学習能力のなさ。

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16日の話。

メレルの安売りシューズを買ったので、試し履きの散歩。ゼロドロップで、そこそこクッションあるシューズが欲しかったので、ちょうどいいかもと思って。サイズもちょうどいい。

が、結果、失敗。

例の、土踏まず問題を忘れていました。

扁平足と間違われるくらい足の筋肉が盛り上がっているので、土踏まず部分が盛り上がったシューズを履くと、そこだけ擦れて痛むんです。

歩いているだけで違和感ありあり。

ナイキもホカも同様の理由でダメでした。まったく、何度同じ失敗するのやら。

でもね、アーチって着地した瞬間潰れて、跳ね上がる瞬間、またできるものですのね。なぜ土踏まずの部分を高くするんでしょうか?

自己責任小咄

毎度ばかばかしいお噺を一席。
ここんとこ、なにごとも自己責任だそうで。病気になったら自己責任、貧乏したら自己責任、雨に濡れたら自己責任。空があんなに青いのも電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもみんな私が悪いのよ。柳亭痴楽はいい男。
せちがらい世の中でございます。
何十年もせっせと納めてきた年金なのに、支給額は減る一方だとか。定年までに2,000万円貯蓄せよなどと言った政治家がありました。老後資金も自己責任なんですな。
「さて、俺もそろそろ死にそうだ。女房にも先立たれ子どももねえから、手持ちの金を使い果たそうか」と、お姉ちゃんのいる店でパーッと散財したところ──おねえちゃんから若さを吸い取ってしまったのか──あれ、なかなか死なないぞ」なんてね。「死なないな、困ったな」で、破産して。
そういうのもいわゆる自己責任なんでしょうな。
何歳まで生きるか知っていて逆算できる人がいるんでしょうか?
とにかく、定年までに2,000万円貯めよ、だそうですよ。
そのうえ年金支給年齢を高くして、定年後も働けなんて話もあるようでして……。

「お〜い八っつぁん、見てくれ、42.195キロ完走したぞ〜!」
「熊さん、気の毒だが、今年からフルマラソンは5キロ延びたってよ」
「えっ? ここから5キロは心の臓に悪かろう。もう息が続かねえや」
「お上の決めたこと。ここが我慢のしどころだ、あと5キロ精を出しな」
「ぜえぜえ、47.195キロだ。これで仕舞えだ、べらぼうめ」
「おい、ついさっき、マラソンはさらに5キロ延びると決まったぞ。走れ」
「あっ、麻生太郞! このひょっとこ野郎、我慢ならねえ、リタイアだ」
「リタイアは勝手だが、自力で帰れ。収容バスはない。自己責任だ」

おあとがよろしいようで。

『隠された奴隷制』

隠された奴隷制 (集英社新書)

隠された奴隷制 (集英社新書)

 

 前口上
 初期の移動型狩猟採集民は平等で幸せに暮らしていたらしいと読み、衝撃を受けました。時代が進んで財産や階層や差別が生じ、ついに奴隷までうまれた社会は、成熟した仕合わせな社会なのでしょうか。狩猟採集民を鏡にすれば、現代日本の、父権的階層社会や自己責任論などにますます疑念がふくらみます。低い最低賃金で長時間働いても生活が苦しいシングルマザーや、過労死するようなブラック労働環境を生きる労働者が、現代の奴隷のようにも見えてきたのです。多くの人は生活が楽にならず、消費税も上がるというのに声を上げず、どうやら富裕層だけがますます富んでいく……。
 奴隷もしくは奴隷状態について、読書案内にもなる通史を書いてくれた人はいないかな、と書店をブラブラしていたら、刊行されたばかりの植村邦彦『隠された奴隷制』が並んでいました。たった250ページですけど、私の期待に200%答えてくれました。

