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魯迅「賢人と馬鹿と奴隷」など

5月半ばのこと、魯迅「賢人と馬鹿と奴隷」ってどんなんだったっけと、出かけたついでに図書館でコピーしてきました(文庫には入っていません。多分)。魯迅は1881年生まれの中国の文学者。儒教を批判した知識人だったと知れば、魯迅の作品を理解するのに役立ちます。

「賢人と馬鹿と奴隷」は短い寓話ですが、さらに要約します。

奴隷とは自分の境遇の愚痴を洩らす存在です。
賢人に向かって自らの非人道的な境遇を訴えると、賢人は「いまにね、きっとよくなるよ……」と言いました。
おなじく奴隷の不平を聞いた馬鹿は、「お前の主人はお前を窓なしの部屋に住まわせているのか。俺が窓をあけてやろう」と壁を毀しはじめます。
驚いた奴隷が「強盗だ」と騒ぐと仲間がやってきて、みんなで馬鹿を追い出しました。
主人は奴隷を褒めました。奴隷は、賢人に「先生が言ったとおり、いいことがありました。主人に褒められたんです」と報告。賢人は愉快そうに「なるほどね」と答えました。

さて──。

「奴隷」はまさしく奴隷です。食べ物や住まいに不満があっても、せいぜい他人に不平をこぼすことしかしません。では、「賢人」は本当に賢人でしょうか。「馬鹿」は本当に馬鹿でしょうか? 「賢人」は奴隷の愚痴を聞くものの慰める程度で、現状改善をはかろうとしません。「馬鹿」は、奴隷に同情し境遇改善を図ろうと行動を起こす人物です。

奴隷とは、不満があっても自ら奴隷のままでいつづけようとします。だから「奴隷」の基準では、現状を改善しない人間が「賢人」で、自分を解放しようとする人間は「馬鹿」という具合に、価値の転倒が起きてしまうのです。

魯迅の代表作のひとつ『阿Q正伝』も奴隷根性の話です。ふらふらとして確たる信念がないまま生きる阿Qは、無実の罪で捕らえられます。

「立ったまま言え! ひざまずかなくてよい!」長衣を着た人たちがみな、がやがやといった。
 阿Qはわかったつもりだったが、どうにも立っておられないような気がし、体がひとりでにうずくまっていって、結局そのままひざまずいてしまった。
「奴隷根性! ……」長衣を着た人がまたさげすむようにいったが、もう立てとはいわなかった。

彼の意識のなかには、人として天地の間に生まれてきた以上、もともと時には打ち首になることも免れられないものだろう、という思いもあるようであった。

この小説は、中国人が奴隷のようにフラフラして生きる危うさを戯画化しています。魯迅が奴隷根性の危うさに気づいたのは、東北大学で細菌学を学んでいた1906年(明治26)のことだと言われます。往時を回想した「藤野先生」より。

(略)第二学年には細菌学の授業が加わった。細菌の形態はすべて幻灯で示されたが、それが一段落してもまだ放課の時間にならないときには、時事的なフィルムが映された。当然それらはみな日本がロシアに戦勝している場面だった。ところがたまたまそのなかに中国人が混じっていたのである。ロシア人のためにスパイをして日本軍に捕えられ、銃殺されようとしているのだが、それをとりかこんで見ているのも中国人の群衆だった。教室の中にはもう一人、わたしもいるのである。「万歳!」彼らはいっせいに手をたたいて歓声をあげた。
 この歓声は、一枚を見るごとにいつもあがったが、わたしにとっては、その声はとくに耳を刺すようにきこえた。その後、中国に帰ってきてからも、わたしは銃殺される罪人をのどかに見物している人たちを見たが、彼らもどうしてか酒に酔ったように喝采するのである。──ああ、もはや何をか思うべき。だが、そのときその場で、わたしの考えは変ってしまったのだった。
 第二学年のおわりになると、わたしは藤野先生を訪ねていって、医学の勉強をやめ、そしてこの仙台を去りたいと思っていることを告げた。(略)

魯迅は、同胞が奴隷状態にあることを案じました。

「賢人と馬鹿と奴隷」は1925年に発表されました。ほぼ100年後の日本だって相当危ういのではないでしょうか。性的マイノリティや入管収容者が不当に差別されているのを見て歓声をあげる人たちがいます。一部の市民の人権が蹂躙されることは自分の人権も危うくすることなのに、いっさい気づいていない。「人権を守れ」と叫ぶ「馬鹿」に向かって、いずれ人権をおびやかされる市井の「奴隷」がサヨクだなんだと罵声を浴びせます。奴隷の行為を愉快そうに眺める「賢人」もいますね。

私は、入管法改悪やインボイス制度反対のデモに何度か参加しました。「馬鹿」で結構です。