2011年3月11日以降のこと(1)

 東北の震災の日から5年が経ちました。自分が45歳だったと思うと、ずいぶん昔のように感じられます。しかし、まだ仮設住宅で暮らしているひともあるように、予定通りに復興は進んでいません。

 あの日、自宅兼仕事場でデスクワークしながら、たぶんTBSラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」を聴いていたんでしょう。東京も長い横揺れがありました。ガタガタはずむ本棚を力まかせに抑えました。揺れがおさまってから、テレビを点けます。妻は二駅先に外出していて、何度かけてもスマホにつながりません。大人だから帰ってくるだろうとたかをくくって、画面を見ていたんです。九段会館の天井が崩れて1人亡くなった、というのがそのときの最大のニュースでした。
 東北で津波警報が出ましたが、少し前にも東北に大きめの地震があったこともあり、にわかには信じられなかった。非日常的な気分ではありながら、まだ平静を保っていられました。

 このあたりから時系列があやふやなんですが……。
 東北が津波に襲われたとテレビが言い、動揺しました。妻の親戚が、東北の海岸沿いに住んでいるのです。妻は3時間かけて無事に帰還しました。まわりの人は電話が通じはじめたのにS社は全然ダメだったといいます。後日、S社を解約しました。
 福島では原発がたいへんなことになっているらしいけど、メルトダウンはしていないと言いました。

 東北とは連絡がつきません。
 数日間、情報収集に追われました。誰が助かり、流され、誰がどこに避難しているのかがわからない。
 生存者情報で役に立ったのは、mixi、Twitter、googleの特設掲示板、つまりネットの情報です。ただ、現地に電気がないので、携帯電話の電池が切れたころからは、被災者が発信する一次情報は発信されなくなりました。
 テレビはなんの役にも立たなかった。津波の動画やヘリコプターで上空から見た悲惨な映像を映すばかりで、現地に赴くとしても、小さな町には行かないのでした。1週間ほどして、その町をテレビが採り上げるようになり、避難所の小学校に入りました。しかし、テレビに映るのは悄然とした人だけ。小学校の体育館の入口に貼られた避難者のリストをアップにしてほしかったのです。
 何が足りないのか、どうしたら現地に入れるか、ボランティアが必要なのか……なども、ラジオではやっているのにテレビではわかりません。
 以来、テレビの報道番組やワイドショーを見なくなりました。震災で考え方やライフスタイルが変わったことのひとつです。

 床下浸水した人、奇跡的に助かった人、避難所で生活している人、流されて行方不明になった人、流されたと言われていたけど、じつは避難していた人……。親戚の安否確認ができたのは、一週間くらい経ってからでした。