 社会主義の崩壊により新自由主義が誕生した
 思想史のなかで、奴隷に反対的立場だったのはルソー、ヴォルテール、アダム・スミス、ジョン・フランシス・ブレイ、マルクス。ヘーゲルはちょっとビミョーらしい。
 マルクスは黒人奴隷の時代が終わっても、社会に奴隷制という経済的カテゴリーが依然として存在しているとし、一般的な賃金労働者を「隠された奴隷」と名づけました。
 本書は、資本主義は奴隷を必要とするシステムであること、を明らかにします。
 マルクスが「隠された奴隷」について書いたのは150年前。
 20世紀前半に社会主義国家がうまれ、それに対抗する形で資本主義国家には福祉国家的社会保障政策が展開されました。しかし、20世紀後半、社会主義国家が崩壊すると、資本主義国家は福祉国家を撤回し始めたそうです。(←なるほど!)
 デヴィッド・ハーヴェイはそれを「新自由主義的反革命」と呼びました。
 結果、アメリカでは《過去三〇年間かそこらになってはじめて、労働者は生産性向上から利益を得ることができなくなった(略)。資本者階級はこの利益のほとんどすべてを領有した。》《新自由主義的反革命の結果として、各種資料で実証されているように、新自由主義的路線に従ったすべての国で社会的不平等の水準が途方もなく増大した。
 知らず知らず、一般賃金労働者は隠された奴隷状態を強化されているのです。

 人的資本(ヒューマン・キャピタル)と自己責任論
 そして新自由主義拡大と「自己責任論」は軌を一にしています。
 ゲイリー・スタンリー・ベッカーの「人的資本(ヒューマン・キャピタル)」という概念は、たとえば高学歴だと低学歴の人より稼げることを人的資本投資と貨幣収益率で説明するのだそうです。教育は投資、労働力を資本と見なします。教育すら経済活動のなかに組み込まれたわけですね。
 ハーヴェイは、自己資本利益率があると思わせることにより、金を稼げないのは自分に投資するのを怠ったからだ、という自己責任論が生まれると批判しているそうです。
 ヒューマン・キャピタルを日本ではふつう「人材」と訳す……クラクラしてきた。人間は材料ではないのに。そっか、最近耳にする文系不要論、あれも投資に対してリターンが低いから要らないというんだな。勉強や学問は投資じゃないのに。
 数十年よく聞く自己啓発セミナーは、自分による自分のための投資なんだと書いてある。なるほど……ちょっとめまいがしてきた。
 
 隠された奴隷を、どう解放するか(今後の課題)
 新自由主義によって奴隷は新しいヴェールで覆われました。それを著者は「新しい自発性」という熊沢誠によるキーワードで説明します。自己責任が共通認識となった社会にあって、責任を果たそうとして過労死する人たちが出てきます。労働闘争して楽な労働を獲得すべきだし、もっと追い込まれたら逃げ出してもいいはずなのに、それさえ発想できずに死んでしまう人たち……。
 
 第六章「奴隷制から逃れるために」が本書の核ですが、その章に引用される本を読んで確認したいこともあり、詳しく触れません。狩猟採集民を学ぶ仕上げとして読むつもりの『ゾニア』と、このたび新しく知った『負債論』をメモ。とくに後者にビックリ。伝統的社会に単純な物々交換はなく、彼らに「ありがとう」という言葉が少ない事実から、貨幣や奴隷制への本質に迫っているらしいことに驚きました。
 
 ともあれ、事態は良くない。資本主義は奴隷制が前提であるなら、福祉国家のタガが外れたが最後、資本家が稼ぐだけの暴走ブラック社会になるからです。
 現に、いまの日本がそうです。移民とは呼ばないだけの外国人「材」、つまり安い労働「力」を大量に日本に迎え入れ、大企業や高額所得者の税率は下げ、逆進性のある消費税だけが高くなる。社会福祉は削られ、年金支給はどんどん伸びていく。

 ルソーが『人間不平等起源論』で書いた、行きつく先の社会を想起します。

(略)都市の市民は汗を流し、たえず動き回り、もっとせわしない仕事を探して苛々しつづけるのである。彼は死ぬまで働く。そして生きることができるようにするために、ときには死に向かって突進することすらある。不死の命を求めて死ぬことだってするのだ。自分の憎んでいる権力者と、自分の軽蔑している金持ちに媚びへつらい、こうした人びとに仕える栄誉を手にするためなら、どんなことも厭わない。自分の卑しさと、こうした人びとからうける庇護を誇らしげに示し、自分の奴隷状態を自慢して、こうした奴隷状態に加わろうとしない人々を軽蔑する。(中山元・訳)

