリクラン船」を作ります。鹿野は彼らと親しくなり、松明漁(夜のトビウオ漁)やチヌリクラン船の進水祭に参加しています。

戦後、紅頭嶼を訪ねた学者は、鹿野のことを尋ねられ、死んだとは伝えられなかったそうです。現在は蘭嶼と呼ばれ、中国による同化政策が進んでいます。寂しいなあ。

日本の人類学 (ちくま新書)

日本の人類学 (ちくま新書)

 

『JR上野公園口』チグハグ県『JR上野公園口』

柳美里『JR上野公園口』を読んでいました。全米図書賞受賞と話題になりましたが、わたしはホームレスが主人公であることに惹かれ、少し前に買っていたのでした。

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

いきなり脱線します。これを書いている日は「春の嵐」だそうで、夜中まで様子を見ますが、外を走れないかもしれません。春の嵐で連想したのは、

  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
  「サヨナラ」ダケガ人生ダ

という井伏鱒二『厄除け詩集』に収録されている詩です。あれは、于武陵の五言絶句「勧酒」後半を井伏が現代訳したものです。

  花発多風雨 花ひらけば風雨多く
  人生足別離 人生まれば別離に足る(たっぷりある)

ここから「ハナニアラシノタトヘモアルゾ/ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ」というユーモアが出てくるのが、いかにも井伏調ですね。

井伏は「唐詩選」の17首を現代訳したんですが、それらは江戸期に石州(島根県)の俳諧師・潜魚庵(中島魚坊)が訳したものを下敷きにしたということを、高島俊男「お言葉ですが」シリーズで知りました。高島先生は井伏ファンですからパクったなんて書きません。とくに、「勧酒」の訳はタネ本にはない井伏の独創だと書かれていたはずです。

……ということで、書棚からお言葉ですが…7 漢字語源の筋違い』を出して適当に開きますとですね、[ここから少し本題に近づきます]『「スッキリ県」と「チグハグ県」』というタイトルのエッセイが目に飛びこみました。

ここでいうチグハグ県とは、宮城県と仙台市、愛知県と名古屋市のように、県名と県庁所在地が違う県のことです。なぜそういう県ができたのか……明治のジャーナリスト・宮武外骨は戊辰戦争の賊軍がチグハグ県になったと言います。昭和16年刊行の本によると、骸骨は大蔵省預金局長・兵藤正懿が語っていた話を前年に又聞きしたらしい。

待て待て、賊軍の代表たる福島県(県庁所在地・福島市)はスッキリ県ではないか?[ここからさらに本題に近づきます]数冊の資料を参考に高島先生が解説するところによれば──。会津若松は28万石、福島は3万石であり、会津はけしからんから県庁も県名もなんにもやらん、お前の名前は今日から福島じゃ、という懲罰なんだそうです。

賊軍の悲劇を背負った主人公

長々と脱線したのは、『JR上野駅公園口』の主人公が、そんな賊軍の悲劇をすべて背負っているようだと感じていたせいです。

薩長の官軍支配となった明治以降、日本のインフラは東京以西が優先されます。奥羽越列藩同盟のエリアは後回しにされたのです。汽笛一声新橋を〜の鉄道唱歌は東海道を西へ西へと進み、産業もそちらに集まります。

一方、疲弊していた賊軍の東北は、昭和40年代の減反政策により余剰労働力が生じ、日雇い労働者や集団就職など高度経済成長期を支える都市圏の働き手となります。同時に、経済成長から取り残された東北に、補助金をちらつかせて建てたのが原子力発電所でした。

相馬出身の主人公はまさにそんな時代に翻弄されます。福島・相馬の人びとは越中から入植してきた江戸時代から異端の人びとであったようです。すなわち、外来者かつ賊軍であるという、二重の不幸を背負っているのです。

主人公は、小さなころから働きづめで、昭和30年代、家族を養うため東京オリンピックの建設作業員として上京。東北の玄関口・上野駅の近くに暮らすホームレスになるにいたった経緯は徐々にわかります。

時間と空間がねじれるのが不思議でしたが、ああそういうことか、とのちにわかる構成でした。小説の手法としても、とても練られています。

最下層のホームレスに対置されるのは皇室です。皇室の誰かが上野公園にやってくるとき、あらかじめホームレスを一時退去させることを「山狩り」と呼ぶのだそうです。山狩りのたびコヤをたたんでさまよう主人公の家族は、天皇家とネガポジの関係を持っているのでした。

