『失われた足跡』で時間を遡る

失われた足跡 (岩波文庫)

失われた足跡 (岩波文庫)

 

アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』読了。奥野克己『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』に紹介されていた(210頁)小説です。

作者カルペンティエルは、1904年、キューバの首都ハバナ生まれ。ラテンアメリカ文学の傑作に数えられるという本作は1953年に発表されました。訳者・牛島信明の解説によれば、作者はベネズエラのオノリコ河上流(→GoogleMap)を旅し、一か月ほど、新大陸の最も原始的なインディオと生活を共にした体験から生まれたとあります。

主人公「わたし」の日誌形式で進行する小説です。

都会で自堕落な生活をしている音楽家「わたし」は、女優の妻が公演のため長期遠征しているさなか、旧知の〈器官学博物館長〉からある依頼を受けます。それは未開部族が持つ原始的な楽器を探し出してほしい、というものでした。気が進まないものの愛人とともにジャングルへと旅立つことになった「わたし」は、ジャングルを遡行するにつれて時間や現代的な感覚を失います。自然のなかで惹かれたのは虚飾に満ちた驕慢な愛人ではなく、現地の娘ロサリオでした。彼女とともにさらに奥地に赴く「わたし」は20世紀の旧石器時代を訪ね、音楽の始原に辿り着くのでした。ところが……。

とくに前半は衒学的で、散文詩のよう。聖書や『オデュッセイア』の知識がないと読み解けない暗喩などもあるのかもしれません。河を遡行する舟は、時間を逆行するタイムマシンです。種を播くことを知らない、さながら旧石器時代の集落に着いたあと、「わたし」が目撃した不思議な人びとは類人猿と解釈すればいいのでしょうか?

以下、余談です。

夕方の電車のなかで読みふけっているうちに、太古の集落のイメージが次第にはっきりと頭のなかに結ばれました。舞台はもちろん南米大陸のジャングル。登場人物は、テレビ番組で観たばかりですからアフリカに住む痩身のハッザ族です。

電車が止まり、私がもたれていたドアが音をたてて開くと同時に夢から醒めました。見渡すと、太った日本人の中年たちが疲れた顔をして座っていたのでした。

さらに思いつきを蛇足。

異世界を往還するファンタジーは古今東西たくさんあります。桃源郷、月や火星、鏡や不思議の国、巨人や小人の国、パラレルワールド、アマノン国などに行き、人は常識の埒外の世界に遊ぶのです。むかしからある物語の類型のひとつであり、民俗学では「異郷訪問譚」などと呼ぶんだとか。

日本に生まれて初めて出くわすそのタイプの物語は、もしかすると『浦島太郎』かもしれません。もともと蓬莱(常世国)を往還する伝説で、記紀にも登場するんです。私はあの話を以下のように解釈しましょう。すなわち、農耕をはじめたあとの日本人が海を渡って漁撈生活をする狩猟採集民に出会い、彼らと歌って踊ってよろしくやって……。計画的に種まきや収穫をしなければならない農耕民と違い、狩猟採集民にカレンダーはありませんから、太郎は時間も忘れるはずですよ。あれ、でも浦島太郎は農民ではなく漁民か。

そういえば、『失われた足跡』の主人公が書く日誌から、いつしか日付が消えます。

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

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