講座「人類は何を食べてきたか?」

 先週の話です。「人類は何を食べてきたか?──フィールドワークから探る肉食の30万年」という講座を聴いてきました。世界中をフィールドワークされる池谷和信先生の講演で、イヌイットを研究される岸上伸啓先生がホスト役でした。
 ハラリは、認知革命・農業革命・産業革命というふうに人間社会の変化を区分していますが、池谷氏は認知革命より火を使う料理革命が人間にとって大きかったのではないかとおっしゃっています。私もそのように感じます。
 全体を乱暴にまとめれば「人間はなんでも食べてきた」というお話でした。果物、植物、木の実、動物、虫……地域によっていろんなものを摂取する食の多様性が人類の強みだったといえます。肉しか食べないイヌイットもいます。肉のなかでも、クジラ、犬、カメ、サルなどいろいろです。最終的に獲得したのが1万年前あたりから栽培が始まる穀物です。
 ヴィーガンでもパレオでも、好きなように食べて生きていけるでしょう……が、人間が増えすぎました。畜産環境問題など、全人類込みで将来のことを考えなきゃいけない段階に入っているのは間違いありません。
 ところで。質疑応答で「狩猟採集民には脳卒中や癌がないというが実感としてはいかがか。仮に本当ならば食事によるものと思うか」とたずねた人があり、池谷氏は「聞いたことがない」とおっしゃいました。あれ、そうなの? その話題を引き継いで質問しようかとも思いましたが、終了時間を過ぎているようなので黙っていました。
 私も狩猟採集生活には非感染症は少ないと読んでいるのです。手許にあるのでダニエル・E・リーバーマン『人体六〇〇万年史』から引用します。

(略)狩猟採集民は小集団で暮らしているが、それは母親の出産間隔が長く、生まれた子供が乳幼児期に死亡する率も高いからだ。とはいえ、近年の狩猟採集民は必ずしも一般に想像されているような不潔で野蛮な生活をしてはおらず、短命でもない。幼児期を無事に生き延びられた狩猟採集民は、概して長生きする。最も一般的な死亡年齢は六八歳から七二歳のあいだで、ほとんどの人は孫を持ち、なかには曾孫まで持つ人もある。大半の人の死亡原因は、胃腸か呼吸器への感染症、マラリアや結核などの病気、さもなければ暴力や事故である。また、いくつかの健康調査から、先進国の高齢者の死亡や障害の原因となっている非感染症の病気のほとんどは、狩猟採集民の中高齢者にはまったく見られないか、見られたとしてもかなり珍しいことがわかっている。もちろん調査の数が限られているとはいえ、とりあえず報告されているかぎり、狩猟採集民のなかで2型糖尿病や、冠状動脈性心疾患、高血圧、骨粗鬆症、乳がん、喘息、肝疾患を患っている人は皆無に近い。さらに言えば、痛風、近視、虫歯、難聴、扁平足といった、ありふれた軽い疾患に悩まされている人もほとんどいないように思われる。むろん、狩猟採集民が完璧に健康な状態で一生を送れるというわけではなく、とくにタバコと酒がますます普及してきてからは、健康への悪影響も大きいだろう。しかし、それでも今日の多くのアメリカ人高齢者に比べれば、なんら医療的ケアを受けていないにもかかわらず、彼らのほうが健康であるように見受けられるのだ。
(ハヤカワ・ノンフィクション文庫版『人体六〇〇万年史』下巻112ページ、太字は引用者による)

 記述のもとになった論文は巻末に挙げられています。
 狩猟採集生活と現代生活の違いは、身体活動や生活習慣、食生活、人口密集度など多岐にわたります。原因をひとつにしぼりきれるものではないでしょう。しかし、近眼が読書やモニタのせいであるように、非感染症が見られない要因もなにかに隠されているはずです。リーバーマンも、それを探ろうと提唱しています。
 私は食生活のフィールドワークするのであれば彼らの健康状態も観察すべきだと思いますが、今回の講師の方はべつの問題意識をお持ちなのでしょう。 

ジョグノートやめるってよ

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 ある日突然、ジョグノートにこんなリリースがありました。
 