  なんとかせねば。

昭和記念公園のランニングコース

 東京都・立川市の昭和記念公園に、この春、ランニング&ウォーキングコースができたと聞いてはいたんですが、月曜日にやっと走れました。
 森のコース 5,600m、広場のコース 3.900m、水のコース 2,500m とあります。
 私は各一周しました。

f:id:mugibatake40ro:20190816155318p:plain 園内に、どうやらジョギング・ウォーキングコースを描いたMapや案内板は見当たりません。少々不親切に感じました。
 スマホで上記のサイトをチェックしました。
 スタート地点は、入場した西立川口から750mくらい移動したところにあります。
 下の写真が、3コースのスタート&フィニッシュライン。
 ラインの右に「SPOTAG」と書かれた白っぽいスタンドが立っています。ここにSPOTAG専用タグなるものをかざせば、距離や記録を記録してくれる……のかな。正直、買う必要があるのかどうかわかりません。距離がわかっているんだから、自分で時間を計って時速や1キロ平均のタイムを割り出せるし、市民ランナーの多くはGPSウォッチやスマホのランニングアプリを持っているんじゃないでしょうか。

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 公園を堪能するなら、森のコース 5,600m がオススメです。
 北上して、蓮の咲いているこもれびの里を過ぎ、て左に折れると、そこそこ起伏があります。前回掲載したヒマワリ畑は上り坂の途中でした。そこから下り、玉川上水口に向かって走ったあと、ぐるっと回って南下します。いちばん人がいないエリアです。初の30K走をやったイベント「マラソン準備マラソン」のとき、気持ち良くてウトウトしそうになりました。
 東に曲がって腐葉土をつくっているエリアを過ぎます。ランイベントのゴールになったこともある「うんどう広場」を過ぎて……。

 ここで注意が必要。

 肝心なところには道路に矢印が接地されているんですが、「清流広場レストラン」の角を右折する指示がありません。私はまたスマホで地図を確認しました。
 管理者の方、私の見落としでなければ、ここに矢印をお願いします。

 広場のコース 3.900m、水のコース 2,500m は多分迷うところはない。平坦です。

 近くでは、小金井公園などでも木陰は楽しめますし、入園料が一般450円なのでたくさん走らないと元が取れません。
 それでもまあ、気分転換に、ぜひ一度。

ひさびさの30K走

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 きのうは久々に30km走りました。
 以前は毎週のようにやっていたロング走(30km超)、短距離やろうと思ってからはご無沙汰です。今月末に夏マラソンを走る(というより北海道で飲む?)ことにしているので、遅まきながら暑熱馴化と足づくりです。
 午後3時過ぎにスタートしてから、昭和記念公園を目指すことにしました。今年、ジョギングコースができたと、なにかに書いてあったのを思い出しました。
 汗がジワーッと出てきて、水を買ったり信号待ちで止まったりするたび、身体が火照っています。こういう感覚、不快でもあるけど懐かしい。8月に500km走った年もあったのにね、と遠い目をする私。
 9キロほど走って、公園に到着。

 昭和記念公園はいろいろと思い出のある場所です。
 2008年、初の30km走をしたり(→人生初の30km走 )。
 2009年、いまは亡くなられたO先生の担当者と駅伝に出たり(無事終了「EKIDENカーニバル2009西東京大会」)。
 2015年、レース中に女子学生をナンパ(?)したり(関東マスターズロード選手権(ハーフ)でファンラン)……。
 
 ランニングコースは3種類あり、それぞれ一周しました。
 公園を出るとき21kmくらいでした。日が落ちるころ、だいぶん気温は下がりましたが、まだ蒸し暑い。帰宅する方向は向かい風なのと、やや下り基調なのでなんとか30kmに到達しました。
 昭和記念公園のコースに関しては、次回。
 
 トラックで短距離練習するようになってから左足の拇子球が痛いんですよね。今日はソーティマジックRP(レギュラー)でしたが、もう少し厚いシューズ探そうかな。

短距離講習会

 土曜日は毎月1度行っている短距離練習会でした。
 形だけはそれっぽいんですが、いろいろ問題点があります。(いちばん足りないのはスピードですけど)もうすこし太腿の前をリラックスさせ、足を振り上げ、素早く降ろすことで位置エネルギーを推進力に変える、とか。着地したあと、腰がもっとグッと前にいかなきゃいけません。踵がお尻につかないシーンもあります。動画にはありませんがスタートダッシュは笑っちゃうくらいひどい。
 筋トレやジャンプ系のトレーニング、敏捷性のドリルなどで、もっとダイナミックに走れるようにならなきゃいけません。

