夕方、走っていたら、東の空に大きな月が見えました。
誰もが不思議におもっていることがある。それは、昇りかけの月はあんなに大きく見えるのかということだ。この不思議は古代から議論の的になっていた。
とはじまるのは、月マニアなら読んでおきたい1冊・松岡正剛『ルナティックス』の「水無月」の章です。いろんな説が紹介されていますが、まだ解明されていないそうです。
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走り終え、満月見ながらとぼとぼ帰っていると、サンダルを引きずりながら一軒家から出てきたおじいさんがいました。街灯の加減でおじさんはシルエットになっていて顔はよく見えません。
「月、綺麗なんだよ、今日」
ガラガラ声でいきなり話しかけられました。事務的なこと以外で知らない人と話すのはいつ以来でしょう。私は「そうですね〜」と答えます。顔は見えませんが声も体型も殿山泰司みたい。禿頭に街灯とムーンライトが映え、月と競演していました。
やりとりはそれだけで、私は通り過ぎたんですが、そうか、これは、例の、巷間流布している愛の告白さながらだと気づきました。オジイサン、そのつもりだったらノーサンキューだよ。
ところで。
夏目漱石が I Love You を「月が綺麗ですね」と訳したという話は都市伝説です。
漱石を少しでも読んだことがある人は、そんな甘っちょろいことを言う作家じゃないと感じるはずだけどなあ。私も誰かが出典を書いていないか、一時期あれこれ検索したんですけど見つからず……。下記の検証サイトは、ときどき見返しています。
「夏目漱石は『月がきれいですね』と言ってない」という過去ツイートが、今になってリツイートされているので不思議でした。朝ドラ「#とと姉ちゃん」(5/5)で鞠子が「漱石が訳した説」を披露したのですね。改めて申します。漱石は言ってませんよ。https://t.co/DLI1eOCRIj
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年5月5日
なぜ、こんなことに私が拘泥するかといえば、一種の歴史修正主義だからです。
ある人に「月が綺麗ですね」は都市伝説だと言うと「ロマンチックだから信じてたいな」と返ってきて私を驚かせました。人間、よさそうな話に対しては認知バイアスが働き、情報リテラシーの機能が弱まるものらしい。SNSで真偽未確認の美談がバッと拡散されることも多々あります。よい話だから無批判に信じたいという人は、エセ科学や詐欺に騙されちゃわないか、心配です。
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帰宅してシャワーを浴びてテレビを見ると、カープが勝利しました。ヒーローインタビューは森下暢仁投手と羽月隆太郎外野手。満塁で第3打席が回ってきたときのことを聞かれた羽月選手が言います。
「きのう屋上で森下さんと月を見て、『きれいだね』って言って、それが今日、力になったと思います」*註……これは満月の1日前の月です。
たしかに笑えるインタビューですが、SNSでは、さっそく「羽月と森下は愛し合っているのか」なんて投稿が……。もういいや、日本では「月が綺麗=アイラブユー」でいいよ。ただ、夏目漱石が訳したというくだりは外してくれ。
スポニチ(→ネット記事)は《かの文豪夏目漱石は、英語教師をしていた時に「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したことで知られる》って断言しとるやないか。夏目漱石を実証的に研究している人に、ぜひ出典を示してあげてください。
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