JogNoteは2020年3月末を持ちましてサービス終了いたします。
 
 ガーン。
(何年何月を「もちまして」は以前からよく耳にしますが、本来は何年何月を「もって」なんです。漢字で書けば「以て」。「もちまして」を誤用とまではいいませんけど、漢字で書けませんよね。「持ちまして」という表記はあきらかに間違いです。以上、今日の豆知識)
 私がジョグノートに記録をつけはじめたのは2007年のことらしい。つまり12年分の記録が残っているわけです。いや、ラン記録は GARMIN CONNECT や STRAVA にも残っていますけど……。
 黙々と記録をつけていましたが、ある日突然「友だち百人できるかな」と思い立ち、リンクフリーの人を片っ端からリンクしてみました。2010年8月のことらしい。すると世界が激変。見知らぬ人たちと交流がはじまり、駅伝チームをつくったりイベントやレースのあとで打ち上げをやったりしたのです。全員が全員いい人だったというわけでもありませんが、おおむね好ましいやりとりでした。
 ジョグノートは SNS として使い勝手が良かったわけではありません。でも、みなさんとの交流は忘れがたいのです。5、6年くらい前までは、あそこに冗談を書くためだけに走っていたようなものでした。
 Facebook や Instagram で交流している方もいますけど、もう走るのをやめてしまったらしいあの人やこの人(強制的に Yahoo! アカウントで再登録されたときに振り落とされているはずですが)とわずかな再会の可能性もなくなり、コメント欄でのやりとりもできなくなるんですね。残念。

出来心で、つい。

 来年から一年間、近所のランニングクラブに入会してしまいました。短距離の練習(ドリルやダッシュや筋トレ)やっているうちに、ふだんのジョギングも少し感じがいいんですよね。そんないい気分のときにメンバー募集の要項を読んでしまったのです。サブ3.5くらいが目標のクラブだというので、酔っ払ったときに、つい出来心で……。
 まあ、いいわ。近所のラン友をつくって、少し苦しむか。
 とにかく、入会金等を払ってこなきゃ。

スポーツと戦争

 未開社会の生業は段階的に変化してきました。エルマン・R・サーヴィスは『民族の世界』で次のように整理しています。

  1. バンド(少人数血縁型集団)=移動的狩猟採集生活をする
  2. 部族(トライブ)=バンドより大きい。定住し、園耕や牧畜をする
  3. 首長制社会=人口がより稠密になり高度に社会化される。余剰は再配分される
  4. 原始国家=領土観念や政治的な力を集中した政治機関を持つ大規模社会

 少数ですが、世界ではそれぞれの段階で留まる人びとがいます。
 その人たちを観察することで、人間社会の変容のしかたがわかってきました。

 よく、オリンピックは国家間の代理戦争だとか、スポーツに政治を持ち込むな、なんてことが話題になります。
 それを考えるために、スポーツはどの段階で生まれたかを考えてみましょう。……以下は、スポーツの歴史を知らない私の推理です。笑って読み捨ててください。
 英語の「sport」の語源は、気散じ・気晴らしだそうです。バンド社会ではよくダンスをします。気散じ=スポーツの最初はダンスではないでしょうか。もちろん狩猟や遊びで走ることがあり、暮らしと遊戯とスポーツはが明確に分かれていたわけではありません。ダンスだって遊戯であり気散じであり、儀礼・祭祀などの意味がこめられるケースもあったはずです。
 首長制社会では戦争が生まれ、同時にいろんな競技も生まれます。
 20世紀初頭の首長制社会タヒチでは、いろんな対抗運動競技が確認できたそうです。集団で行うサッカーやホッケーに似た競技、個人競技のボクシング、レスリング、競歩、競泳など。それらは地域間で争われる「精神的戦争」で、「ほとんどすべての競技が、攻撃的に行われ、なかには危険きわまりないものもいくつかある」とサーヴィスは書いています。ランニング、ダンス、ハンティング、登山などは労働や遊戯と区別できなかったのに対し、ルールのある競技ができ、勝敗や順位を決する競技が生まれたのです。
 歴史的に見ても、何千年前か知らないけど首長制社会の段階で戦争とそれを模した対抗競技が始まったのではないでしょうか。
 となると、近代スポーツは国家間の争いとは切っても切れません。資本主義が成熟すると、その代理戦争はほんものの戦争と同じく金を生みはじめました。オリンピックやサッカーのワールドカップに戦争のムードが漂うのは自然なことだと私には思えます。そのようにして生まれたんだから。

 もしもオリンピックや国際スポーツイベントから政治性を排除したいなら、国家のメダル数など競わず、選手の国籍やアイデンティティも問わないほうがいい。集団で競うスポーツは、せめてラグビーワールドカップみたいな協会主義にする。それじゃ国際大会の体をなさないというなら、やめてもいいと私は思います。スポーツイベント多すぎじゃ。