 私の場合、短距離は始めたばかりですが、マラソンやっていたときとフォームやドリルの基本は同じですから、それなりの知識はあり、欠点も自覚しています。
 おもしろいのは、一緒に講習を受ける中学生です。部活で短距離をやっているのにフォアフット着地ができなかったり、クニョクニョ身体を折って走ったり、足が流れていたりして、基本のキすら見聞きしたことがないみたい。
 ところが、2時間程度の講習会で指導を受けると、彼ら彼女らは一本ごとにメキメキと成長するんです。若いってすばらしい✨️
 部活の顧問が勉強してきちんと指導できればいいんですが、彼らは多忙でそんな余裕はないんでしょう(私は何人かの同級生が学校で教師をやっています。部活の指導まで手がまわらないことを理解しています)。いまは情報が溢れているので部員みんなで動画や専門誌を持ち寄って研究すればいいのに、とも感じますが、実際これもハードルは高そう。
 このまま教育委員会がスポーツを学校に任せるのなら、専門家を派遣して、学校を巡回して指導させてくれないかなあ、学生は磨けば光るかもしれないのに。

1985年の今日

 何年か前の8月12日夜、電車に大学生くらいのカップルがいました。ふたりともマジメで聡明に見えます。小さな声で不思議な会話をしました。

 女の子 今日って……仏滅?
 男の子 仏滅?……カレンダー見ないとわからない。
 女の子 じゃあ、ん〜と。今日は原爆の日?
 男の子 いや、広島も長崎も、たぶん、何日か前。
 女の子 そう……。
  ……しばらく沈黙……
 男の子 あ、今日はね、飛行機が墜落した日。
 女の子 そっか。

 二人にとって、すべてが生まれる前の、歴史上の出来事なんですね。
 女の子が口にした「仏滅」は謎でしたが、おそらく仏滅を「よくないことがあった日」と勘違いしているんだろうと、あとで気づきました。

 日航機墜落は1985年8月12日のできごとです。
 その日の私は、恥ずかしながら二浪の身の上で、安アパートに1年こもって受験勉強をしていました。広島市の中心部からやや北の、トイレ共同の小さな部屋で、小さなラジオから日航機墜落のニュースが流れます。中国地方のローカルテレビをやっていた坂本九が乗っているということですが、繰り返し読み上げられる搭乗名簿に坂本の名前はありません。機体が見つかることを祈りながら明け方寝た記憶があります。
 気が高ぶったのかすぐに目覚めてしまい、午前中、なんだか不安な気持ちで本通りをブラブラしました。見た目は普通どおりに歩いている人たちが不思議でしたが、私は私で普通に歩いているように見えたかもしれません。

 日航機事故の話をテーマにした本はいくつかありますが、最近読んだなかで衝撃的だったのはこれです。陰謀論なのかどうなのか、ご自身でご判断を。

日航123便墜落の新事実  目撃証言から真相に迫る

日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る

 

ほんとにやるのか、来年の今日は男子マラソン。

 お暑うございます。
 来年の8月9日は、東京オリンピックの男子マラソンです。

朝6時の新国立競技場。セミの鳴き声が響き、差し込む朝日はさわやか。だが、暑さはもう厳しい。いきなり気温は30度を上回る。

スタート 新国立競技場(午前6時)気温30・4度、湿度75%

5キロ 靖国通り新見附橋(6時17分)31・3度、72%

10キロ 日本橋(6時38分)31・7度、71%

15キロ 浅草雷門(6時56分)32・2度、70%

通勤、通学する人の姿、車通りも増えてくる午前7時台に入ると、さらに暑さは増す。日差しが強いポイントでは、とうとう35度を超えた。

20キロ 日本橋高島屋(7時15分)31・9度、70%

25キロ 芝郵便局(7時34分)32・2度、69%

30キロ 神田須田町(7時52分)35・6度、61%

コースは37キロすぎから勝負の上り。同じようにコンディションも正念場だ。

35キロ 神保町交差点(8時7分)34・6度、61%

40キロ 富久町交差点(8時26分)34・8度、62%

フィニッシュ 新国立競技場付近(8時30分)35・7度、57%

時を同じく、ウェザーニューズもデータを測定していた。スポーツ気象チームのリーダーで、日本陸連の科学委員会のメンバーでもある浅田佳津雄さん(43)は「薄雲がかかっていた。日陰が多かった」。この日も十分暑かったが、1年後はもっと気温が高く、日差しも強くなる可能性があるという。

  ああ、うんざりだわ。35℃のマラソンってなんの我慢大会?

