王様の耳はロバの耳

 ウルトラを完走した人の話を楽しく聞いていると、突然こう訊かれたりします。
「ウルトラやらないの」
「興味はあるんですけど、いまのところ予定はありません」
「楽しいよ。やったほうがいいよ、絶対」
「スピードがつくうちはタイムを狙いたいし。いずれそのうち」
「もったいない。そのうちなんて言わないで、来年のサロマとかどう?」
「はあ」
 以下、執拗に迫られたりしたら、こう言いたくなります。
「なにをどう走ろうが私の勝手でしょ?」
 スピード養成のこと以外にも個人的な事情があるんです。私の場合、先天的な不整脈があり、発作歴がないのに「死にたくないなら走るのはやめなさい」と言った医者がいました。セカンド、サードオピニオンで、最初の医者が極端に誇張したことが判明しましたが、家人とは走る・走らないで、ひと悶着もふた悶着もありました。心配性の彼女は、いまでもフルマラソンの日にヤキモキしているんです。10時間走るなんてとうてい許可しません。心臓にとっては5キロとか10キロレースのほうがきついんでしょうけどね。ともかく心配してくれているんだからと、超長距離はなるべく控えているのです。(来月走る萩往還は、距離を教えていません)
 ウルトラをしつこくすすめる人たちには、思い出したくもない先天性不整脈のことまで語って説明するんですが、それを忘れ、会うたびに口にする人もいます。心のなかに棲む「悪い私」は「ケッ、実際100km走ったらあんたなんかよりずっと速いんだよ」と毒づいたりします。もちろん口には出しませんけど。
 目標に向かって努力する人、ゆっくり楽しむ人、トレランやウルトラが好きな人、減量や健康維持のために走る人などなど、ひとくちに「走る」といっても市民ランナーはいろいろです。
「フルマラソンを走りきるにはどうしたらいいか」などと聞かれれば答えますが、毎日歩き混じりでファンランするのが楽しいという人に「そんなのランナーとは呼べないよ」なんて言いません。みんなの楽しみ方を尊重するのが私の流儀。ぶっつけ本番でフルを走るぜ、と胸を張る人は論外ですけどね。
 ところが、人によってはランナーの多様性を認めない人がいます。たとえば「タイムを求めて走るなんておかしい」と説教口調で言われたこともありました。なぜ他人に自分の価値観を押しつけるんだろう。あなたはあなた、私は私。一所懸命1万メートルのタイムを縮めようと努力している人に、フル走らなきゃ意味ないよ、と押しつけるのは愚かなことでしょ。
 私はサブスリー宣言をしたのですから、「そんな練習じゃ3時間なんて切れない」などとお叱りを受けるのはありがたい。アドバイスには素直に耳を傾けます。しかし、「サブスリーに意味はない」だの「なぜハセツネを目指さないのか」だの言う人があればしばらく会うのを控えます。
 わかってもらえるかなあ。偏狭なのかもしれませんね、私って。