狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

コンラッド『闇の奥』

ジョセフ・コンラッド『闇の奥』(1902)は、船乗りだった著者の経験を活かして書かれたそうです。コッポラの映画『地獄の黙示録』の原作らしい。

私は未開社会に興味があるので読んでみたのです。まず光文社古典新訳文庫、続いて新潮文庫を読みました。2度読んだのは、初読時に充分納得できずモヤモヤしたからです。

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イギリス人マーロウが船乗り仲間に向けて、思い出話をします。

かつてマーロウは、みずから申し出てベルギーの貿易会社からコンゴ自由国に派遣されました。コンゴ川の上流に象牙を大量に送ってくる社員クルツがいて、将来は出世が見こまれていました。クルツは誰からも(現地民からも)尊敬されている一方、彼の出世を望まない社員もいます。アフリカにいると、たいていの人は病気になるらしい。クルツの病状も思わしくないようです。マーロウはクルツのいる奥地に行かなければならないのですが、壊れていた蒸気船を修理する必要がありました。3か月後、社員や現地民の船員たちとともにマーロウは上流に出発します。

あの河をさかのぼるのは、植物が野放図に繁茂し、巨木が王者さながらに君臨していた太古の世界を旅するようなものだった。[以下、引用はすべて新潮文庫。86p]

やっとクルツに会えましたが、彼の病気は重くなっていました……。

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イギリス人マーロウは、ブリュッセルの商社を訪ねたとき、世界地図がかかっているのを見ます。国別の植民地ごとに色が塗られていました。赤に塗られたイギリスの領地がほかの色より優勢であることを確認し、マーロウは気分を良くします。少なくとも出発時、マーロウは植民地主義を否定はしていません。

コンゴに着いて白人に虐げられる現地民を見て、こんなふうに感じています。

(略)眼前の黒人たちはどう想像を逞しくしても敵とは呼べない。それなのに彼らは罪人と呼ばれ、彼らがそむいた法律があの不条理な砲弾のように彼らに襲いかかったのだ。彼らにしてみれば、それは海の彼方からやってきた不可解きわまる謎だったろう。[39p]

黒人を敵視しないマーロウが、噂に聞くクルツに次第に惹かれ、彼の声を聞きたいと願ったのが初読時には理解できなかったんです。クルツの仕事は現地民を襲撃し、象牙を略奪してベルギーに送ることなのですから。〈蛮族廃止国際協会〉に提出する目的で書かれたクルツの報告書は、こう書かれていました。

〝蛮人どもは皆殺しにしてしまえ!〟[128p]

そんな乱暴なことを書く男にマーロウが惹かれる理由は、船内から現地民の歌やダンスを目撃した直後の記述で、なんとなくわかってきました。

おれたちは、征服されて囚われの身になった怪物[引用者註・白人に教化された現地民]ならば、見なれている。だが、あそこ[クルツのいる場所]では──あそこでは、怪物的なものが自由気ままに振舞っているんだ。それを[さっきの集落の歌とダンスで]まのあたりにすることができた。大地は見慣れた大地ではなく、そこで暮らす人間は──まあ、人間らしくないわけではなかった。そこなんだ。それがしだいにわかってくる。彼らは吠え、飛び跳ね、くるくるまわり、怖ろしい面相をしてみせる。だが、慄然とするのは、そんな彼らもおれたちと同じ人間なんだという考えが浮かぶときでね──そうなんだ、自分もまた、この荒々しい狂騒とどこかでつながっていると感じるときさ。実におぞましい。ああ、なんともおぞましい話だ。しかし、男らしく真実と向き合える人間ならば、自分のなかにも、あの狂騒の恐るべき率直さに呼応するものが微かに残っていることを認めるだろうよ。始原の夜からかくも離れた自分にも、理解できるものがある。その事実には、なにがしかの真実性があるのではないか。[93p]

作者は、人間の自然状態としてボッブズのいうリヴァイアサンだと認識しているようです(私の考えは違いますが、今回は書きません)。

始原のジャングルには「万人の万人に対する闘争」を行う怪物=リヴァイアサン=未開人が住んでいると語るマーロウは、じつはヨーロッパ人の内にも凶暴さがあり、《大密林は彼[註・クルツ]のなかに眠る野蛮な欲望を思い出させ》[170p]たと理解したようです。つまり、アフリカ人もヨーロッパ人も敵対関係にない同じ人間であるが、過去(河)をさかのぼれば、本能がむきだしになった原始の世界があり、そこにいった現代人も一線を越えかねない……という意味だと考えます。文化芸術に秀でた現代人クルツでも、彼の地で本能をさらしてしまったのです。

病身のクルツを乗せた船は下流に向かいます。マーロウ自身も病気にかかったようですが、闇の奥の密林で《自己の衝動のおもむくままにさまざまな欲望を満たしていた》[149p]か否か、《あの最後の一歩を踏み出し》[182p]たか否かで、2人の運命は分かれました。

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この作品に関しては日本語の論文もネットでたくさんあり、ざっと斜め読みしました。

ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』(私は未読)で、『闇の奥』を引用しながら、「〈ヨーロッパ人がアフリカで行った恐るべき殺戮〉はヨーロッパ人がではなく、アフリカ化したヨーロッパ人が行った」と書いているそうです。『闇の奥』の解釈としては合っているのかもしれません。クルツは、奥地に行くことで〈アフリカ化したヨーロッパ人〉になってしまい、凶暴さを発揮したのですから。

アーレントは、戦争になると普通の人間も凶暴になるという意味で書いているのかもしれませんが、現実には、アフリカ化したヨーロッパ人ではなく、正真正銘のヨーロッパ人が殺戮をしたんじゃないかと思いますよ。

マーロウ自身はアフリカ人をあからさまに敵視しません。植民地主義を否定しているかどうかは、あの植民地の地図をまとった青年を道化と呼んだのが判断の手がかりになるかもしれません。

ナイジェリアの作家アチェベは、この作品を批判しているそうです。白人・黒人のステレオタイプが認められること、現地民には食人習慣があると書いたことなどを差別的であると、批判したそうです。たしかにそうではありましょうが、一読の価値はあります。