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狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

パラリンピック雑感

企業のCMか政府広報か忘れましたが、2年ほど前のオリンピック・パラリンピックのコマーシャルでこんなシーンがありました。1964年風ファッションで男女2人が登場し、「ぼくと東京オリンピック・パラリンピックを観に行ってくれませんか」と男が女を誘うんです。

1965年生まれの私ですが、これは断言できます。当時、パラリンピックは一般的ではなく、オリンピックと並べられるような大会ではなかったのです。

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私は「より速く、より高く、より強く」のオリンピックはもう要らないと考えています。あのスローガンは資本主義と同じです。収益を上げろ、成長しろ、国力を上げろ……だなんて。もうオリンピックにはプロばかりなんだから、競技ごとに国際大会を開けばいい。

しかしパラリンピック反対とはいいません。脊椎を損傷した患者のリハビリテーションと社会復帰をすすめ、ストーク・マンデビルという脊椎損傷者の大会を開いたグットマン博士に学び、1964年に東京パラリンピック開催に漕ぎつけた大分の医師・中村裕も立派でした。敬意を払っています。

中村医師がリハビリを取り入れる前、日本では、不幸にして脊椎を損傷した人はスポーツや社会復帰など考えられず、ずっと寝ているのが運命だと信じられていたようです。

脊椎損傷に限らず、障碍者(私はこの表記を使います)は外に出るものではないというのは、1970年代以降も社会の空気として共有されていました。1979年11月24日に放映させたドラマ、山田太一脚本・鶴田浩二主演『男たちの旅路』(NHK)「車輪の一歩」や、1981年公開『典子は、今』は、障碍者が外に出ることを問題提起したものでした。『典子は、今』を見た同級生が「人を頼って生きていくなんてわがままだ」と言って私を驚かせました。

今ではバリアフリーは当たり前の目標です。しかしつい昨日まで、ちょっとした段差が健常者と車いす使用者を隔てる大きな壁でした。日本では、その壁を徐々に低くしていくきっかけが、1964東京パラリンピックだったといいます。

振り返ってみれば、これが最初の一歩だった。障害のある人々が社会と隔絶して生きていけなかった昭和の半ば。この東京パラリンピックも、のちの「パラリンピック」の華やかなイメージとは遠くかけ離れた、地味で小さな大会だった。一般の注目を浴びることはほとんどなかった。その中身も、二一世紀の目から見れば、すべての面で立ちおくれていたと言うしかない。が、あらためて振り返れば、これこそがさまざまな面での原点だったように思える。

──佐藤次郎『1964年の東京パラリンピック』(太字部分は原文では傍点)

中村医師の尽力で、1964年11月8日、代々木の織田フィールドで開会式が行われました。公式には、東京大会はパラリンピックの第2回大会となるらしい。参加者は21ヶ国378人。開会式には皇太子・美智子妃が臨席、参加者の家族や知人、関係者など4000人が仮設スタンドを埋め尽くしたといいます。

狂騒を嫌い1964東京オリンピック期間中に東京を離れた文学者・中野好夫は、パラリンピックを見にいっています。

背後にいたどこかの取材記者の一人が、ほう、運動会だな、と思わずつぶやいた。スポーツ大会といわなければいけないのかもしれぬが、ぼくは明るく、楽しい運動会であってなにが悪いのだと、むしろ言いたい。

夜になると、海外勢は車いすでショッピングに出かけたり、パーティで交流を深めます。日本人はほとんどいなかったようです・海外の障碍者の明るく社交的な姿は日本選手やホストとなった若い日本人スタッフに影響を与えたようです。

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現在、パラリンピックは巨大な大会になり、選手の体力が向上、車いすはじめ道具もすごく進化しています。なかにはプロ選手もいる。

選手ごとにハンデが違い、スポーツに必須といわれるフェアネスがどこまで確保されているかわかりません。たとえば、義足をつけるのが利き足かそうでないかで条件が変わります。

でも──と、最近私は思うようになりました──条件がどうこう言うのも勝ち・負けに拘泥するからではないか。国も障碍の度合いも関係なく、みんなで楽しめばいい。たとえば、パラリンピックとはまた別に、健常者も参加できるボールゴールやボッチャやブラインドサッカーやシッティングバレーの運動会を作れば、多様性社会実現に寄与するはずです。結果、障碍者が勝ったりすることも多々あるんじゃないか。

前述の中野好夫はアマチュアとはいいながら1年間スポーツやっている選手を集めたオリンピックを「プロリンピック」と批判し、のんびり行われたパラリンピックを賞賛しています。今後、パラリンピックが商業的に成功して「プロリンピック」「パラ利権ピック」みたいにならないでもらいたいと願います。「楽しい運動会」の雰囲気を残してくれますように。

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──とはいえやはり、今年のパラリンピックはこの時期に開催すべきではなかったと思います。9/8時点で、大会関係者のコロナ陽性者は累計874人とのこと。みなさんの恢復を祈っております。