狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

映画『ノマドランド』

映画『ノマドランド』を観ました。映画館に行ったのは1年半ぶりくらいかも。200人くらい入るシアターに10人余りの観客が入っていました。

夫・友・職業・家・町を失い、季節労働をしながらキャンピングカーでアメリカをさまよう60代半ば(だっけ)の女性が主人公。暮らす家がないわけではありません。それでも彼女はノマド(遊動的)生活を続けます。

尖鋭化した資本主義においては、弱者は搾取されるだけ搾取されて切り捨てられます。懸命に働いて子供を育てても、老後は満足な年金が出ません。思い出にひたりながらノマド生活を続ける高齢者は多いらしく、映画に出てくる人々は実名です。

主人公もアマゾンの倉庫などで季節労働を続け、アメリカを転々としながら車の中で寝ていました。当然ながら、車のメンテナンスは生死に関係します。

最下層民を描いた悲惨な映画だと思われるでしょうが、アメリカの大自然を渡り歩く彼らは、忌まわしい新自由主義の桎梏から逃れて悠々とパラレルワールドを生きているともいえます。大自然に埋もれる弱者の自由が、映画に奥行きを与えています。

私は彼女たちの暮し方をしたいと夢想するんです。

人類はつい昨日まではみんなノマドだったんだもの。定住ってなに? 労働ってなに? 使えるものを捨てて要らないものを買わなきゃ経済が回らないってなに? 資産を殖やすってなに? 何十年ローンで買う家なんて必要? 土地ってなに? 住所って為政者が課税するためにあるんじゃないの?……しかし私の言っていることはほとんどの人に伝わりません。

主人公は、自分をホームレスではなくハウスレスだと言います。家(ハウス)は失ったけれど、故郷(ホーム)はある。

末期癌の友人は心の故郷に帰りました。主人公もまた故郷を目指すのでした。

──と、そんなことを考えつつ、映画館から5キロほど歩いて帰りました。