狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

大阪国際女子マラソン、周回コースに。

これはたまげた驚いた。今月31日の大阪国際女子マラソン、長居公園ぐるぐる15周……というニュースです。大阪もコロナで大変な時期ですから仕方ないとはいえ、イベントではなくマラソン大会ですから、3キロ弱のコースを周回するとはビックリです。

フラットですし男性のペースメーカーもつきますから、天候やコンディションが良ければ好記録が期待できます。3:20/kmくらいのペースを刻むのでしょうか。ロードのマラソンと違い、左回りオンリーですから、内側を走らなきゃ損ですね。

ピッチとストライドと共通テスト

ランナーを悩ませるピッチとストライドの関係が、「大学入学共通テスト」の【数学Ⅰ・数学A】で問題になったそうです。ふむふむ。以下はわしの解答速報じゃ !

*私は数学が苦手でした。
 受験生のみなさんは参考にせず翌朝の新聞などで速報をご覧ください。

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第2問 簡単ですが、妙な問題じゃありません? x(ストライド)の単位は最初に「m/歩」、z(ピッチ)は「歩/秒」とある。そして、2ページ目に〔 ア 〕の単位は「m/秒」とあるから、答えが書いてあるようなものです。「m/歩」と「歩/秒」を掛ければ〔(m÷歩)×(歩÷秒)〕「m/秒」になりますから、正解は②です。

それよりピッチが1歩/秒で、ストライドが10m/歩の人や、ピッチが2歩/秒でストライドが5m/歩の人が仮にいたとしたら、どちらも10秒ジャストで走れると考えればいいか。

  わしの解答 ②

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太郎さんは研究熱心でとてもよろしい。(1)で出した計算式によれば、太郎さんは1回目10秒3788、2回目10秒3519、3回目10秒3359(1/10000切り捨て)で走ります。練習でこれだからね。高校生なら全国大会優勝も夢ではありません。

でもなあ、これもなんか変なんですよ。わざわざ「ストライドが0.05大きくなるとピッチが0.1小さくなる(略)1次関数」と書いてある。単純に、xが0.05大きくなるたび、zが0.1小さくなる式をつくればいいんです。計算するまでもない。xが5大きくなれば、yは-10になるんですから、xには「−2」(イウ)を掛けましょう。2回目の数字で計算すると、4.60=−2×2.10+(エオ)÷5です。エオ=(4.6+4.2)×5ですね。

  わしの解答 イウ  −2  エオ 44

カ・キクに対する問いは何を言っているのか30秒くらい考えました。ただ単にz(ピッチ)が最大4.80であるなら、xはいくつになるか、というわけです。

んんん……? これ、計算要る? 表を見れば、ピッチが0.1変わるごとにストライドは0.05減っているんだから、カ.キクは2.00ではないの?

  わしの解答 カ  2  キク  00

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ええっと、だんだんややこしくなってきた。

y=〔 ア 〕って、ええっと……アは、100/xz でした。

太郎さんはピッチ(z)2.00から2.40まで変えられます。それに対応するストライドはそれぞれ、4.80と4.00です。xzはもっとも大きくなればy(秒)は小さく(速く)なります。

x軸とy軸のグラフをつくれば、xzはU字型の二次関数グラフを描くので……あ〜酔っ払ってきたので、すっ飛ばします。ははあ、出題者がカ.キクを答えさせたのは、この問題のためのアシストだったのですね。

 2.00×4.80=9.60
    ↓
 2.10×4.60=9.66
    ↓
 2.20×4.40=9.68
    ↑
 2.30×4.20=9.66
    ↑
 2.40×4.00=9.60

xyの最大値はxが2.20、yが4.40のときです。100/9.68=10.3305ですから、条件が同じ場合、太郎くんはピッチ4.4歩/秒のときに10秒3305で走れます。

  わしの解答 ケ.コサ 2.20
  わしの解答 シ.スセ 4.40
  わしの解答 ソ    ③

追い風が吹けば10.2秒台もいけるでしょう。

がんばれ太郎くんと受験生。

*もう一度書きます。
 私は数学が苦手でした。
 受験生のみなさんは参考にせず翌朝の新聞などで速報をご覧ください。

鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』

鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』(岩波文庫)を読みました。1870(明治3)年、徳島の煙草問屋に生まれた鳥居の、1915(昭和10)年までの半生記です。本書自体は1953(昭和28)年に刊行されていますが、その年の1月に亡くなっています。