蛇足

いい小説でした。……書店でかけてもらった紙のカバーを外さずに読んでいたんですが、読了後、カバー表4(裏表紙)のあらすじを見ますと、どう考えても書きすぎです。しかもあらすじの一行目は……そうだったっけ? これから読む方はあらすじと解説は見ないほうがよいと思われます。

風がビュービュー吹いています。やはり今夜は走るのをやめよう。あれ、井伏鱒二はどうなった?

JR上野駅公園口 (河出文庫)

JR上野駅公園口 (河出文庫)

  • 作者:柳美里
  • 発売日: 2017/02/07
  • メディア: 文庫
 
井伏鱒二全詩集 (岩波文庫)

井伏鱒二全詩集 (岩波文庫)

 

 

ここ2週間くらいの話。

薄っぺらいシューズで深夜に急坂を下っていたんですよ。人も車もいないので、車道に出て、心のなかで「ひゅ〜っ」と叫んでスピード出したら………右のふくらはぎをいためました。ゆるジョグでも2日くらい続けると痛むので、休みがちです。毎日、真夜中に散歩してランジウォークしたりしています(たま〜に、人に遭遇すると恥ずかしいんですが)。ありがたいことに仕事は忙しい。

2週間近く、スキマ時間に何していたかと言われれば、ブログを更新するでもなく、読書量もやや少なめで、……AmazonPrimeのサブスク会員(MBS動画イズムSelect)になって昔やっていた『世界ウルルン滞在記』(→AmazonPrime)で世界の少数民族ばかり見ていたのでした。まとめて近いうちに書くつもりです。

国会予算委員会の野党質問もできるかぎりチェックしています。新型コロナウイルスのとこも、オリンピックや森喜朗の発言についても、たっぷり書きたいけど追い追いということで。

大阪国際女子マラソン

大阪国際女子マラソン、見ました。

「例年とコースが違いフラットな周回コースだし、男性ペースメーカーがつくし、こんなんで日本最高タイムが出たら以前の記録に失礼だろう」なんて最初はもやもやしていたんです。

野口みずき選手の2時間19分12秒を切るために3:18/km前後で引っ張る、川内優輝と岩田勇治両選手。一山麻緒選手に遅れた前田穂南選手には梶原有高選手が伴走する形になりました。中盤、一山選手も徐々にペースが落ちてしまい、我慢のレースとなります。

テレビ中継では、大阪の名所を紹介することもなく、ところどころ増田明美、高橋尚子、野口みずき(敬称略)らの女子会トークになり、さかんに挿まれるCMで「奥村くみ」(敬称略)が登場、レースに戻ると男性ペースメーカーの影になって一山選手が見えないという……不思議な画の連続になりました。ペースメーカーは30キロまででおしまいかな……あれれ、最後まで一緒なの? そんなレースあり得ないでしょ。そのうえ、ぺーサーが振り返って選手を励ましている!?

………と、縷々不満を申しました。

たしかにレースとしてはおかしいと思いますけど、しかし、あの、なんといいますか、5、6年前まで、駒沢公園などでぺーサーに引っ張ってもらった30km走練習会などが脳裏よみがえりました。私がぺーサーになってフルサブ4ペースのロング走から1キロ4分のインターバルを引っ張ったこともありました。苦しいところを励ましたり励まされながら走っていた往時を思い出すと、大阪国際女子マラソンは練習会を眺めている気分になります。

結果的に一山選手は2時間21分11秒の大会新記録、前田選手も2時間23分30秒の自己ベストという結果でした。コロナがおさまって来年はまたみんなでバーッと走れればいいね。

──と、私にとっては絶頂期のころを思い出してくれたレースでしたが、下記のニュースは「まだ老け込むな。もっとやれるぜ」というメッセージです。

弓削田選手、素晴らしい。

『賊軍の昭和史』

先日亡くなった半藤一利さんと、保阪正康さんの対談『賊軍の昭和史』を読みました。都合良く解釈しすぎだろうと思われる部分もありますが、官軍・賊軍という視点から歴史を検討するのは有用な試みであると思われます。