とはいえ地の利で得られるデータは、大きな武器にもなる。

 って、そんなこと超越しとるわ。
 アスリートファーストってなんじゃいな。
 オリンピック反対。

大竹まこと『俺たちはどう生きるか』

俺たちはどう生きるか (集英社新書)

俺たちはどう生きるか (集英社新書)

 

 20年、いや25年くらい前でしょうか。朝まで飲んだ翌日の昼間、もさもさ起き上がってテレビを点けると、収録番組を放映していました。アイドルっぽい女の子が「栗ごはんをつくってきました」とスタジオの出演者にふるまっていたんです。大竹まことが「なに? ごはんに栗を入れて炊いただけ? こんなの栗ごはんじゃねえ!」とブチ切れました。私は、あれ、違うの? と感じましたが、ほかの出演者も異論をはさまない。さんざん女の子を罵倒して番組は終了しましたが、最後にテロップが出ました。「帰って妻にきいたら、◎◎さんの作り方で良いそうです。ごめんなさい。大竹まこと」……一連の流れはひどかったけど、大竹まことって謝罪する人なんだ、と意外に感じました。狼藉者というイメージだったので。
 ここんとこ、13時からは「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴いています。ときどき私の感想ツイートやメールが読まれます。
 ラジオは、人格がそのまま伝わるメディアです。大竹氏は、冷静にものを考え、権威に屈せず正義漢に溢れ、わからないことはわからないと表明します。若い人の意見にも素直に耳を傾けます。若手芸人がゲストに来ても、イジり方が優しい。芸能界では成功したベテランでしょうけど、威張ったりしません。私は理不尽な上下関係のない狩猟採集生活にあこがれているくらいですから、偉ぶらない大竹氏のファンです。
 新刊のエッセイ集も買いました。タブレット純(ゴールデンラジオの火曜日のレギュラー)の落書きがオビに載っています。タイトルは「君たちはどう生きるか」ではなく『俺たちはどう生きるか』なんです。年寄りが高圧的に小言を言うのではなく、あくまでも他人とフラット。自分の経験や社会のできごとを語りながら、答えの出ない問題をひたすら考えている古稀のおじさんの迷いを正直に書き記し、どう生きるべきか模索しているのでした。
 息苦しい昨今。
 俺たちは、さて、どう生きましょうか。

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狩猟採集民の育児

 ちと忙しく、ほかに読む本もあるのでなかなか読み終わらないジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界』。まだ上巻だけです。
 著者は、伝統的社会と現代社会を比較することで、本来の人間社会とはなんだったのか、現代の常識は本当に正しいのか、などを考察しています。その態度は私が狩猟採集生活のレポートを調べる理由と重なります。『昨日までの世界』には何度か触れることになるでしょうが、まずは狩猟採集民の子育てについて。(だ・である調で書きます)

 【出産間隔】移動性の狩猟採集民は農耕民に比べて出産間隔が長い。幼児は4歳くらいまで大人と同じ速さで歩けないためその期間は妊娠しない。離乳年齢は農耕社会より高く、4歳に達する社会もある。
 母親は「授乳性無月経」という生理現象により妊娠しない。ただ、それは授乳の頻度が高い場合である。授乳回数が少ない現代の女性は懐妊するらしい。
 伝統的社会で、小さな子供を抱える母親が次子を生んだ場合、嬰児殺しをすることもある。クン族の場合、子供の人生は名前をつけて村の一員となるまでは人生が始まったとは考えない。したがって生まれたての子供を殺すのは殺人ではないという。
 
【授乳の頻度】伝統的社会では赤ん坊がほしがるたびに授乳するのが一般的である。クン族の調査では、日中、授乳と授乳の間は平均14分、そのたび赤ん坊は2分間おっぱいを飲む。夜は母親は最低2回目を覚ます。赤ん坊が最低数回、勝手に母親のおっぱいに吸いついている。
 
育児方法】現代社会と違い、赤ん坊と母親が別々に寝る例は見られない。現代アメリカは、赤ちゃんと母親が別々に寝ることを推奨している。母が寝返りを打って赤ん坊を窒息させるという理由であるが、狩猟採集生活ではそのような例は報告されていない。硬い寝床なので、寝返りのさいにできるマットの窪みに赤ちゃんが落ちないから。
 とはいえ、養育は母親だけのものではない。とくに母親の採集が重要な社会になるほど父親は養育する傾向にある。また、小規模血縁集団の狩猟採集社会では、アロペアレンティング(代理養育)もさかんである。あるピグミーの集団では、1時間に7、8人の大人が赤ん坊の面倒を見ていた。
 