民族の世界―未開社会の多彩な生活様式の探究 (講談社学術文庫)

民族の世界―未開社会の多彩な生活様式の探究 (講談社学術文庫)

 

『民族の世界』

 エルマン・R・サーヴィス『民族の世界──未開社会の多彩な生活様式の探究──』を読みました。初刊は1958年。伝統的な社会を段階的に整理してまとめています。翻訳は抄録で、23の社会について記述してあるうち、10を訳しているらしい。
 目次は以下のとおりです。
 
・バンド
 アンダマン諸島人
 カラハリ砂漠の!クン・サン(ブッシュマン)

・部 族
 上部ナイル河のヌアー族
 アメリカ南西部のナパホ族

・首長制社会
 メラネシアのトローブリアンド諸島民
 ポリネシアのタヒチ島人

・未開国家
 ペルーのインカ帝国
 南アフリカのズールー族

・現代民族社会
 ユカタンの村チャンコム
 モロッコの村
 
 サーヴィスは、血縁的小集団から徐々に人が多くなることで、人びとの暮らしや意識が変容していくことを示しています。
 血縁的小集団であった人びとは移動するため財産を持ちません。平等分配社会で、男女や子供の区別がなく、一神教ではもちろんない。定住をはじめ、園耕、牧畜などがはじまると、財産ができ、部族間抗争が起きるようになります。首長がいる社会でも、まだ仲間内では平等分配的ですが、徐々に階層が生まれていき……徐々にわれわれの知る社会に近づいていくのです。
 
 学術書だからしかたありませんが、アンダマン諸島人やブッシュマンの社会がいちばん面白く、次第に驚きのない社会になっていきます。だから後半はなかなか進まず、まいりました。
 
 人類学の古典的らしいんですが、類書を一冊だけ読みたいという方には尾本恵市『ヒトと文明』をおすすめします。

民族の世界―未開社会の多彩な生活様式の探究 (講談社学術文庫)

民族の世界―未開社会の多彩な生活様式の探究 (講談社学術文庫)

 
ヒトと文明: 狩猟採集民から現代を見る (ちくま新書1227)

ヒトと文明: 狩猟採集民から現代を見る (ちくま新書1227)

 

10日もブログを更新していない。

 ずいぶん更新していません。
 走る日は1日5〜8キロくらいゆるジョグし、筋トレしています。
 狩猟採集生活の研究もそこそこ怠りなく。
 飲み会もあれこれ。
 1週間ほど前に、54歳になりました。
 54歳の新人なんて普通はあり得ませんが、新人賞に応募しようと小説書いてます。
 今日、ひさしぶりにアメリカ人のラン仲間と会いました。
 近況はそれくらいです。

坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』感想

TOKYO 0円ハウス 0円生活 (河出文庫)

TOKYO 0円ハウス 0円生活 (河出文庫)

 

  坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出文庫)を読みました。2008年、大和書房から出た書き下ろしの文庫です。著者は早稲田の建築科を卒業。肩書きに建築家とありますが、設計をしたことはないそうです。本書は、多摩川や隅田川に建てられた路上生活者の0円ハウスをフィールドワークし、そもそも人間にとって家とはなんたるかについて考えています。
 本の中心に据えられているのは鈴木さん夫婦です。彼らはアルミ缶を売ることで月5万円をかせぎ、すべてを食費に充てていました。近所に生えている食べられる野草を摘み、酒を飲んで楽しく暮らしています。「色々工夫して生きるのは楽しいよ」と、鈴木さん。正直に言えば、マジメにせっせと働いているのがショックでした。労働はついてまわるのね。
 彼らはゴミを拾い、工夫を凝らした家を建てています。ソーラーパネルを利用して家電を動かす人もいました。隅田川では1ヶ月に1度、役所の見回りがあるため、そのたび家を解体しなくてはなりません。したがって釘を1本も使わない家もあります。解体は戸内を清潔に保てることにもつながります。
 彼らの生活は、子どものころに作った秘密基地を連想させました。
《(略)都市に散らばっているものは、すべて転用が可能である。ゴミなんかないのである。無限の可能性があるのである》は、まさしくレヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」(そもそも人は、寄せ集めでいろんなものを間に合わせていた)に通じます。路上生活者のほうが、ツーバイフォー工法の家などよりよほど人間的かもしれません。
 10坪以下の建物を作るには資格は要らないそうです。著者は車輪のついた家をつくり、駐車場に置いていました。そしたら家賃よりずっと安く暮らせますね。
 路上生活者の家に興味を持ったのは、狩猟採集生活に少し近いかも、と感じたからでした。著者の考えも同じあたりをうろうろしていたのか、ズバリ『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』という本がありますが、まだ入手していません。