賊軍とは戊辰戦争の負け組のことです。とくに海軍は薩長閥が幅をきかせ、成績がいくらよくても賊軍出身だと出世できなかったらしい。ポツダム宣言を受諾し戦争を終わらせたのは鈴木貫太郎がたまたま賊軍だったからであり、最後まで薩長は「戦争だから負けることもある」という事実を受け容れようとしなかったとか。特攻作戦で二〇〇〇万人が死ねば絶対に勝つ」なんて言っていただなんて狂ってるよなあ。

明治から数えて150年以上経ちました。官軍も賊軍もないだろうという向きもあるでしょう。しかし、戦後の総理大臣を見ても官軍出身が多いのはなぜでしょうか。そのうち山口県出身は岸信介1241日、佐藤栄作2798日、安倍晋三が2822日。あわせて19年弱です。賊軍出身の総理大臣といえば長岡藩の田中角栄886日と、盛岡藩・鈴木善幸864日くらいかな。

さて──。東京オリンピックも、もはや特攻マインドで破局の道を邁進している気がします。安倍晋三はもとより、菅義偉の出身は秋田藩(久保田藩)で東北だけど官軍。森喜朗は曖昧藩の加賀出身。誰か賊軍地域出身の責任者はおらんのかなあ。

賊軍の昭和史

賊軍の昭和史

 

『創られた明治、創られる明治』

私はいまでも薩長(とくに長州)支配が続いていると感じています。戦後、一時期見えにくくなりましたが、新自由主義への転換から安倍政権にかけて明瞭になってきました。

2018年、政府が主導した「明治150年」というイベントは無視していました。

薩長はクーデターを起こして政権を奪取したあと、戊辰戦争で薩長と戦った奥羽越列藩同盟の人びとを「賊軍」と呼び、祀ることすらしなかったのです(それまでの日本では、祟りを怖れる意味もあり、敵も味方も慰霊しました)。賊軍の地はインフラ整備などが後回しにされ産業が発達せず、結果、財政支援を求めて原発を誘致することになります。17カ所54基の原発のうち、13カ所46基が賊軍の地域に建てられているそうです。

薩長嫌いの私は「明治150年」事業のとき「西郷どん」などガン無視しましたが、明治の誤謬を再検証した本が(明治礼賛本ほどではないにせよ)刊行されたことを喜んでいます、

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『創られた明治、創られる明治』という本を読みました。タイトルはエリック・ホブズボウムとテレンス・レンジャーが編んだ『創られた伝統』にちなんでいるそうです。巻末の対談で小沢弘明さんという方は《[『創られた伝統』の]原題は『インベンション・オブ・トラディション』The Invention of Tradition で》あり、《「インベンション」には「創造する」と同時に「捏造する」という意味もあるので、当然『伝統の捏造』と訳してもかまわない》と発言されています。すなわちこの本は、捏造された明治の歴史について書かれているわけです。

明治一五〇年イベントが一顧だにしなかった戊辰戦争の所業やアジアに対する加害、佐藤栄作が行った「明治百年」イベントとの比較、ジェンダーから見た明治の歴史、「明治一五〇年」にのっかる自治体とそうでない自治体(福島は「戊辰戦争150年」をやったそうな)などなど、いろんなテーマの論稿がありまして、やや総花的ではありますが、おもしろかった。

安倍晋三首相(当時)は、明治150年をことほぐのに津田梅子を持ち出して維新と女性活躍を結びつけましたが、明治15年にアメリカから帰国した梅子は日本ですぐに職を得られなかったんですよね。安倍氏が意図的に言及しなかった近代の負の部分を学ばないと現代日本の内実も見えません。

個人的には、平井和子さんという学者さんが書かれた「隠蔽された過去──明治とジェンダー」という章が面白かった。日本はわりとセクシャルマイノリティにおおらかだったとよく言われます。近代日本は徴兵制の関係で性を二分し、男にも女にも入らない人を異常としたそうです。女性には「良妻賢母」という新しい概念が生じました。

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「歴史は勝者に都合良く書かれる」とは、小学生のときに読んだ『火の鳥 ヤマト編』で教わりましたが、教科書まで官軍の視点で書かれているのではないかと疑ったことがないのでした。