鳥居は、明治中期から、遼東半島、台湾、インドシナ、北千島、西シナ、シベリア、モンゴル、満洲、朝鮮……など(順不同)を調査した人類学者です。当時は日本の軍部がアジアに進出していたころで、さまざまな便宜をはかってくれたこともあり、日本の人類学は貴重な資料を残せたのだと思います。

考古学的な発掘調査や自分の業績の話が中心で、先住民がどんな暮らしをしているかといった私が興味ある話題に関しては、台湾の蕃族とアイヌおよび樺太のツングース系民族が多少印象に残ったくらいです。1902〜1907年の極東アジアの現地調査をしたアルセーニエフ『デルスー・ウザーラ』のような冒険読み物だったらいいなと思いましたが、その意味では期待外れでした。とはいえ、方法論もなにもない時代、ひとりで人類学の地平を切り拓いた業績はやはり尊敬にあたいします。

前半の立志伝風なところはなかなか愉快です。1870(明治3)年に徳島県の裕福な煙草問屋に生まれましたが、士族や平民と違って学校に行ってもしかたないと小学校を中退(卒業したとの説もあるらしい)。とはいえ家は裕福ですから独学や読書には困らず、家庭教師もつけています。「史記」を教えてくれた福田宇中という人は「余は幼年より孔子の道にしたしみしが、今にしてこれを思えば、何らの利益なく、かくの如く何ら得る所なく貧乏した。すなわち余は孔子にだまされたのである。若き君よ、必ず孔子を信ずるなかれ」と言ったとか。

徳島に来た人類学者の草分け・坪井正五郎と出会い、東京に遊学。ドイツ語などを学んだり新しい貝塚を発見したりしながら勉強し、1893(明治26)年に帝国大学理科大学人類学教室標本整理係となります。語学、地質学、動物学、解剖学、発生学、古生物学など、とにかくよく勉強しています。

1900(明治33)年、新高山初登頂(ニイタカヤマノボレでお馴染みの4,000m近い高峰です。台湾は日本統治下でしたので、当時は日本最高峰という位置づけでした。初登頂に関しては異説もあります)や蕃族調査あたりまでが私としては読みどころでした。奥さんとモンゴル調査に行くのもよかったかな。

言語学者・田中克彦の解説が読ませます。鳥居が学校に行かなかったことに関して、《日本は今日、我々自身が招いてしまった、息苦しいがんじがらめの学校信仰の支配下にあり、学問全体が牢獄に閉じこめられて窒息してしまいそうな状況であるが、その一方で、学校をちょっと小ばかにする好もしい伝統もなお残っている》といい、《鳥居は学校に行くのがいやだったが、決して勉強ぎらいではなかった。学校がきらいだったのである》と書いているのは当ブログのテーマと重なります。ノモンハン事件の背景が書かれていることも指摘していました。

★   ★   ★

余談。オロチョンラーメンの「オロチョン」って、北東アジアのツングース系民族のことなんですね。ウイッタ(Witta)と自称するツングース系民族をアイヌは、オロッコ、オロチ、オロチョン(トナカイ飼養人の意)と呼んだらしい。(301-302頁)

ある老学徒の手記 (岩波文庫 青112-1)

ある老学徒の手記 (岩波文庫 青112-1)

  • 作者:鳥居龍蔵
  • 発売日: 2013/01/17
  • メディア: 文庫
 

煎本孝『こころの人類学』

煎本孝『こころの人類学──人間性の起源を探る』(ちくま新書)読了。

カナダ・インディアン、日本のアイヌ、ロシアのトナカイ遊牧民コリアーク、モンゴルの遊牧民、ラダック王朝──狩猟採集社会、首長制社会、遊牧民、王国など──著者がフィールドワークしてきた社会から、人間社会には共通して「初原的同一性」があった、といいます。(狩猟採集社会が、定住や農耕以降、どのような段階で変容したかについては、エルマン・R・サーヴィス民族の世界──未開社会の多彩な生活様式の探究や尾本惠一『ヒトと文明の後半が参考になります)

人類史のなかではつい最近まで、動物と人、神と人は対立しつつも同一性をもっていたと著者は分析します。カナダ・インディアンの神話は、「昔、動物は人間の言葉を話した」と始まるそうです。獲物と動物が対立する一方で同一であることに矛盾はなく、それを著者は「初原的同一性」と呼んでいるのです。自己や他者は別だけど同じである。……そこから導かれるのは対立ではなく互恵であり、利己ではなく利他です。