「桜を見る会」に集まる人びと。

 私は国会ウォッチャーなんです。YouTube で配信されている中継を生で見ることもありますし、夜中や別の日に見ることもあります。予算委員会のみならず、各委員会もわりと見ているほうです。テレビ番組はほとんど見ませんけど、おそらくそんじょそこいらのヴァラエティ番組より感情を揺すぶられますよ。まともな議論かよ、と呆れるやら笑うやら。小学生の学級委員会以下です。
 
 先週金曜日の共産・田村智子議員の質問はわかりやすい喜劇でした。
 首相主催で行われている、各界から功労・功績が認められる人を招く「桜を見る会」に安倍晋三後援会が来ているというのです。今年は850人とか。首相の地元後援会の人にはどんな功績があったのかと言うと、安倍氏は「PTAや自治会の人と重複することもある」と不可思議な返答。全国の自治会やPTAの役員が呼ばれる会なの?
 例年、安倍氏の後援会が泊まるホテルで前夜祭があり、安倍夫妻が出席するそうです。桜を見る会当日は17台のバスで新宿御苑に乗り込み、受付開始30分前に手荷物チェックも受けることなく公園に入り、首相と記念撮影をするんだとか。
 セコい話しですけど、それが本当なら税金の私物化です。現政権による税金の使途や認識にかかわる問題ともいえます。
 田村議員の質問のあと、「桜を見る会」に出席した後援会のみなさんがアップしたブログやSNS が発見され拡散されていました。すると、それら投稿がどんどん削除されるではありませんか。なるほど森友文書の改竄もこんなふうに始まったのでしょう。

 狩猟採集民や隷従がテーマの私には、嬉々として首相との写真をアップする支援者が、まるで「私たちは奴隷です」と宣言しているように見えるのです。
 ルソーは250年前に、今の日本の状況を予測していました。『人間不平等社会起源論』(中山元・訳)から引用します[太字は引用者]

(略)都市の市民は汗を流し、たえず動き回り、もっとせわしない仕事を探して苛々しつづけるのである。彼は死ぬまで働く。そして生きることができるようにするために、ときには死に向かって突進することすらある。不死の命を求めて死ぬことだってするのだ。自分の憎んでいる権力者と、自分の軽蔑している金持ちに媚びへつらい、こうした人びとに仕える栄誉を手にするためなら、どんなことも厭わない。自分の卑しさと、こうした人びとからうける庇護を誇らしげに示し、自分の奴隷状態を自慢して、こうした奴隷状態に加わろうとしない人々を軽蔑する

 本来自由で平等であるべき社会なのに、死ぬまであくせく働く市民がいる。自由を求めて自死する人さえある。そして、権力者や金持ちにへつらい、オコボレをもらったと自慢し、同じようにへつらわないヤツをバカにするのです。 ほんとうの奴隷は自分が奴隷状態にあることを知りません。
 みんな、目を醒まそう。

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

 

 ラ・ボエシ『自発的隷従論』も併せてどうぞ。

自発的隷従論 (ちくま学芸文庫)

自発的隷従論 (ちくま学芸文庫)

 

坂口恭平『独立国家の作り方』

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

 

 むかしは「快適な家で好きなモノや家具に囲まれていたい」と思っていたんですけど、東日本大震災で、そうした欲求が文字通り足もとからガラガラ崩れ去りました。以来、ずっと感じていた人間社会に対するぼんやりした不満が、狩猟採集民のレポートを読んで像を結びました。未だに大昔の暮らしを続ける遊動的は人びとはモノを持たない「その日暮らし」で平等分配社会。鬱も自殺もなく、戦いません。ところが、現代の文明社会は一見進歩したように見えて、不幸を抱え込んでいるのです。
 理想は未来ではなく過去にありました。
 では、現代人が人間本来の社会や幸福を取り戻すためになにをすべきでしょう?……暫定的に浮かぶ方策は、政治的に行動するか、脱出するか、です。脱出には(妻がいるから私はできないけど)路上生活も含まれます。
 驚くことに、私より13歳も年下で、同じことに10年前に気づき、路上生活をも研究している人がいました。彼は同じ都会で暮らしながら、別の街(別のレイヤー)をたくましく生きる人たちを見て、いろんなことを疑っていきます。
 その人・坂口恭平(1978年生まれ)が昔から不思議に思っていたこと、そして私もいま不思議に感じることをいくつか列挙します。