体罰】西欧社会では体罰に関して考え方が違う。スウェーデンのようにお尻を叩くことすら児童虐待とされ刑事告発の対象となる社会から、ある程度許される国までさまざまである。
 伝統的社会にも、体罰する集団としない集団に分かれるが、ジャレド・ダイアモンドは、おおまかに生業形態によると言えるだろう、と書いています。
 狩猟採集民の小規模血縁集団は、最小限の体罰しかおこなわないことが多い。対して、農耕民の社会はある程度の体罰をおこない、牧畜民は体罰する傾向が強い。
 狩猟採集民は所有物をあまり持たないから、子供がイタズラをしても他人の所有物に被害を与えることが少ない。ところが、農耕社会は所有物が多く、牧畜民にいたっては家畜のような財産価値が高い所有物がある。子供のイタズラが大きな損失につながることがある。
 また、狩猟採集民は平等主義的であるが、農耕・牧畜社会は権力の個人差が顕著であり、性別や年齢でも権力の程度に差があるため、その違いを学習させるために体罰がされるという事情もある。
 ほとんど体罰をしない狩猟採集民は、ピダハン族、アンダマン諸島人、アカ・ピグミー族、クン族など。ダニエル・エヴェレットが娘に体罰しようとしたらピダハンの大人たちが寄ってきて止めた、という『ピダハン』のエピソードが紹介されていた。
 
自律性】狩猟採集民の小規模血縁集団では子供の自律性を重んじていて、子供だからやってはいけないことはない。最終的に、親のいうことを少しは聞いたほうが自分のためになることを、子供は学習する。
 
性教育】社会が小さいので、子供たちは異年齢のグループを形成することになる。年少の子は社会性が養われ、年長の子は子供の世話を覚える。異年齢の男女混合集団であることは婚前性行為につながる。詳細な観察調査をおこなったすべての小規模狩猟採集社会で報告例がみられる。彼らは両親と寝起きをするため、性行為の知識がある。また、性行為のまねごとも遊びの一種である。
 
遊び】伝統的社会の子供たちは「ごっこ遊び」で大人のまねをする。狩猟、戦争ごっこ(農耕や交易などで豊かになり財産が増えると戦争をする)などをする。

 教育と遊びに区別はない。
 狩猟採集社会や小規模な農耕社会の子供の遊びは、他人と勝敗を競わないという共通点がある。彼らの遊びは、みなで分け合うことを学ぶものである。分かち合いを尊び、人より抜きん出ようとしないことに意味がある大人の社会のありようを子供に教えるための遊びなのである。著者は、ニューブリテン島カウロン族の子供たちがバナナを分配する儀式ごっこを紹介している。
 
結び=引用】

 現在、アメリカの一〇代の子どものあいだには、思春期のアイデンティティ・クライシスが蔓延している。しかし、これは、狩猟採集民の子どものあいだではまったくみられない問題である。狩猟採集民の子どもが、なぜ、このようにすばらしい特徴を持つ人間に育つのだろうか?  狩猟採集民やその他の小規模社会で生活した経験を持つ西洋人は、その理由を差だて方のおかげだと推察している。(略)
 しかし、小規模社会の人間のほうが安心感や自律性を持ち、社会性を身につけているというのは、印象による説明にすぎない。(略)ただし、少なくとも、ひとつの結論だけは導出できる。その結論とは、われわれからみれば異質に感じる狩猟採集民の育児は、けっしてそれほど破壊的に展開するような育児ではなく、その育児によって子どもが成長するからといって、狩猟採集民の社会が一見して社会病質者(ソシオサイコパス)とわかる者ばかりの社会になるとはかぎらないということである。むしろ、狩猟採集民の育児は、大きな課題や危険に立ち向かう力と、生活を楽しめる心の持ち主を育てることのできる育児なのである。現代的行動を今日に右する人類には一〇万年近い歴史があり、狩猟採集民の生活習慣は少なくとも、その歴史に耐え抜いた生活習慣なのである。世界のいくつかの地域で農耕がみられるようになる一万一〇〇〇年より前の時代では、世界中、だれもが狩猟採集民だった。(略)狩猟採集民の子育ては、これほどの長きにわたって継続されてきた実験である。そして、その実験結果には、真摯に受け止め、検討する価値がある。

昨日までの世界(上) 文明の源流と人類の未来 (日経ビジネス人文庫)

昨日までの世界(上) 文明の源流と人類の未来 (日経ビジネス人文庫)

 
ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観