175万年前、ジョージアのドマニシ遺跡では歯のない初期ホモ族が生きていた(道具か口移しで、柔らかくしたものを誰かが食べさせていた)そうです。6万5,000年前から3万5000年前のイラク・シャニダール洞窟には左眼窩を複雑骨折し腕と足が不自由なネアンデルタール人が生き延びていたという例もあるとか。

世界の狩猟採集民は互恵的で平等分配社会です。互恵的協力活動はチンパンジーなどの人以外の霊長類によっても満たされていることから、互恵性の源泉は700万年前までの初期人類にまで遡り得るかもしれないと著者は書きます。

ところが、人間は発展することで環境を破壊し、殺し合うようになりました。このまま自己中心的な営為で生物を道連れにして絶滅するのか、もう一度、こころと人間性の起源を思い出し、制御するのか──。本著はそう問題提起しているのでした。

現代日本では、稼いでるヤツがますます稼げるようにルールを変え、結果、困窮者を蹴散らしていますけど、そんな社会がまともなわけがない。1億何千万人もいれば、みんな顔見知りとはいかず、「互恵」の心が薄れます。だから政府が存在し、富を再配分したり社会福祉を充実させたりするはずなんですけどね。ところが今は、大企業や金持ちとタッグを組んで格差を広げているんです。

こころの人類学 ──人間性の起源を探る (ちくま新書)

こころの人類学 ──人間性の起源を探る (ちくま新書)

  • 作者:煎本孝
  • 発売日: 2019/03/22
  • メディア: Kindle版
 

飲み屋は教室だった?

山極寿一・尾本惠市日本の人類学の話をもう一度だけ。

山極氏も尾本氏も、学生時代に、先生と酒を飲みながら議論したそうです。

尾本 (略)今では考えられないでしょうが、我々学生は助手の先生としょっちゅう飲んでいました。とくに渡辺直経(通称直径)さんは、毎晩のように、学生を引き連れては飲み屋に繰り出すのです。でも、単なる吞兵衛の相手をさせられると思ったら大間違いで、そこでは、授業では教えないことを論ずるわけです。

渡辺先生は東大の学生に向かって、《エリートというものは、絶対に威張ってはならない。自分の責任をわきまえ、世の中にいかに貢献できるかを経に考えて実行するのだ。君たちはこれから、東大には残れないだろうから、いろいろな所に行って新しい分野・専門の「レール」を敷きなさい、と》教わったと語ります。

対して山極氏もすごい話を披露します。

山極 それに関しては面白いエピソードがあります。フランスの人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが一九七七(昭和五二)年に初めて来日したとき、ぼくは大学院生だった。ぼくたちはレヴィ=ストロースに付き合って毎晩飲みに行ってたんですが、彼はそこで「フランスの学生は週末にいっぱい酒を飲むけど、君たちは毎晩飲んでる。いったいいつ勉強するんだ」と聞いたそうです。うちの院生たちが「我々が勉強する場所は教室じゃなくて飲み屋です」と答えたら、レヴィ=ストロースは「おお、それはいいことだね」と納得した(笑)

レヴィ=ストロースと毎晩飲むなんて。

尾本 (略)今の学生も先生も飲まなくなりましたね。コミュニケーションはすべてメールで済ましている。
山極 そうですね。本音を語り合えないのが辛い。学生と教員が垣根を越え、互いに罵り合ったりしながら切磋琢磨する機会がないですよね。
尾本 先生は昔に比べて余裕がなくなったのでしょうか。

★   ★   ★

私もゼミのC先生とはずいぶんお酒を飲みました。1980年代の後半です。まだ40歳手前だった先生は1年生のころからヤケに厳しかったので、ゼミに集まったのは、先生と喧嘩する気まんまんの十数人だけでした。

文学論や、当時流行していた(レヴィ=ストロースが方法論を確立したとされる)構造主義やポストモダンなどの思想について授業で論争。週に一度の講義が終わっても「延長線だ」と飲み屋に繰り出しました。バイトを入れているヤツはシフトの変更をお願いして参加。口うるさい男どもが煙草を吸いながらビールを飲みます。私は当時、C先生に「大学みたいな安全なところにいて物を言ってもしかたない。大学を辞めろ」なんて言ったらしい。文字通り「罵り合って」いましたね。先生が終電で帰ったあとは誰かの部屋に行って朝まで話していました。あまり量を飲まなかったのかもしれませんが、そのころは酔って頭がボーッとすることはありませんでした。