  • ほかの動物と違い、なぜ人間は金がないと生きられないのか。
  • 毎月の家賃は、なぜ大地にではなく大家に払うのか。
  • 投機目的で土地を売買してはならないと土地基本法にあるのに、なぜ不動産屋は捕まらないのか。
  • 憲法に生存権が認められているのになぜ路上生活者がいるのか。
  • 2040年には空き家が43%に達すると言われているのに、なぜ新築が建ち続けているのか。

 坂口氏の思想書(!)『独立国家のつくりかた』、面白かった。
 固定観念にまみれた社会システムを疑い、憲法を無視した国から独立国家を作ろうとします。路上生活者がうまれたり自殺者がいるような国へのアンチテーゼのようです。
 彼は《態度経済》なる概念を考案します。単純な貨幣の交換ではなく、ひととひとの交易をそう呼ぶらしい。仲間を集め、それぞれの力を結集して「国家」のネットワークを築いていきます。
 坂口氏は聡明で多彩で利他的でバイタリティ溢れるけれども、とはいえ、私が目指す社会は少し違うところにある気もするのです。狩猟採集民の本のみならず坂口氏などの本を鏡にして、私は私の考えを深めてみます。

腕振りと骨盤の動きに関するメモ

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 夜中、5:00〜5:30/kmくらいのジョグでしたが、だいぶんいい感じで走れました。
 気づいたことを言語化してみると……。
 ここのところは、骨盤の使い方と腕振りがテーマなんです。
 以下、相変わらずの素人考えなので笑って読んでくださいませ。

 2ヶ月くらいあまり走らない代わりに結構歩いていて、ずっと骨盤の柔軟性のことを気にしていたんです。
 床に座ってのお尻歩き(骨盤ウォーク)をやったあと、立って実際にその動きを再現する感じ。階段は、骨盤の上げ下げで昇ります(→参考:Msn.com《階段の上り下りでやせる「骨盤階段上り」》。その動きを、フラットな地面でのウォーキングでも再現するよう、大袈裟にやっていました。骨盤周りが少しは柔らかくなった気がします。ある程度、無意識でもできるようになりましたが、これをジョグにどう応用するかが難題でした。

 同時に腕振りについても考えていました。
 短距離の講習会に初めて行ったとき、腕振りについて指摘されまして……。
 マラソンをやっていたころは身体の動きに自然についてくると考えていたので、あまり気にしなかったんです。「腕振りが身体に従うなら、正しいフォームには正しい腕振りになるだろう」くらいの認識でした。
 速い選手のなかには、後方に腕を振ったとき掌が後ろに向くように内旋させる人がいます(そうならない選手もいます)。前に戻してきたときは掌が頰のあたりまで上がります。
 私は歩きながら大袈裟に内旋・外旋させていました。腕を大きく後ろに振り切ったとき掌がうしろを向くようにし、前に来たとき横にします。
 妙な動きなので、ひと気がない夜がおすすめです。

 今夜ジョグしながら腕振りを意識すると、身体全体が連動してラクに走れる感じがしました。
 腕を後方に振りながら内旋させると、そちら側の広背筋にテンションがかかり、脇腹が押し出されてお尻が上がる感覚が生まれます。お尻歩きみたいな動きに近づくのです。すると、前側の大腰筋などが伸びるのでSSC(ストレッチ・ショート・サイクル=伸張-短縮サイクル)により足が戻りやすくなるんじゃないでしょうか。
 片方の広背筋だけが緊張したら、正面から見て身体が弓なりになります。左右の腕振りをすると、交互に弓なりになることで体重移動をし、支持脚に体重が載ります。よって地面反力を受けやすくなります。
 骨盤に上下の動きが出てきて、そのぶん遊脚が高くなれば、位置エネルギーが得られるので強い接地が可能になるはずです。
 腕と足の内旋と外旋について書かれた本は手塚一志の『骨盤力』しか知りません。ただ表現が少々感覚的ですし、ランニングに割かれた頁数が少ないのであえてオススメはしません。立ち読みするときはCGで描かれたパラパラマンガをご参照ください。

骨盤力 アスリートボディの取扱い説明書

骨盤力 アスリートボディの取扱い説明書