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竹内洋『教養主義の没落』

ブログとはまったく関係ない話です。

教養ってなんでしょう。私には小学校時代から教養に対する一種の畏怖がありました。もしかすると単に権威主義だったのかもしれません。中学に進んでからは勉強はあきらめ、本読んだり将棋を指したりしていました。通学時間でいろんな外国文学や日本文学を退屈しながら読んだものです。

「教養がある」は「頭がいい」とはちと違った気がします。

「頭がいい」とは中高生にとってはとくに成績が良いということだった気がします。いや、それだけではないな。何かの問題解決にあたってみんながワイワイものごとを言うときに、脳から汗を垂らして素晴らしい解決策を思いつく人も「頭がいい」でした。私の中高時代の読書は、成績がよくもなく沈思黙考ができない自分の負い目を隠すため「教養がある」人になろうとしていたのかもしれません。残念ながら教養もつかなかったんですが。

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先日、竹内洋『教養主義の没落』(中公新書)を読みました。たいへん面白い本でした。明治の話から始まり、2003年刊行ですから、だいたい20世紀までの話です。 

教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)
 

戦後の話に限定しましょう。

高等教育がエリート段階からマス段階に切り替わる境目は「進学率15%」だとマーチン・トロウという人が言っているそうです。日本では1960年代後半に15%以上になりました。

つまりオリンピック以後ですね。クレイジーキャッツの映画を思い出してください、大学卒でも単なるサラリーマンになる時代が到来したのです(それ以前は大学エリートが就職した場合でも、大学での専門知識が活きる部署に配属されていたとか)。

ときあたかも70年代安保。大学=教養主義=エリートの再生産の時代が終わると、教養知・専門知に対する愛憎がうまれ、大学紛争のエネルギー源になったのではないかと、竹内氏は書きます。知識の権化たる丸山眞男が糾弾の対象となり、庶民の出である吉本隆明がスターになりました。

大学の専門知識とは関係ないサラリーマンになる彼らにとって、教養は収益を見込んで投資する文化資本たりえません。1970年あたりから岩波文庫の売れ行きが落ちていき、角川文庫などのエンタテインメントが参入しはじめます。「中央公論」や「世界」に代わって「文藝春秋」「リーダーズ・ダイジェスト」「プレイボーイ」などが部数を伸ばしきました。教養主義者・知識人の存在感は薄れ、大学はレジャーランド化する……。

そんなころに私はわからないながらも古典文学を読んでいたのです。時代遅れでしたね。

『教養主義の没落』最後の最後に、私がリアルタイムで知っていることが出てきます。1985年、文学者の反核運動を発端にした埴谷雄高と吉本隆明の論争にビートたけしが参戦、雑誌で吉本を茶化したのです。巨人・吉本の影響力が失墜したということでしょう。1989年の東京大学のアンケートでは、日本を代表する文化人の第1位が夏目漱石、第2位がビートたけしだったそうです。

1980年代前半くらいでしたか、ビートたけしや明石家さんまを世間が「頭がいい」と言いはじめ、違和感を覚えました。かつては彼らを褒める表現は「頭の回転が速い」だったんです。彼らは「頭がいい」文化人になったんですね。

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日本学術会議の問題、世間が学問や知性を軽んじているように感じますが、それも「教養主義の没落」と関連するのかもしれません。