卒業後、某短期大学のK学長と仕事でお会いしました。K先生の講義を学生時代に1年間聴いていたことを話すと喜んでくださり、「毎日、どこどこの店で飲んでますから顔を出してください」と誘われました。アカデミズムと酒場は親和性が高く、先生と学生のサロンでもあったのだと思います。

私は研究者にならず就職しました(同級生で学者になったのは1人だけです)が、C先生との交流は就職後も続き、現役の大学生や院生たち交えて1年に数回飲みに行ってました。2018年1月にC先生が定年退職されるさいは私が幹事となり、OB・OGによる「定年をお祝いする会」を催しました。80人以上が集まってくれました。

先生がガミガミうるさかったのは我々のときだけだったらしく、先輩後輩ともに「先生が怒っていたんですか」と驚きます。でもね、先生と口喧嘩していた私の同級生はどの学年よりもいちばん頭数が多く、たしか9人が集まったんです。

先生はお元気そうですが、去年からコロナのせいでなかなか集まれません。つまらないなあ。

日本の人類学 (ちくま新書)

日本の人類学 (ちくま新書)

 

山極寿一・尾本惠市『日本の人類学』

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面白かった。走るのをサボって読んでしまいました。

狩猟採集民から現代社会を考察する東大出身の人類学者・尾本惠市と、ゴリラ社会を通じて人間社会を研究する京大前学長・山極寿一の対談です。

日本の人類学の誕生、東大と京大の違い、人類学のこれから、ゴリラと人間、狩猟採集民と現代人、といったテーマの話がいろいろと出てきました(2017年に刊行されたので、日本学術会議の任命拒否問題は出てきません)。

やはり人類学、それも狩猟採集社会を学ぶのはとても楽しい。本書にあるとおり、人類学は高校までのどこかで教えるべきです。さすれば、「現代社会の当たり前が実はおかしいのではないか」と疑う視座を得られます。今の社会システムに疑問を抱かれると困る政治家が教育を牛耳っているから、そんなの、夢のまた夢かもしれませんが。

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話題が多岐にわたり、本題とは離れた話が面白い。短くまとめるのに困ります。気になった話題からひとつだけ選んで書きましょう。

尾本 英語圏、特にアメリカの学者は「農耕民と狩猟採集民という二項対立はおかしい。そこには必ずスペクトルみたいに中間のものがいくらでもある」と言います。もちろん、中間的なものはあるでしょう。作業仮説としてまず二項対立を持ってきて議論を重ね、「やはり二項対立はおかしい」という結論に達するならいいのです。ところが今はそうではなく、最初から「二項対立はおかしい」と言う。特にアメリカはそういう風潮がありますね。(122p) 

尾本 アメリカという国の歴史と文化を見た時、この国が現代文明の中心にあるのは、人類にとって不幸なことかもしれない。アメリカの原罪は、先住アメリカ人を虐殺して広大な土地を奪ったことと、アフリカ人の奴隷の労働力で建国したことでしょう。このような人権無視の歴史がアメリカを造った。
山極 ええ、特に人類学にとってはよいことではありません。(略)(213-214p) 

山極 (略)たとえば、「ゴリラは暴力的である」と決めつけたのも西洋人で、アフリカ人は誰もそう思っていなかった。アフリカの土人は凶悪であり、こんな粗暴な人間を放置しておいてはいけない。彼らを文明の光に当て、教育しなければならない。彼らはそう主張してアフリカを植民地支配したわけですが、これは間違いだった。そのことに気づいた文化人類学者は狩猟採集民の研究に取り組み、狩猟採集民というのは暴力的ではなく平和で、素晴らしい文化を持っているということを明らかにしましたが、一般の人たち、とりわけ政治家はそれを認めていない。(略)彼らはいまだに、西洋文明が世界の頂点にいると信じ込んでいる。(274-275p)

引用した三つの文章は、地続きです。

アメリカは、キリスト教と先住民虐殺という、宗教と歴史のふたつの理由から狩猟採集民を現代人と対置しづらいようです。インディアンは(狩猟採集社会ではなく首長制社会でしたが)凶暴な殺人集団だと思わせておいたほうが、虐殺の歴史を正当化するために都合がよかった。

