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『ボビー・フィッシャーを探して』映画と原作

映画『ボビー・フィッシャーを探して Searching for Bobby Fischer』(1993米、監督スティーヴン・ザイリアン、マックス・ポメランク、ジョー・マンテーニャ、ジョアン・アレン、ベン・キングズレー、ローレンス・フィッシュバーン)は、日本で公開された1994年に観賞して以降、ビデオを購入して何度も見ました。当時、私はチェスに興味があったのです。

先日、テレビでやると知り、つい最後まで見てしまいました。主人公ジョシュのかわゆさといったら。あえて最近の言葉を使いますが、横で見ていた妻も「キュン死」していました。

以下、あらすじです。

冷戦時代、ロシアの世界王者スパスキーを破ったボビー・フィッシャーは姿を消し、行方知れずになっていました。ジョシュ少年はチェスの才能があり、フィッシャーの2世になるのではと期待をかけられます。ハラハラしながら息子の成長を見守る父と母、チェスのコーチ・パンドルフィーニ、ワシントン広場で賭けチェスをするホームレスのヴィニー……。ところが、ジョシュの前に1人の天才少年が立ちはだかります。学校に行かず、英才教育を受けているポーでした。

ジョシュは、ほとんど黒か赤い服を着ていて、不利とされる後手番で黒もしくは赤い駒を持っています。チェスを知らなくてもほぼわかりますが、最後のシーンについて知りたければ、ぜひ私にお問い合わせください。

映画って何度見ても発見があります。今回は、特徴的なフォームでジョギングするおじさんが3度登場するのを見つけたのでした。

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ビルドゥングスロマンのパターンを踏襲したフィクションにも感じられますが、じつは映画の原作は実話です。ジョシュの父フレッド・ウェイツキン『ボビー・フィッシャーを探して』(若島正訳、みすず書房、2014、原書は1988年刊)を買ったままだったことを思い出し、通読しました。

映画では省略されていますが、フレッドとジョシュ、パンドルフィーニはロシアを訪問してカルポフとカスパロフの対決を観戦しています。そのさい見聞した、政治体制と不可分なロシアチェス界の事情を詳述しています(ロシアのチェス人気について読んでいると、時代は異なるものの、Netflix『クイーンズ・ギャンビット』で描かれたロシアの対局シーンを思い出されました)。一方、アメリカでは有名プレーヤーでも満足に生活できない状況や、自分の子供をフィッシャー以来の天才と信じてチェスの英才教育をする親バカの心理なども書かれています。将棋の場合、天才少年は自分でどんどん道を切り拓き、父母が入れあげることは少ないような……。

映画は架空のエピソードを加えたり、性格づけを変えられた人物もいますが、多くの逸話はかなりの確率で真実らしく、ちょっと驚きました。ヴィニーは架空のキャラクターでしたが、ワシントン広場でチェスを指す人たちはジョシュを好意的に見守ってくれたようです(予告編に出てくる、指導対局・写真撮影各々1ドルの男は実在する模様)。全米学童選手権でライバルと対決した最終局の展開も、棋譜が違うものの、状況がよく似ています。

若島正による訳者あとがきも面白い。若島氏はナボコフ研究で有名な英米文学者でありながら将棋の詰め将棋作家としても有名で、チェス・プロブレム(チェスの詰め将棋)の解答コンテストでも年間世界チャンピオンになったこともあります。

現実のジョシュは16歳以下の全米チャンピオンでしたが、映画で有名になったことを重荷に感じたようで、しだいに太極拳にのめり込み、ついには太極拳推手の世界チャンピオンになったと訳者あとがきにあります。『チェスから武術へ』という著書があり、邦訳が刊行されているらしい。読まねば。学校に行かずにチェスに打ち込んでいたライバルはポーランドで不動産業を営んでいるとありました。

映画での最後の対局も、図面と棋譜つきで解説されています。本物のジョシュとパンドルフィーニが映画にカメオ出演しているらしいので、後日確認します。

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ある問題を機にアメリカ政府に国籍を剥奪されたフィッシャーは、2014年に成田空港で身柄を拘束され、2018年にアイスランドで亡くなります。波乱に満ちたフィッシャーの生涯はフランク・ブレイディーの名著『完全なるチェス』に詳しい。ややこしくなりますが、フィッシャーの半生を描き、私はあまり感心しなかった『完全なるチェックメイト』という映画がありますが、その原作ではありません。

原作のなかでパンドルフィーニは本の〆切に追われていました。書いていたのは、『ボビー・フィッシャーの究極のチェス』です。もちろん私も読みました。