ヨーロッパもまた、人間の下に位置する霊長類は粗暴であり、未開社会の人間は自分たちより遅れた社会であると語ることで、世界を征服する自分たちを世界の覇者とみなしたのでしょう。

では、日本はどうか。帝国主義時代の日本はアイヌや沖縄に何をし、東アジアで何をしてきたか。学校の歴史はそれをどう教えているか。理屈をつけて正当化してはいまいか。

日本の人類学 (ちくま新書)

日本の人類学 (ちくま新書)

 

安丸良夫『近代天皇像の形成』

幕末から明治、敗戦へといたる約75年間の近代天皇制を誰が発明したのか、どのように受け容れられていったのか、という疑問があり、年末をまたいで安丸良夫近代天皇像の形成(岩波現代文庫)を読みました。とても刺戟的でした。

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19世紀半ば、黒船来航で徳川幕府の威光に影がさし、動揺した庶民が一揆や「ええじゃないか」などの運動をはじめ、新興宗教が擡頭します。内憂外患の果てに、民衆の期待を背負った尊皇攘夷派の革命政権が誕生しますが、すんなり新体制に移行したわけではありません。近代天皇制は、儒教・仏教・キリスト教および西洋近代文明の圧力や民権派などの運動体に対抗しながら近代化を果たすための権威的な物語を秩序編成していく必要がありました。

国家神道の権威づけに関しては、他宗教を排除しない方針だったというのが興味深い。《明治の国家制度のプランナーといってよい井上毅》は宗教への「トレランス」(寛容性)を唱えた、といいます。「宗教之正邪」を問わず「宗教を牢絡して以て治安之具」にすれば、宗教間の争乱もなくなるというのです。明治政府は浄土真宗の僧・島地黙雷らの意見なども取り入れて「信教の自由」を認めるとともに神道非宗教説を打ち出します。神道を多の宗教とは異なる次元に引き上げたのです。教部省は、国民に国家神道を啓蒙すべく多くの教法家を全国に派遣したが、そこで力を発揮したのは説教が得意な僧侶だったとは不思議な話ではありませんか。

次第に、日本と日本人の優位性が近代天皇制でコスモロジカルに根拠づけられ、それが内面化することで、日本固有の観念の体系が構築されます。近代日本は、人びとも国も利益追求を機軸においた世俗的なものでしたが、天皇のコスモロジカルな意味づけは変わらず、十五年戦争においては神話的なものさえ励起して大きな影響力を発揮しました。戦後もまた、天皇の権威は違う形で続いている……。

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以下は、枝葉末節なことながら個別の事例で面白かったところです。

18世紀後半、江戸の儒学者・中井竹山が寛政改革のための提言『草茅危言』に次のようなことを提言をしたそうです。すなわち──朝廷改革を推進し、仏教および仏教にかかわる迷信的な要素を除去すること。簡略化された即位礼をもとに戻すこと。ときどき行幸をおこない平民にまで天皇尊崇の気風をもたせるよう努めること。天皇が院号を称する習慣をやめ、一世一元制とし、年号を諡号とすること云々。中井竹山はもちろん幕府存続を前提にしていて、朝廷改革の目的は庶民に蔓延するあやしい民間信仰を一掃することであったといいますが、まるで明治政府の改革そのものです。

尊皇攘夷論を唱える大橋訥菴という儒学者の非合理的な意見もすさまじい。『闢邪小言』という著作では西洋を完全否定。キリスト教を妖教と断じ、「精神活機」を欠く西洋の「大砲」は「神気充実」した日本人の「利刀」に勝てるはずがないと説きます。ペリー来航直後に書いた『嘉永上書』には、「なにごともさておき、一同覚悟を決めることが肝要であり、甲冑武器などは二の次だ」「必死の覚悟があれば計策は湧き出してくる」「無謀なようでも賊船を攻撃すれば固い決心が生まれ、一、二度の敗戦はかえって奮激をかきたて、かえって必死之覚悟が固まる」と書いているそうですよ。………完全にカルトですが、B29に竹槍だ、みたい。「東京オリンピックやるぞ」の人たちにも共通しているような気がするなあ。

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安丸良夫は博学でたいへん勉強になります。ほかにも読みたい本がたくさんありますが、そろそろ人類学関係の本に戻らないと……。

近代天皇像の形成 (岩波現代文庫)

近代天皇像の形成 (岩波現代文庫)